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深夜のラーメン

「よし、ラーメン食いにいくか!」

 子どもの頃、父はときどき私を深夜のラーメン屋に連れて行ってくれた。夜の10時を回った頃で、小学生が外出するには遅い時間だった。しかし、父がラーメンを食べたくなるのはいつも気まぐれで、飲み会から帰って来てからとか、近所に来たラーメン屋台の巡回を逃してしまったからとか、その食べたい欲求が現れる理由は様々だった。
 私はその深夜ラーメンが好きだった。いつもは寝てる時間に外出する非日常感と、カウンターに座って料理をしているおばさんの様子を眺めるのが楽しかった。鍋から沸き立つ湯気と、酔った客たちの熱気でガラス戸はいつも曇っている。そんなお店の雰囲気が今でも思い出に残っている。

 大人になった今では、深夜にラーメンを食べたくなる気持ちはよく分かる。無性に食べたくなり、罪悪感に苛まれながらも新潟市のラーメン屋まで車を飛ばしたのは20代の頃。今では家族もいるし、加齢による胃粘液不足が足かせとなってなかなか行動には移せない。

 先日、連休を利用して妻子だけが帰省する機会があった。久しぶりに1人時間を得た私は、夜のドライブに出かけた。日中も車を運転しているのに、プライベートも運転する。それ程、運転席は私にとって居心地のいい場所なのだ。普段は妻の通勤で独り占めされている三菱の愛車と語り合う。仕事とは違い好きな音楽をかけながら楽しむために運転するのだ。ちなみに私はプライベートでも安全運転だ。
 前から気になっていた道を行って「ああ、ここに出るのか」なんて気付きを貰いながら1時間ほど走る。運転は無心で居られる大切な時間だ。何かに集中することで頭の中を空っぽにし、また何かを詰め込むスペースを作る。
 ある程度満足して自宅への帰途に切り替えたとき、ちょうど胃袋から空腹の合図が鳴った。昼食がズレ込んだこともあって夕食を食べていなかったのだ。
 「そうだ、久しぶりにあのラーメンを食べよう。」

 あの頃に行った深夜のラーメン屋は、外観が新しくなりながらも、変わらない場所にあった。新装オープンで前を通った時は、暖簾がかかっていた印象だったが、この日は出てなかった。もう閉店したのかな、と中を覗くも曇っててよく見えない。カラカラと入口の戸を開けると、女性がひとりカウンターの中で洗い物に集中していた。奥には一組のアベックがいて、声の音量と赤い顔から酒宴の帰りであると直ぐに分かる。店内も綺麗な改装がされていたが、あの頃と雰囲気は変わらない。

 その女性に「こんばんは」「いいですか?」と2度ほど声をかけるも反応がない。洗い物に集中し店内の雑音に私の声が負けている。「すいません」と三度目のトライで「あ、いらっしゃいませ!」と気付いてもらえた。同時に「すいません、いま女将さんが出ていて、すぐに戻りますので待っててもらえますか?」とのこと。暖簾がかかっていなかった理由はこれだったのか。今夜は独り身で、時間は無限にある私は「はい」と返事をしてカウンターの一席に腰かけた。
 メニューには10種類程の品物が記載されている。数百円でラーメンにミニ炒飯を付けられるとのこと。「よし、これにしよう。」こんな気持ちの良い夜は、胃粘液も3割増しになる、ような気がする。深夜に飲食することの罪悪感は、無い。
 予め、味噌ラーメンのミニ炒飯セットを注文しておき、メニューを眺めたり、店内のテレビを観たりして待つこと数分、カラカラと戸が開き女将さんらしき年配の女性が入ってきた。
「すいません、お待たせしました」
 自分が外出する時には居なかった客が座っているので、待たせてしまったと察したのだろう、こちらに声をかけてくれた。「いえいえ」なんて返事を返すと、女将さんは直ぐにカウンターに入り料理に取り掛かった。

 再びテレビに視線をやり、隣のアベックの会話を拾う。酔った男性の話に女性が相槌を打ち続けている。二人はどんな関係性なんだろうと想像しながら、スマホとテレビを行ったり来たりする。普段、子連れで入る飲食店ではそんな自分の時間も無い。6歳と3歳の子どもがいれば、醤油を溢さないように、子どもが騒がないようにと気を張らなければならない。こうして、ラーメンを待つ何でもない時間を、何でもなく過ごすことが気持ちいい。

 「はい、お待たせしました」と前から味噌ラーメンと炒飯が登場した。味噌の香りが心に充満し、思い出が脳みそに湧き出て来る。乗っている野菜炒めは控えめだ。主役はラーメン、野菜がメインを奪ってはいけない。 
 一口、スープをすすれば濃厚なコクが広がって、太麺をすすればそのスープが絡みついて美味しい。炒飯はお米の一粒一粒に油がコーティングされてキラキラ光っている。サッパリした炒飯は家庭で作ればよい。強火の中華鍋でしか完成しないお店の炒飯はこうであるべきだ。
 いつか、盲目でグルメのお客さんが言っていたのを思い出す
 「炒飯は、パラ・ぺちゃ、が良い」
 そうだ、これが炒飯なんだ。

 心から満足すれば、自然と口から出て来るのは「ご馳走様でした」の挨拶だ。料理とこの空間にまた会えたことの感謝を女将さんに伝えると、せわしなく冷蔵庫から何かを取り出してカウンターから出てきた。

「はいコレあげる。バレンタインのお菓子。」

 ラーメン屋さんでバレンタインのプレゼントを貰えるとは思っていなかった。しかし、貰えると思っていなかった女の子からバレンタインを貰えることほど嬉しいものは無い。小さい透明な小袋の中には、ボールの形をしたクッキーが数個入っている。胡桃が入っているそうだ。

 今日は久しぶりに来たこと、妻子が帰省していて自由であること等、少しだけ女将さんと会話を交わす。胡桃のクッキーもさることながら、こんな風に心を通わせる店はどれだけ五泉にあるだろう。そんなひと手間が、また客をリピートさせるのだろう。地方の町で長く商売を続けるひとつの要素だ。

 外に出ると、深夜の冷え切った空気が街を包んでいた。それでも温かい気持ちで居られるのはこの店でラーメンを食べたからだ。車に乗り込むとさっそくクッキーを口に放る。美味し。深夜にラーメンと炒飯とクッキーを飲食する罪悪感はどこへやら、帰途のアクセルをふんわりと踏んだのだった。


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