小説 『夢に遊ぶ者』 

「夢に遊ぶ者」

 週に1度、私は実世界から遊離する。

 日曜日の夜11時。防寒の為にウィンドブレーカーを羽織って、玄関のドア横に立てかけてある釣竿を手に家を出る。あいにく雲に隠れているようで。先週は雲なんて無くて、綺麗な月と星が見えたというのに。
 頼る光は家の前の街頭1つ。街灯の、首を曲げた電球部分が真下を照らすが、はっきり見える地面は精々直径1メートルほど。とは言え外出するたび必ず通る道なのだから、足元なんて見えなくても難なく歩き出せる。そう分かっていても、もし街灯の光が届かない暗闇に死体が転がっていたら。落とし穴が仕掛けられていたら。なんてふざけたことが脳裏をよぎる。ふざけている。自分で理解している。それでもいつも暗闇は心もとないのだ。
 下を向いて歩く。暗い。履き崩して底のすり減った靴を介して伝わってくるコンクリートの堅さ。でもそれはすぐに雑草と土の柔らかさに変わる。駅に続くきちんと整備された道とは反対の、土手に続く無法地帯のようなあぜ道に歩を進める。だんだんと背の高い木々が増えていく。子供のころ、よく虫取りにいそしんだ森。捕らえたクワガタは1か月もしないで死んでしまった。きちんとお墓を作って埋めてやったことは覚えている。そのお墓がどこにあるのかは、覚えていない。そんな回想をしながら、聞こえる音は2種類。しゃく、しゃくと種類の見分けもつかない草たちを踏む音。つつ、からん、つつ、からんと引きずられる釣竿が歩調に合わせて鳴らす音。私が立ち止まれば、この世の音は消えるのだろう。そう思ってもなぜだか足は止められない。
 途中にぽつり、ぽつりとある民家を通り過ぎる。それぞれの前に立つ街灯。照らす範囲はやはり直径1メートル。しかも長いこと電球は取り換えられていないのだろう。数秒に一度点滅を繰り返す。不気味なことこの上ない。民家の灯りはどこもついていない。人が住んでいるのかいないのかすら知らないが、ここにもし人が住んでいたら、同じように足元の暗闇に心もとなさを覚えるのだろうか。眠る蛙を踏みつぶしてしまったら、なんて不安を抱くのだろうか。
 少し上り坂になったと感じてきたところで、いつもの曲がり角。目印となる、膝丈ほどの地蔵が3つ。儀式のようにぽん、ぽん、ぽんと頭を触って右に曲がる。そのまま真っ直ぐ進むと辿り着く。小さな池。直径4メートルほど。
 特等席の大きな岩に腰かけたら、釣竿を肩の後ろから真っ直ぐぶん、と振る。ぽちゃん、と音がして水面が歪む。なみなみ波紋が広がって、淵までくると静かに消える。
 真夜中、小さな森の中。何も聞こえない、何も見えない。たったひとりで釣りをする。この釣竿の先、池の中にはきっと違う世界が広がっている。私はこの古びたか細い釣竿で、その世界と繋がっている。あわよくば、あちらの世界の住人をこの釣竿で釣れはしないだろうか。はたまた、向こうから釣り竿の先を強く引っ張って、私をあちらの世界へ引きずり込んではくれないだろうか。自分から飛び込んでも、何も起こらないことは知っている。だから今日も私は、釣竿をもち、ここではないどこかに思いを馳せて、この世界から遊離する。
釣竿を構え、同じ姿勢で何時間が経過しただろうか。風船のように膨らんでいた、今日こそはきっと、という期待はいつも一定時間を過ぎると唐突にしぼむのだ。
今日も何も起こらなかった。また来週出直そう。釣竿を引き上げる。

 奇妙なことに、いつも釣竿を引き上げた瞬間、意識が覚醒する。自室の部屋のベッドの上。体を起こし玄関へ向かう。ハンガーにかけられたウィンドブレーカーとドア横に立てかけられた釣竿はひんやりと冷たく、わずかに水分を含んでいた。この事実が、私を毎週あの小さな池へと誘い込むのだった。