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日本人にとって「靖國神社」とは何か?(後編)ー先生のための『和の国・日本国』講座㉝ー

こんにちは。りたろです。

自らの持ち味を社会に貢献する「『和』の学級経営」を軸に発信しています。


今回も引き続き、

「先生のための『和の国・日本国』講座」という主題のもと

「靖國神社」に焦点を当て、

「靖國神社」とはどのような施設なのか?

なぜ、「靖國神社」は問題になるのか?

英霊の姿勢から私たちが学ぶべきことは何か?

などから、

『和の国・日本』とは何か?を考えていきたいと思います。



【今日の内容】
日本人にとって「靖國神社」とは何か?(後編)~先生のための『和の国・日本国』講座㉝〜 

1)先の大戦、実は「勝機」はあった?!
2)先の大戦の英霊の姿から学ぶべき教訓とは何か?
3)なぜ、日本国は解体されなかったのか?
4)未来に伝えていくべき『英霊の想い』とは?



前回の記事では、

「A級戦犯合祀」による靖国神社参拝問題に触れ、


『A級戦犯』など戦犯とされた方々は、
私たち後世の日本国民の罪をすべて背負って死んでいった人


であること。


これは、

「悪い」とか「悪くない」とか

「認める」とか「認めない」とか

そんな薄っぺらい問題ではないこと。


そして、

このような


納得のできないことを、その理不尽さを語り継いでいくこと。


これが残された

わたしたちの責任ではないか。

というお話をしてきました。


今回は、

靖國神社に祀られている英霊たちの物語から

わたしたち残された日本人が学ぶべきことは何か?

についてお話していきたいと思います。



1)先の大戦、実は「勝機」はあった?!



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先の大戦は、

日本国の「ポツダム宣言」受諾により、終戦しました。


この「ポツダム宣言」。

よく「日本は無条件降伏をした」などと言われていますが、

全く違います。


「ポツダム宣言」を読んでみると、


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「われらの条件は以下の条文で示すとおりであり…」

『条件』という言葉が使われており、

日本軍は『無条件』で武装を解除することは書かれていますが、

ポツダム宣言は、『条件付き』の交渉であることが分かります。


要するに、

連合国はこのような権利がある

日本はこういう義務を負う

でも、日本はこういう権利を持つし、

こういう場合は、連合国はこういう義務を負う。

しっかり、お互いに権利義務を書いているんです。


占領はするけれど、

日本に課題を与え、これをクリアすれば、

直ちに占領軍は占領を解除する。

としっかり明記されています。


日本国は、

「国家を護ることため」にポツダム宣言を受け入れたのであって、

何も、ポツダム宣言を受諾して、

国を明け渡した事実は全くありません。


日本国は、

『条件付き』で停戦の提案を受け入れたんです。


このようにして、

先の大戦を終えました。



ここで、少し考えてみてください。


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アメリカという国は、

戦争して勝つ場合は、基本的に国ごと解体するんです。

政府を解体し、議会を解散させ、

そして、新たな臨時政府をつくり、選挙をし、新議会を創る。


ところが、アメリカは、

先の大戦で勝ちましたが、

なぜか、「日本だけは」国を解体しなかったんです。



では、なぜアメリカは日本国を解体しなかったのでしょうか?



