【No.1224】衆人環視を利用するにも積み重ねが必要だよねというお話。

何かを達成したいなら、人に宣言するのが重要であるというのは、多くの人が知っていることだと思います。

自分一人で決めて、どんどん進めていける人もいると思いますが、多くの人はそんなに強くない。

もし本当に何かを達成したいと思うならば、いついつまでに、なになにを達成しますと人に宣言してしまうことが重要です。衆人環視の環境に、自分で自分を突っ込ませるわけですね。

ただ、これをできるできないに、レベルがあるんじゃないかと思いました。

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昨日、習い事の体験会に娘と行ってきた話を書きました。

中でも印象的だったのが、理科の実験教室でのお話。

音について学ぼうという教室だったのですが、理科の実験なので周りがみんな小学生のお兄さんお姉さんで、娘は1人若くて年中さん。

でも、先生はガンガン質問してくるんですね。「音って何だと思う?」とか、音の波の画像を見ながら「この波が大きくなったらどうなる?小さくなったらどうなる?」「この波の幅が広くなったらどうなる?狭くなったらどうなる?」

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小学生のお兄さんお姉さんの中で、臆せず手をあげていく娘の姿が印象的でした。

先生の質問に対して小学生のお兄さんが答えます。すると先生が、他の意見は?と聞きます。

今度は娘が背筋を伸ばして手をビシッと挙げます。

挙手制じゃないのにw かわいいなと思っていたら、さっきのお兄さんと全く同じことを娘が言います。僕は、お兄さんと同じ!と内心突っ込みたくなりましたが、先生は幸い優しい先生で、そうだね!と同意してくれて、娘は満足げです。

それから、なぜか挙手制が定着し、次々飛んでくる先生の質問に対して、みんな手を挙げて答えていきます。娘も負けじと手をあげます。

ただ、一人、まったく手をあげない小学生のお姉さんがいて、先生が声をかけても「分かりません」と答えるだけ。こちらも印象に残りました。

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僕の娘がすごいだろうと自慢したいわけではなくて、こういう人前で答えるのも"筋トレ"なんだろうなと思ったんですね。

娘は幼稚園でも授業参観に行くと似たような感じです。幼稚園の方針なのか、手をきれいに挙げていると当てられやすいそうで、いつもビシッと手を挙げ、「はい、きれいに手を挙げている○○さん」と当てられると、満足げです。もし参観日以外の日も同じだとするならば、日々手を挙げる筋トレをしているのでしょう。だから、初対面で年上のお兄さんお姉さんの間でも、手を上げることができたんじゃないかなと。

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話は変わりますが、最近勉強仲間が独立をしていっています。ここ1年で3人くらいでしょうか。みなさん、独立しますとfacebookで宣言して、有言実行されています。

宣言しちゃったから実現しなきゃという衆人環視の力が働いたんじゃないだろうかと考えています。

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一方で僕は、まだfacebookで、だれでも見られる形で目標宣言する筋力は、発展途上なのだと思います。会社とか、勉強仲間のとか、限られた人の間でしか、宣言することができません。しかも、締切は特に宣言しづらいです。

また、宣言できる種類の内容の目標もあります。会社員としての仕事のことは正直、テキトーに宣言できちゃいます。達成しようがしまいが、お構いなし。でも、自分自身の将来の目標となると、今はまだためらっちゃいます。

勉強仲間を見習って、文章に書いてみます。しかし、宣言したところでたぶん僕の目標のことなんて1秒後に忘れてしまう人の方がほとんどなのでしょうが、投稿ボタンを押すときに手が震えちゃうんですね。

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手を挙げる筋力、宣言する筋力を、すこしずつ鍛えていかないと!と思います。

例えば、スポーツする筋力と、ボディビルの筋力と、使う筋肉が違うと聞くこともあるので、人によって、宣言しやすい事柄と、宣言しづらい事柄があるようにも思います。

絶対宣言しなければいけないということはないですけれど、限られた人の間だけでも宣言できたほうが、達成するスピードは早まるように思います。衆人環視の力を実感すればするほど、宣言したほうがよいと強く思うのです。

だから、宣言する筋力を鍛えていこうと思います。そのためには、小さな目標から、狭い友人関係から、少しずつ宣言していくしかありません。宣言するには、ちょっと緊張するな程度の負荷を少しずつかけていくしかありません。

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ということで、今日も1日「優柔不断は誤った決定よりなお悪い」「あらかじめ○○していたら、あとで楽になる」という言葉を胸に、結果の有無に関わらず、頑張っていきましょう!

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