ムダ遣いをやめられた理由
賛否両論あるかと思いますが、僕はいつもお金について考えています。
中学生くらいから「将来の夢はお金持ち」と言っては、大人たちになんとも微妙な顔をされていました。
でもお金って大切だと思うんだよね。どうなんでしょう。
それはさておき、本題は、
お金って何なんだろう?と僕はいつも考えていました、というところから始めます。
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よく言われるのは、「お金とは信用が形を変えたもの」という定義。
お金が発明されて流通してきた歴史を見れば、確かにそうなんだろうけれど、個人的にはあんまりしっくりきていないです。
「お金=信用」意味わかりますか?笑
そもそも信用ってなんですの?と、次の疑問が湧いてきます。
個人的に一番しっくりきたのが、「お金とは単なる交換券である」と定義です。
これもよく言われている定義ではありますが、僕はこの定義のおかげで、無駄遣いがなくなりました。
説明します。
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お金は、どうやって得るものか?
当然、働いてです。(※マネーゲーム的な反則ワザは今回は無視します。)
そして、働いて得たお金で、モノやサービスを買うわけです。
それは、すなわち、「感情を得る」ということもできます。
図式化するとこんな感じ
この例では、「労働」と「モテて楽しい気持ち(感情)」を交換しています。
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では、働く時間はどうやって得るか?
それは、自分の時間を削ってです。
時間とは「命」とほぼ同義なので、つまり、「命」と「自分が得たい感情」を、お金を通して交換している、と言えそうです。
「自分が得たい感情」とは何でもよくて、
おいしいもの食べてハッピーだったり、デートして楽しいだったり、子どもにおもちゃ買ってあげて喜んでもらって嬉しいだったり、いろんなパターンがあります。
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と、ここまで考えてきて、無駄遣いって怖い、と僕は思ったのです。
お菓子やデザート、健康によくないお酒、タバコ、ギャンブル、
よく考えればいらない衝動買いした服、などなど、なんでもいいです。
自分の命を削って稼いだお金で、無駄遣いをする。
お金の無駄遣いだけなら、あまりインパクトないですが、
命を無駄遣いしていると言い換えるとどうでしょうか?
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少なくとも僕は、無駄遣いがなくなりました。
僕の場合は、一番は飲み会です。例えば、会社の後の、何の目的もない飲み会。これはなくてもいい。
むしろ、お酒のんで食べると、ぜい肉としてお腹にたまる。一人で買うコンビニスイーツもそうです。
命を削って働いて、その働いて得たお金で、ぜい肉を買う。なんだそりゃ。
ストレス発散なんて考えもできるけど、
命を削って働いて、ストレスためて、そのストレス発散のために、お金(=命)を使う。なんか変じゃない?
ストレスがたまらない仕事をすれば、すごくシンプルになるのに。
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とはいえ、飲み会をゼロにしろ、お菓子やデザートをゼロにしろ、と言いたいわけではありません。
自分にとって意味のある「命の使い方」を考えてみませんか?という提案です。
人脈づくりのための食事会、妻との会話の時間に食べるツマミとしてのデザートなど、
これは僕にとって、厳密に言えば僕の目標にとって、意味があることなので、無駄遣いではありません。
むしろ、投資です。(人間関係に「投資」という言葉は不適切かもしれないですが、分かりやすくするためご了承ください)
でも、完全な無駄遣いといえば、
グチだけの飲み会、一人お菓子、一人酒、など
これらは、命を削ってでもほしいものですか?と問われれば、僕にとっては、いいえ、でした。
その点、コンビニは誘惑の宝庫です。僕は甘いものが好きなので、どうしても買いたくなります。
でも、命を削って作ったお金で買うべきものなのか?と思うと、いらないな、と思い直すようになりました。
そしたらエスカレートして、僕にとってコンビニに並んでいるものは、「命を蝕む毒」にしか見えなくなりました。自然とコンビニに行かなくなりました。
何が無駄遣いで、何が意味のある買い物なのか。
ストレス発散のために遣うという言い訳をしてしまうと、言葉遊びだけになってしまうので、
オススメは「自分のなりたい将来に意味があるかないか」という視点です。
■■まとめ■■
お金とは、自分の時間(=命)をモノと交換する券
自分の命を、自分の人生に意味のないモノを得るために使ってよいのだろうか
僕は、いいえ、嫌だ、と思う
■■以上■■
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