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買った車が一日で廃車になった話

こんにちは! 猿田信司です。

18歳で会社に入り、東京で暮らしていました。

しかし、どうしても東京がイヤで、
地元に帰りたかったんです。

会社には、ずっと言っていたのですが、
全く聞いてもらえず、10年が経ちました。

突然の転勤

10年以上全く異動がなかったのに、
急に地元へ転勤できることになりました。

私がいたのは関連会社だったのですが、
どうやら人事のローテーションから
外れた場所だったようなんです。

それが、すごく出来のいい後輩が入ったことで、
見直され、その出来のいい後輩の転勤のついでで
私も転勤になりました。

ラッキー!!

Y君のこと

東京では、ずっとバイクに乗っていたんですが、
地元だと車の方がいいな、と思いました。

両親を乗せられるし、今後必要だろう。


会社の寮で仲良くなり、一時は一緒に住んでいたY君と
電話で話していた時のことです。

Y君はすでに会社を辞め、友人と新会社を立ち上げ、
四国の地元に戻っていました。

ですが、Y君が会社を辞めた後も、
Y君の地元へバイクで、
遊びに行ったりしていました。

私にとっては、会社生活で、
唯一できた友達でした。

そのY君が、「知り合いから安く車を
手配してあげようか?」という話をしてくれました。

記憶では4~50万円くらいでした。

Y君はすでに、車にガンガン乗っていましたし。


「頼む頼む!!」

すぐに、Y君に車の手配を頼みました。

転勤の休暇の間に、一度Y君の地元に寄り、
車を買って車で転勤先まで行く、
という作戦を立てました。

いよいよ転勤休暇

転勤が決まってから、バタバタと時は過ぎ、
転勤の日になりました。

引っ越しも終わり、Y君の地元へ、
飛行機で行きました。

いつも、バイクで行っていたので、
飛行機で行くのは、ものすごく新鮮でした。


空港に着くと、Y君が車で迎えに来てくれました。

Y君の自宅に寄り、荷物を置いて、
すぐに車を引き取りに行きました。

車の名前は忘れましたが、白いセダンでした。

お金を払い、私の車です。


しかし、車の免許は20歳のころにとっていましたが、
実際に乗るのは8年ぶりです。

すぐ近くの、Y君の自宅まで、運転してみましたが、
ものすごく怖い。

これじゃ、とても転勤先まで、
運転できない、と思いました。

とは言え、一応免許はあるんですから、
慣れれば運転できるはずなんです。

転勤休暇中で、あまり時間がないのもあって、
夜、車が少なくなってから、練習することにしました。

夜の山道

夜10時ころに、隣にY君に乗ってもらって、
車が少ない山の方に、車の運転練習をしに行きました。

山といっても、そこまでの山道ではなく、
きちんと道も広く走りやすい道でした。

一時間ほど走って、だいぶ慣れたかな、
と思ったところ、問題が発生しました。


ガソリンがない・・・・

もともと、あまりガソリンが入っていなかったようで、
ガソリンが無くなりそうでした。

そして、山道なのもあって、
ガソリンスタンドも全然ない・・・

なるべくガソリンを消費しないよう、
注意してしばらく運転していました。

ガソリンスタンド発見!

そこから、30分ほど走って、
やっとガソリンスタンドを見つけました。

本当に安心しました。

ガソリンを入れ、Y君の自宅に帰ることにしました。

今来た道を戻ることになります。


しかし、私はガソリンが無い状況で、
緊張していたせいか、かなり疲れていました。

そこで、Y君に運転してもらい、
私は助手席に乗りました。

Y君は、普段から自分の車を運転しているので、
私は完全に安心していました。

帰り道に・・・

運転してると、助手席って怖いですよね。

自分のブレーキのタイミングとか、
車間距離の空け方とかが、
自分と違うと恐怖を感じます。

助手席に乗りながら、Y君の運転を見てると、
怖いなーと思っていました。


赤信号でした。

前に車も止まっていました。

しかし、なぜか減速しないY君。

「ブレーキのタイミングが違うのかな?」

「まぁ止まるでしょ」

全くのノーガードでした。


しかし、そのまま減速せず、
信号待ちで止まってる車に、
そのまま「ドカン!」とぶつかりました。

交通事故です。

シートベルトをしていた私も、
衝撃で、フロントガラスに頭をぶつけました。

「イテーーーーーー!!!」

運転席はエアバッグが出てましたが、
助手席には無し。

Y君は不注意で、赤信号に気付いていなかったようです。


私が、頭をぶつけたフロントガラスに
ヒビが入っていましたから、
かなりのスピードだったんでしょう。

それでも、平気な私の石頭(笑)

まさかの交通事故に巻き込まれ

外に出てみると、私の車は、前が大破。

相手の車も、後ろが大破。

やっぱり、相当なスピードでぶつかったようです。

こちらも、お相手もケガは無かったのはラッキーでした。


警察を呼び、実況見分が終わった後、
私たちは足が無いので、パトカーに乗せてもらって、
Y君の家に帰りました。


私が買ったその日に、交通事故で、
私の車は大破していまいました。

二人の雰囲気は最悪です。

泊めてもらってるのもあるのですが、
買った車がパーになった怒りもあります。

会話もほとんどしないで、
その日は寝ました。

翌日

翌日、Y君は事後処理のために、
朝早くから出かけました。

正直なところ、私は車もパーになるし、
「転勤にミソがついた」という思いでいっぱいでした。

ですから、Y君には何も言わず、
飛行機で転勤先へ行くことにしました。


タクシーで空港へ向かい、
空港で飛行機を手配しました。

すぐに飛ぶ飛行機は無くて、かなりの時間、
空港で待つことになり、空港でボーっとしていました。

しばらくすると、Y君から連絡があったので、
今、空港にいることを伝えました。


Y君は空港に来てくれましたが、
私は会いたくなかったので、搭乗手続きをして、
空港の出発口にいました。

その空港は、出発口の中と外とが
ガラスで仕切られていて、
電話で会話できました。


Y君とその電話で話しました。

Y君の自動車保険で、
事故はなんとかなったこと。

私の車には保険が効かないこと。

修理するとものすごくお金がかかること。

廃車手続きをしてもらうことにして、
電話を切りました。

廃車手続きの費用については、
Y君に出してもらうことになりました。

そのまま、私は転勤先へ移動しました。

その後

転勤した後も、時々Y君から電話がありました。

しかし、私は冷たくあしらっていました。

車が廃車になったのもあるんですが、
何より「転勤にミソがついた」
「この転勤で悪いことが起こるんじゃないか」
という思いがあって、Y君を遠ざけていました。

そうしているうちに、だんだん電話も減り、
ついに連絡も無くなってしまいました。


あの事故で、会社生活で唯一できた友達を
無くしてしまいました。

今では、連絡先もわかりません。

たかが、車が廃車になったくらいで、
友達を無くしてしまいました。

我ながら、最悪な対応でした。


「転勤にミソがついた」と思っていましたが、
その転勤先は、私の会社員生活の中でも、
唯一楽しかったと思える職場でした。

今考えると、あの事故は、ある意味「厄落とし」
みたいなことだったのかな、と思っています。

当時は、それがわからず、
取り返しのつかないことをしていまいました。

Y君が元気なのを祈ります。



最後までお読みくださり、
ありがとうございました。

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