悪口の話


わたしはあまり人の悪口を言わない.

それ故に優しい人だと印象を与えることが多いのだが,イメージされているほど自分が優しいのかと言われると分からない.

わたしでも悪口は言うしなんならそのボキャブラリーは何処にしまってたのか?と我ながら思うくらいには巧みな言葉で貶すこともできる.

ただそれは自分が直接接したことのない人に対してだけである.

仲の良い友人たちには共通の知り合いを悪く言うような人はいない.自分が不愉快に感じる人とは仲良くしないので当然ではあるが.それでも会社の人の愚痴やわたしが知らない誰かの愚痴をこぼすことはある.わたしはその相手のことを知らないので,話された内容でしか印象を持たない.そのため何て嫌な人なんだ...!と思い友人が思っている以上に悪口対象となった人を貶す言葉を吐いてしまう.

それなのに自分が知っている人,直接関わったことのある人の悪口を言うことはもちろん,聞くことでさえも非常に苦手に思うのだ.

それはなぜか.わたしが優しいからなのか.そうではない気がする.

恐らくわたしは他人にそこまで興味がないのだ.学校やバイトで関わる人たちとは親密な関係になろうと自分から積極的になることがほとんどない.実際わたしは数枚の壁をつくって人と接しているところがあると思う.

余程でない限り,人はせめて表面上はいい人であろうとするはずだ.深くその人のことを知ろうとせずに過ごす分には基本的に良い面しか見えてこない.故に周りの人たちに対して"いい人"という印象をわたしは強く持つ.

そのため知人Aが知人Bの悪口を話し始めたとき違和感を感じ,悪口そのものを不愉快に思うのではないか.

AがBに対して不満に思うことをわたしも共感できたとしても,それ以上にいい面を知っている...というか良い印象を持っているために悪口に同調するようなことはしたいと思えない.

言うまでもなく,欠点とするところも十分に知るくらいに仲が深まった相手に対する悪口はさらに嫌である.

また,わたしは自己肯定感が非常に低い.(このことに関しても,時間がある今自分なりに分析してみたいと思っている.)自分はこの環境にいる中で最も下の人間であると思いがちなので,とても人のことを悪く言える立場でないとも感じてしまう.悪口を言う権利はわたしにはないと思うことも,わたしが知っている誰かの悪口を言わない理由の一つだと考える.

これを踏まえて思うのだが,人の悪い面を見つけられる人はむしろ凄いのではないか.単純に粗探しが好きな人もいるかもしれないが,そういった人も含めて悪い面を知るほどに他人に興味を持って接することができるのは凄いと単純に思う.加えて身近な人に対するマイナス発言ができるほど自分に自信が持てていることは羨ましいとさえ思う.なんだかとても皮肉に聞こえてしまうけれど.

自分の悪口を言われれば嫌な気持ちになり落ち込むのは当たり前だが,そう言われるだけの興味は持たれているのだと考えることも出来る.自己肯定が低いわたしが更に自分を嫌いになってしまわないようにも,誰かに悪口を言われたことを知った時にはそう考えるようにしたい.

悪口はおそらくストレス発散ツールのひとつなのだろう.どうしても溜まって人に話したいときはその人を知らない人に話すことをわたしはお勧めしたい.それ以上に悪口以外にもストレスを発散できる手段がたくさんあるのだから,それを見つけることができたらなおさら良いのだが.




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