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「アオアシ」に学ぶキャリア教育5

さて、いろいろ語ってきたエピソードもこの回で第1巻は終了です。いってみましょうか。

第7話 会合する

最終テストの参加者が読み上げられ、大友や橘に混ざって葦人も残る。

そこで葦人は、これから試合に臨むために「話し合おう」と提案する。(186p)これまでの彼の評価は「独善的」で「自己満足」という印象が強いが、このように話合いができないわけではない。その理由は、もう少し先で解明されるので、お待ちいただきたい。

しかし、最終選考に残った参加者が言うように、「お互いにライバル」なのでその提案を拒否するものも多い。その中で、提案に乗ったのは大友や橘、中野と金田、そしてGKの深津である。そこで、お互いにどんなプレーがしたいのか、どんなサッカーが好きなのかを情報交換する。その中で、葦人以外の参加者がなぜセレクションを選んだのかが明らかになる。

大友は、福田が言うようにセレクションはプロを目指す中では落ちこぼれの集まりだと思っていた。このままでは普通に高校でもサッカーをして楽しんで終わるだろう、と。「荒療治をしてでも変わりたかった」として、セレクションに臨んでいる。

橘は、前の所属していたチームでユース昇格を打診されていたが、それを断って受けている。エスぺリオンのサッカーに触れたいという思いと、今の自分は成長が止まっているという焦りから、セレクションに臨んでいる。

この2人が参加者の代表として、「うまくいっていない自分を変えるために、受かる確率は低くてもセレクションに挑戦している」ことが読者に提示される。

しかし、ここでの葦人の反応は「意外」なものだった。

愛媛から来た葦人にとって、セレクションで出会った選手は全て「うまい」と思える人たちだった。そして、「こんな高いレベルでサッカーができる楽しみ」を語り始める。そしてストーリーは、対戦相手が「東京シティ・エスぺリオン」のユースチームであることが紹介されて第1巻が終わる。

ここでキャリア教育において大切なことは、「おちこぼれ」「成長が止まった存在」と否定的になっている人に対して、肯定的な見方を伝える葦人の考え方である。それは「視座の転換」、「リフレ―ミング」である。

よく言われるのは、コップに水が半分入っていて「まだ半分入っている」と思うのか、「もう半分しか残っていない」と思うのか、というものである。そもそも、人間の脳は「思い込み」で出来上がっていると言っても過言ではない。「先入観」や「思い込み」として使われるバイアスについて、藤田政博は『バイアスとは何か』(ちくま新書 2021年)において、バイアスが何故あるかといえば、バイアスにはメリット(有益性)があるからで、合理的判断を妨げるだけの存在ではないと述べている(前掲書26-27pp)。


バイアスの1つに『自己高揚バイアス』(John&Robins1994)というのがある。読んで字のごとく、人間は自分のことを「高め」に捉えて考えがちで、精神的にポジティブに生きるように脳が作用している。なので、これがうまく機能しないと「うつ病」を発症しやすくなる。調査でも、うつ病患者の方が、自分自身を正確に認識する傾向があるのだそうだ。

人間は、自分の見方や考え方に偏りがあることを自覚することが難しい。だからこそ、他人の見方や考え方に触れることが必要であり、そこで「自分とは違う見方や考え方」にたどり着く方法を持っていることが望ましい。その際に「リフレ―ミング」という手法は有効である。そこでは、否定的な意味の強い「せっかち」を「行動力がある」というように肯定的な意味に意図的に変換していくことで、短所も長所になることに気付くことができるようになる。(突き詰めると、長所も短所になりうるということになるが、その方向に行くといかに『自己高揚バイアス』のある人でも落ち込むと思うのでお勧めはしません。)

はてさて、ユースチームとの試合はどのような展開になるのか、次から第2巻となります。

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