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30日チャレンジ第2弾 -3日目-


 3日目です。順調!毎日やることがあるって素晴らしい!

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「新聞」
 今日の興味深かった記事は「EQ」に関するもの。EQとは"emotional intelligence quotient"のことで、日本語訳だと感情をうまく管理し、利用できる能力のこと。実力至上主義のアメリカでは、ビジネスの現場では従来は学歴や資格が重要視されてきたが、昨今ではこのEQ、つまり人の気持ちが分かり、人のために動けることのほうがビジネスで成功しやすいという研究結果が明らかになったそう。1990年の話。そんな前かい。
 じゃあなんでいまさらそんな話が出てきたかというと、最後の段落にこんな話が書いてありました。「AIのディープラーニングという学習方法とEQデータを融合させることで、人材育成などの組織課題だけでなく、ドライブレコーダー情報による運転スキル、健康管理、いじめや自殺防止などの社会課題に有効であることがわかった」(EQ取締役会長 高山直)と。AIに関する知識のない僕は、ボーっとした頭で「AIがさらに人間に近づくなぁターミネーター観たくなってくるわぁ」と楽観視するのでした。

「読書」
 『嫌われる勇気』読んでます。アドラー心理学では、トラウマの存在を明確に否定すると書かれていました。トラウマは誰しも抱えるものです。まだ僕が幼いころに、親戚のAさんと母と僕で、地殻変動に関するなんちゃらセンターに見学に行ったことがあります。そこで阪神淡路大震災の震度を体験できるコーナーがあり、幼い僕は興味本位で「やりたい!」と叫んで体験しました。その間、Aさんはひどくおびえた様子で遠くで僕のほうを見ていたのを覚えています。Aさんにその理由を問うと、阪神淡路大震災で身近な人を亡くし、今でも地震に対してひどく恐怖を抱いてしまうのだそうです。その時に僕はトラウマの存在を知りました。
 そのトラウマすら、本当は存在しないと断言するアドラー心理学。どういう考え方をしているかというと、いかなる経験もそれ自体では何の意味も持たず、目的に沿った意味をそれに与えることによって自らを決定しているのだ、と言っています。「は?」ですよね。この本は抽象的なことをどうしてこうもわかりやすく説明できるのか...。
 例えば、先の例を引用すると、Aさんの「大震災の経験」は、それ自体では何の意味も持ち合わせていません。口を辛くして言うと、「身近な人を亡くし悲しむ理由」を「阪神淡路大震災」に見出しているのです。つまり。経験(=「阪神淡路大震災」)に与える意味を選択し直せば、それはトラウマではないと言うことができます。(...あってるのかこれ...自分の頭では整理できても、自分の経験談をもって具体例を提示できない...もっと深く読まねば...これが読書の神髄...)

「日記」
 入試アシスタントで同じシフトになった中国人の方に、現地での状況を教えてもらいました。家族は南京にお住まいだそうなのですが、基本外出は控える、妹は小学校へ行けない、等々、深刻なお話を聞けた貴重な機会でした。感染者数の推移がリアルタイムで更新されるサイトを見せてくれました。現実味が湧かなかったコロナウイルスが身近に感じるようになった一日でした。

何か秀でた能力があるわけでもなく、友達が多いわけでもない。1日誰とも話さない日もザラにある。引きこもり文系大学生の心に秘めた思いをツラツラと。