【No.1407】美しき古文の世界



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古文に「身を知る雨」という言葉があります。


国語の授業の古文は平安時代に書かれたものが多いです。


平安時代は、他の時代に比べると平和だったのか、文化も発達し、恋愛ものの文もよく書かれたようです。


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当時の結婚は一夫多妻性。しかも、一緒に住む場合もありますが、男性が女性の元に通う「通い婚」が普通と言われています。


婚姻届なんてありませんから、結婚は「3日連続通うこと」で成立します。


ちなみに男性側に結婚する気がないと、連続ではなく、日を置いて通うこともできたそうで、何とも男性の気分次第の結婚形式ですね。


現代の男性諸君は羨ましいと思うのでしょうかw


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ただ、女性からするとたまったもんじゃないです。待つことしかできませんから。


3日目の夜なんて特に気が気じゃなかったでしょう。2日連続で来ておきながら、3日目に来ないということは、遊びだと言われているようなものですし。


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そんな時代にあって、こんな話があります。


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3日目の夜のこと。この日に通えば結婚が成立します。

でも、あいにく外は豪雨。男性は女性のところへ行かないことを決め、手紙を送ります。当然、女性の家からは抗議の手紙が届きます。


それを見た男性は「なるほど、今日は3日目の夜だから、ひどいと思っているのだろう。気の毒に」といったセリフをいいます。


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もちろん、このセリフも平安時代の言葉で書かれているので、この男性のニュアンスを正しく訳せているかは分かりませんが、どう思うでしょうか?w 


現代なら雨がひどいからと結婚式をすっぽかすなんてことは、やばいっすね。


僕が昔住んでいたインドネシアでは、雨を理由に会社に遅刻してくる社員もいましたが、さすがに結婚式は来るんじゃないかな。


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ただ、インドネシアは南国なので、豪雨が本当に豪雨です。洪水もやばいです。


それに比べるのも不適切かもですが、たぶん平安時代はもっとでしょう。排水のインフラなんて整っていないし。


道もひどかったと思います。当然舗装もなく、一歩道を外れれば雑草も荒れ放題。夜も電灯はなく真っ暗闇。超危険です。身の危険すらあります。


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男性は車に乗って移動するにしても、牛や人に引いてもらうような車で、今ほど防水されていないでしょう。


服も雨に弱そうです。なのに、結婚式となれば正装が必須でしょう。ひな人形が来ているような服をイメージすると分かりやすいかもしれません。


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そんなことを想像すると、たとえ結婚式の日であろうと、雨で行けませんという理由は成り立つのかもしれません。


死んだら元も子もありませんから。


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前置きが長くなりましたが、


そんな時代の「身を知る雨」というのは、


女性側から見て、雨は自分が愛されているか否かを知るものということになります。いわばバロメーター的なものだったのでしょう。


ちなみに「身」とは古文では「我が身」と訳すことが多いです。


「我が身のほどを知らせてくれる雨」とでも訳すのでしょうか?


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実は、上記のような結婚形式も、一部の限られた特権階級のことです。


容姿や教養のみならず、どこまで出世できるかという家柄や権力も大切です。つまり貴族オブ貴族。


そんな男性が結婚となれば、女性も普通の貴族ではないでしょう。貴族のなかの貴族同士。となると、女性も上品さを教育されています。


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「はあ!?雨でこない?ありえねぇんだけど!」などとブチ切れたりはしません。


内心思ったとしても、キレるのはその女性に仕えている側近たちです。当人は、むしろ、それをとめる立場にいます。


そんな女性の「身を知る雨」という表現はロマンチックにすら感じます。


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どうでしょうか?あなたは、性別や恋愛に限らず、何か思い通りにいかない時、


「我が身を知る」なんて思うことができるでしょうか?


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ちなみに、上記の男性は、その後雨のなか駆けつけます。命の危険のある雨だったなら、すごい強い想いですね!


あなたが男性なら、命をかけてまで成し遂げたいことがあるでしょうか?  


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古文の世界、


いまさらながら面白いなあと感じます。


ということで、今日も1日「優柔不断は誤った決定よりなお悪い」「あらかじめ○○していたら、あとで楽になる」という言葉を胸に、結果の有無に関わらず、頑張っていきましょう!



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