ぼくはこう思うんです。


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これは、

あの戦争での軍人たちの戦いぶり。

ここに大きな意味があるのではないか?と考えています。



なぜか。

アメリカは戦争には勝ちましたが、

余裕で勝ったわけではありません。


相当苦労しています。


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沖縄戦で1万人以上の米兵が亡くなっています。

これは、米議会でものすごい批判されたんです。

「この小さな島をとるのになぜ一万人も亡くなったのか?」と。

ものすごい厳しく追及されたんです。



よく学校で使われている教科書には、

「日本は、勝ち目のない戦争を無理やり行い、敗戦した。」

みたいなことが書かれていますが、

これは大きな嘘です。


実は、日本には勝ち目はありました。


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むしろ、日本の兵力の方が大きかったんです。

国力は、確かにアメリカの方が圧倒的に大きかったのですが、

アメリカは、第2次世界大戦のヨーロッパ戦線に

すでに主力部隊を投入しており、

日本と戦うことができる兵力は実はたいしたことはなかったんです。


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真珠湾攻撃があったあの日。

日本の海軍兵力とアメリカの海軍兵力を比較したら、

日本の海軍兵力の方が、2倍以上だったんです。


しかも、

戦争の優劣は航空機の運用能力に左右されるのですが、

当時世界最高の性能を持った戦闘機は日本が開発していたんです。


だから、日本は上手に戦っていれば勝てた可能性があったんです。

(勝てたからといって、戦争をしていい理屈にはなりませんが。)


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この事実は、アメリカで使われている歴史教科書にも

書かれています。


「アメリカは日本と戦って勝ちました。けれど、日本という国は大変強い国でした。日本がどのくらい強かったのか?戦艦の数、航空母艦の数、飛行機の数、飛行機の性能、パイロットの練度。あらゆるものがアメリカよりも上だった。日本はこんなに強かった。どう考えても勝ち目のない戦争だったんです。(中略)でも、この戦争は、アメリカは勝ちました。なぜ、こんな不利な戦争を勝てたのか?その理由をこれから説明しよう。」


のように、いくつものデータを示しながら、

どれほど日本が強かったのかが、事細かに書かれているのです。


日本の教科書とは、全く違いますよね。


これが事実なんです。


「短期集中決戦」であれば、勝てた可能性が大きくあったんです。


では、どのようにすれば有利に展開することができたのか?


カギになったのは、


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「真珠湾攻撃」


です。


これは、米軍の日本との最終総括のレポートにこのように書かれています。


「もし、日本が真珠湾攻撃をしたときに、真珠湾を徹底的につぶしていたら、あの戦争で、アメリカの勝ち目はなかった。」


これが、米軍の見解です。


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もし、日本軍が真珠湾を完全に占領した場合、

米軍は、アメリカ本土の西海岸

サンフランシスコを基軸に日本軍と戦わなくてはいけなかったんです。


日本側の視点で考えると、

なんと、ハワイを基軸に戦うことができます。


そして、次は、サンフランシスコ、ロサンゼルスと

悠々とアメリカ本土まで攻めることができました。


アメリカの領土が欲しいわけではないので、

それをもって講和することで、

有利に運ぶことができた可能性が大きくありました。


真珠湾をしっかり叩いていれば、

日本本土があんなことにならずに済んだかもしれません。

これは、米軍がすでに認めていることなんです。




2)先の大戦の英霊の姿から学ぶべき教訓とは何か?



太平洋戦争の半年前までは、

日本の石油の9割以上は、アメリカから買っていました。

日本が必要な資源の半分以上はアメリカから買っていたんです。


アメリカとの友好関係がなければ、

日本経済は、成立しなかったんです。


半年前までは、友好国。

しかし、半年後、アメリカを攻めることになってしまったんです。


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当時の日本兵は、

ソ連の南下政策に対応するために日々訓練していたはずなんです。


しかし、

いざ闘うことになった時に、相手はなんとアメリカ。


本当は、戦争を避けられたはずなんです。


要は、当時世界中が世界恐慌のあおりを受けて、

何とか国力を立て直さなければいけない状態でした。


アメリカも同じように

本当は、ヨーロッパ戦線に参戦したかった。

でも、いきなり戦争を始めるわけにはいかない。


だから、

ドイツと同盟関係である日本がアメリカを攻めてきてくれさえすれば、

ドイツと戦う大義名分をつくることができる。


アメリカは、ドイツとの闘いに参戦したかった。

そのためには、日本に攻めてもらう必要があったんです。



当時の日本首脳は、

こんな国際情勢も読むことができなかった。


戦争は、すべきではない。
でも、もし、始まってしまったら、絶対に負けてはいけない。


『国際情勢』をしっかり読み解くことによって、
戦争は避けることができる。


このようなことを、

学校でしっかり伝えていれば、

「憲法第9条」さえ守っていれば、

日本は未来永劫平和とかいう阿呆な発想にはなりません。


そもそも、

「憲法第9条」なんか、読む人によっては

いくらでも様々な解釈ができてしまいますから。


日本をどのように守っていくのか?


