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冷笑

意味 さげすみ笑うこと。せせら笑うこと。あざわらい。(コトバンクより)

 沖縄県辺野古で行われている米軍基地移設工事の反対運動に対し、ある有名人がSNSで言葉を放った。そのSNS投稿に対するコメント欄には、反対運動に対する冷笑が日本中から書き込まれている。今もなおぶら下がり続けている醜いコメントは、現代日本の縮図そのものであり、到底「美しい日本」とは言えない。

 「沖縄が抱える様々な問題は複雑に絡まり合い、構造的にも解決が困難となっている。」そんなフレーズは普段、沖縄県外で生活している私たちでも耳に入るはずだが、それがなかなか人の奥の方まで届かない。
 沖縄は太平洋戦争下、唯一日本の陸地に米軍が上陸し戦争が行われた場所である。また日本軍兵が市民に促した集団自殺があった県だ。その後は日米地位協定により、米軍人が主婦をひき逃げしても、ヘリを市街地に墜落させても、少女を暴行しても、耐えることを強要されてきたのが沖縄なのだ(1995年 地位協定の一部改善あり)。
 そんな歴史的背景も「なんとなく」しか聞いたことのないのが県外の無関心な日本人たちだ。多くの悲劇すらも暗号程度にしか頭に留まらない。最近ネット上では「日本の防衛に米軍基地は欠かせない」と基地反対派を非難する者が目につくようになった。沖縄の人々がこれまで耐え忍んできた憤怒や慟哭を想像することは出来ないのか。知識と想像力さえあれば、反対活動に対して冷笑するような書き込みなど到底できないはずなのに。土砂を運び込む大型ダンプは、沖縄の怒りや悲しみを燃料にして動いているのかもしれない。
 私たち大人が子供たちに見せるべき表情が冷笑や嘲笑であってはならない。誰かを見くだし、自分の優位性に自己満足する大人であってはならない。私自身、基地建設について意見を言える立場ではないが、現場で育ち、暮らし、座り込み続ける人々の感情は同じ日本人として想像しなければならない。その姿勢こそ、未来をつくる若者に示す眼差しであり、県外の人間が出来ることではないだろうか。


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