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#1 社会科を『学ぶ意味』を問う




1)あなたは「社会科」が好きですか?



「好きな教科を教えて!」



皆さんなら、このように問われてどのように答えますか?





ちなみに、

今の子どもたちはどのような教科が好きなのでしょうか?


学研教育総合研究所が2022年9月に実施した
小学生の日常生活・学習に関する調査』は、

日本全国の小学生(1~6年生)のお子さんをもつ保護者を、
約465万人のモニター母集団から抽出し、
保護者付き添いのもとで、子ども本人が回答するように依頼したもので、
小学1~6年生各学年で男子100人と女子100人ずつと
その保護者(計1,200組)の回答では、このような調査結果が出ました。


小学生が「一番好きな教科」に選んだのは、
10年連続で「算数」となりました。
続いて「体育(保健体育)」
「図画工作」、「国語」、「好きな教科はない」の順となっています。

一方で、
「一番嫌いな教科」については、
「嫌いな教科はない」を除いて、
1位が「算数」、「国語」、「体育」、「道徳」の順となりました。

社会科は、3.1と主要教科の中では、最も低くなってしまっています。





社会科が嫌いになるよく耳にする要因は、
次のようなものだと思います。

・覚えることが多い。
・調べ方がよくわからない。
・「話を聞く」時間が長い。
・先生の教え方が…。


受動的な内容になってしまいがちで、
教員もどのように指導したらよいのかがわからないということも
あるのではないでしょうか。



2)「社会科」で学ぶことの価値とは?




また、
「学力向上」という言葉を聞いた時、
真っ先に思い浮かべる教科は何でしょう?

おそらく国語や算数・数学ではないでしょうか?

「読み、書き、計算」が勉強の基本だと言われています。


では、
社会科はどうでしょうか?


〇〇が社会的な問題となっているから、社会科に力を入れなければだめだ!

というような声は聞かれません。

ウクライナ問題、尖閣諸島での問題。値上げや増税。社会保障。移民。
LGBT。災害。脱炭素…。

挙げればきりがないのに、です。



なぜ、
「社会科にもっと力を入れなければならない!」という声が挙げられないのでしょうか?


それは、端から見ると、

社会科の学習は、

「当たり前のことを、当たり前のようにやっているだけ」

のように見えてしまうからだと思います。

水や空気とや土と同じように、あって当たり前のもの。

大人であれば、誰でも知っている常識について勉強する、
暗記する勉強が社会科である。と。




しかし、
この「当たり前」は、
「あって当然のもの」「覚えるだけのもの」と
簡単に片づけてしまえるものではありません。

なぜなら、
この「当たり前」が、
わが国と日本国に住む人々の暮らしをつくり、
次の世代に引き継ぎ根幹をつくっている
からです。


社会科で学習する「当たり前」とは、
国の根幹をなす仕組み、
日本人としての基盤を形成する在り方・考え方そのもの


なのです。




社会科は「社会の中で生きる人間の姿を学ぶ教科」です。



社会というのは、「社(やしろ)で会う」と書きます。

人とのかかわりや、
働きなどが集合体になった時に生まれるのが「社会」です。

「社会的事象」は、人々の働きや営みで成り立っており、
それを調べることによって
私たちの生活にどのように役立っているのか、
その意味を考えることが社会科の学びです。




学習対象となる人々が
工夫や努力をして、私たちの生活を支えている。


こうした事実を前提として、社会科の学習は成立しています。

日本人が勤勉に、そして向上心をもって日々工夫・努力している。


そうした工夫や努力している姿から子供たちは学んでいるのです。


日本国と日本人には、学ぶに値する「よさ」があります。


だからこそ、社会科の学習は成立するのです。
『伝統工芸』においてもそうです。
目を輝かせながら、懸命に努力している人が日本国にいる。

歴史学習にしても、
その時代ごとの課題を解決しようとする先人の姿があります。

だからこそ、
我が国は、2683年間も「日本国」として存続しているのです。



3)社会科の本質とは『〇〇』である。




私たちは、
職場で「真面目に」「真摯に」、「社会貢献のために」は働いている姿を、「当たり前」のように感じています。

だから、
ついついそんな「当たり前」のことをことさらに強調するのは
いかがなものか?と思われがちです。

しかし、
日本人の考える「当たり前」は、
世界の人々の考える「当たり前」では必ずしもありません。

そして、
「そんなことは当然のこと」で片づけてしまうのは、
あまりにももったいない「当たり前」なのです。


社会科は「社会の中で生きる人間の姿を学ぶ教科」です。



だからこそ、
そこに生きる人間の生きる姿から学ぶのです。

その人間の生きる姿とは、決して一人の人間だけではありません。

様々な人たちが力を合わせて、
手を取り合って、
『和』をもって、
懸命に誠実に努力している姿です。




日本には、綿連として受け継がれてきた「よさ」がある。

だからこそ、『学ぶ対象』となり、
これからも受け継いでいこうとするところに『学ぶ価値』が生まれます。

これらのことは、社会科はどんな教科であるかを再認識させてくれます。

少しでもよりよい社会を創ることができるように努力してきた
先人の知恵や働きを知ることで、
何が我が国の社会で正しいとされているのかを学ぶ。


このような

日本人のよさを共感しあうことを通じて、
その子も将来、私たちと同じように社会の形成者の一人となり、
日本のよさを受け継いでくれる存在になる。
そのために、必要なことを学ぶことが「社会科の本質」である。


と僕は思います。

国や人々が社会科をおろそかにすれば、

国のかたちが揺らいでしまいます。

だからこそ、

日本人が2683年以上紡いできた「和の国づくり」とは何か?

なぜ大切なのか?

どのように受け継いで、つないでいくのか?

を学ぶことを通して伝えていきたいのです。

日本に生まれた日本人が、
日本に生まれたことを幸せに感じ、
日本に生まれた子供達が、
日本に生まれたことを誇りに感じる。


そんな思いを社会科では育みたいと
日々学んでいきます。



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