先の大戦から学ぶべきことがたくさんあるんです。


◎『国際情勢を読み解く力』
信用できない相手と同盟を結んでしまったこと、南仏進駐、作戦のずさんさ
世界のリーダーがどのような思惑で動いているのか?
今の国際情勢がどのようになっていて、
今後どのように動いていくのか?
このようなことを分析していけば、不易な戦争は避けることができる。


これが、先の大戦から学ぶべきことなんです。




3)なぜ、日本国は解体されなかったのか?



先ほど、

アメリカは、負けた国を解体するという話をしました。

しかし、

「日本だけ」は解体しなかった。



なぜ、アメリカは日本国を解体しなかったのでしょうか?


先の大戦においては、特攻だけではなく、

一般の兵隊たちの戦いぶりは、すごいものでした。


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人類の戦争史上。

あの時の日本人ほど、勇敢に戦った人たちはいません。


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例えば、「硫黄島の戦い」


日本兵は2万人。

米兵は17万人。


これほど兵力差がついたら、

検討することが不可能です。


当時、瞬時に米軍が占領し、3日で決着する予定でした。


結果はどうでしょうか?


なんと30日経っても、いまだに護り続けたのです。


そして、

死傷者の数はなんとアメリカの方が圧倒的に多かったんです。


ふつうなら、ありえないことです。


若い米兵はこのような手紙を上官に残しています。


「もうお願いだから俺たちを、あんな狂った島に連れて行かないでくれ。」


アメリカ兵は、次々に精神が崩壊していきました。

それ以来、二度と戦場に復帰できなくなった米兵が

ほとんどだったそうです。


なぜ、日本人はあそこまで真剣に戦うのか?


米兵には意味が分かりませんでした。


米兵は、生きて帰ろうとすることを前提で戦争をします。

日本兵は、全員死ぬ覚悟で必死に戦争をしていたんです。


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なぜなら、

「硫黄島」がとられれば、

日本全土が火の海になることが確実だったからです。

愛する人が傷つくことが分かっていたからなんです。


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「特攻隊」も然りです。


特攻を見て感動したという主旨の手記を残している米兵の記録があります。

自分たちにはできないと書いた長官もいました。



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マッカーサー元帥はずっと疑問に思っていました。


「なぜ、日本人はあそこまで真剣に戦うのか?」

意味が分からなかった。


ところが、昭和天皇と面会したときに、

はじめてその意味を知ることになります。


昭和天皇は、開口一番。


「この戦争のすべての責任は私にある。私一人だけを、処刑してほしい。」


と。


それを見た時に、マッカーサーは気づいちゃったんです。


だからか。


「日本人は一つの家族」だからか


と。


日本の国体を見てしまったのです。


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神武天皇の建国の精神。

「八紘為宇」


神武天皇の時代は、弥生時代後期。

日本列島が戦争で明け暮れていた時代です。


その時に、神武天皇は、

「戦争なんてもうやめよう。」とおっしゃった。


「日本人同士が殺し合いをすることはよくない。私たちは『家族』だ。そして、日本列島は『私たちにとっての家』だ。」


これが、「八紘為宇」という意味です。


天皇は、国民一人一人を愛しその幸せを祈り続けてきました。

国民は、わが子のように愛してくださる天皇を深く敬愛し、

みんなで力を合わせて、国を支えてきました。


マッカーサー元帥は、この姿を見てしまったんです。



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つまり、

あの時の兵隊たちの頭の中には、


「日本国家の存続」と「愛する人の幸せ」が完全に結びついていた


んです。


日本国さえ残れば、
愛する家族が幸せでいられ、護ることができると思った。
愛する人が幸せでいられ、護ることできると思った。


んです。


かたや、

日本国がなくなれば、

お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、

もしかしたら、奥さんもいるかもしれない。

子供もいるかもしれません。

みんな不幸になってしまうと思った。


日本国さえ残れば、

幸せでいられると思った。


家族を護るために。


愛する人を護るために。


戦ったんです。




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特攻に志願された方々も同じです。


戦艦に突っ込んで、見事果てることができたら、

日本国は勝てるかもしれない。

なんて考えてはいません。


そもそも、

勝ち戦ではないからあんなことをしたんです。


特攻をして勝てるなんて誰も思っていません。


負けるのは分かっていた。

だから、特攻したんです。


「最後負けるときに、日本人の意地を見せてやるぞ。」と。

「なめんなよ。日本人は最後何でもするぞ。」と。



アメリカは相当おびえました。

そして、

マッカーサー元帥は

日本国家は解体してはいけないことを本部に伝えています。


また、

アメリカの占領政策は、

「これ言ったら日本は怒るかな…」

「こういうことを今実行したら恨まれるかな…」

などとかなり敏感に研究したそうです。


「日本人は、最後怒ったら何をするか分からない。」

そのような中で、

天皇を残し、日本国は残ることができたのです。




4)未来に伝えていくべき『英霊の想い』とは?



このように、戦争で勇敢に闘ってくれた兵たちのおかげで

今の日本があるのです。


彼らは、なぜそこまでして国を必死で護ったのか?


それは、


日本国され護ることができれば、愛する人を護ることができる。


それは、本当でした。


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もし、一歩間違えれば、

北日本は、ソビエト連邦。

西日本は、中国。

に獲られていたかもしれないんです。


終戦があと一週間遅ければ、

北海道はロシアのものになっていたことでしょう。


日本列島は、おおむね残ることができました。


これは、

勇敢に戦ってくれた方々のおかげなんです。



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最期。

突撃する人はどのような想いだったでしょう。


「愛する人が幸せでいてほしい。」


その一心だったと思います。


戦争で亡くなられた先人たちのおかげで、

日本国は護られました。

そして、私たちは、豊かな生活を今も送ることができています。


もし、亡くなられた方々が今生きていたら、

どう思うでしょうか。


「日本国家を残したい。愛する人を護りたい。」


あの方々は、

夢と希望をもって特攻し、突撃していきました。


日本国家を残したい。

そうすれば、愛する家族、愛する人を護ることができる。


そして、その夢や希望を叶えました。



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今の日本国はどうでしょうか。


いろいろな問題はありますが、

こんなにも美しく、

こんなにも力強く、

平和で安全で

文化の薫りも高い。


こんな日本国が今残っているんです。



わたしたちはこの日本国をどんどん磨きをかけて、

10年後、20年後、

こんなにいい国になりました。

もっともっといい国になりました。


このように、


日本国にどんどん磨きをかけて、
もっと、もっといい国にすること。


そうすることで『英霊』に報いることができる。


それ以外で、『英霊』に報いることはできません。



そのような、

多くの方々の命が失われた中で、

今の私たちの幸せがあることを絶対に忘れてはいけません。



そして、


その『英霊』とのつながりを感じることができる場所。


それが、


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「靖國神社」


なのです。


令和の時代。

ぜひ、「靖國神社」を訪れてみてはいかがでしょうか。




これまで、
「日本はいい国だ!」というと
軍国主義者と言われたり、
危険思想だと思われたりしていました。


しかし、

2011年3月11日

東日本大震災を契機に外国から注目されてから、潮目が変わりました。


じつは、わたしたちが住んでいる『日本国』はすごい国なんです!!

まだまだ、
歴史の闇に埋もれてしまった「真実」が
たくさんあります。


「日本を知ることは、
       『自分のルーツ』を知ること」


わたしたちの生まれた国をもっと学びませんか?

そして、子どもたちに伝えませんか?


自分の生まれた国を誇りに感じることは、
きっと自己肯定感とか自己効力感につながるはず。


一緒に、『和の国・日本』を楽しく学びましょう!



最後まで、お読みいただきありがとうございました。

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