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じぶんよみ源氏物語24 ~脇役と主役~

少数派は切り捨てられるのか?

多数決の時代。
学校の校則の決定から国政選挙まで、
多数決は民主主義のルールと言われれば
それまでです。

一方で、真の民主主義とは、
一人ひとりの権利が守られること。
多数決で敗れた人たちの声をどう汲み取るか、
ということも同じように大切なはずです。

えてして、
少数派は弱者になってしまいます。
長い物に巻かれることを余儀なくされるから。
その長いものが世の中の主流になっていく。

とはいえ、真実とは数の大小ではない。
むしろ、本質は、
弱者のささやきの中にあると私は思います。

平安時代には、
強大な身分制度がありました。
今でもたまに威張っている人を見かけますが、
おそらくそんなものじゃなかったはずです。
身分の差はそのまま人格の差を表しました。

宮中に入り、少しでも職位を上げて、
自分の存在価値を示したいというのが、
当時の貴族たちの本音だったと想像します。

では、それ以外の人はどうか。
価値のない人格だったのか。
もちろん、そんなことありえません。

今も千年前も人間の心は同じだということを、
源氏物語は私たちに教えてくれています。
この古典文学は、少数的弱者の声を、
私たちに伝えてくれているのです。

さあ、前回に引き続いて、
第14帖「澪標」の巻を読んでいきましょう。


1、明石の君の場合

光源氏が都に復帰したのち、
明石の君は父の入道と共に明石に残って
日々、生活していました。

三月、姫君が誕生しました。
明石の君の心は複雑です。
光源氏の子供を産んだ喜びと、
主人との身分差への絶望感の同居。

その年の秋、
明石の君は、住吉神社を訪れます。
出産により滞っていた地場の神への参詣です。

舟を使って海路を来た明石一行は、
岸辺が賑わっている様子に気づきます。
折しも、光源氏が須磨での願ほどきに、
住吉神社に参詣していたのです。

光源氏の御一行は
奉納品を持たせた行列が続き、
豪華な高級貴族の間には光源氏の車が。

遥か遠くから眺めると、
心が締めつけられて、
恋しい姿を見ることができません。

(明石の君)
なかなか、この御ありさまをはるかに見るも、
身のほど口惜しうおぼゆ。

(訳)
中途半端に
あの方の華やかな姿を遠くから見ると、
自分の身のほどが思い知らされて、
苦しい思いが込み上げてきます

「口惜し」とは失望すること。
身分差を思い知らされるのです。
後になってこのことを知った光源氏は、
文を遣ります。

(光源氏)
みをつくし恋ふるしるしにここまでも
めぐり逢ひけるえには深しな

(訳)
身を尽くして恋をした証拠に、
澪標みおつくしで知られる難波に来たのです。
ばったり逢うなんて、
あなたとの宿縁は深いですね。

「澪標」とは川や海に立てた木製の杭のことで、
船に水路を知らせるもの。
「身を尽くし」の掛詞です。
明石の君はこう詠み返します。

数ならでなにはのこともかひなきに
などみをつくし思ひそめけむ

(訳)
人の数にも入らない身分の私が、
何を願っても甲斐がないのに、
どうして身を尽くしてあなたのことを
思うようになったのでしょう。


弱者としての身。
明石の君は、それでも、いえ、だからこそ、
光源氏に、
自分の存在を想い、声を聞いてほしいという、
心の叫びを訴えかけるのです。


2、宣旨の娘の場合

平安時代、
貴族女性は自分で母乳をあげませんでした。
乳母めのとを雇って、
授乳だけでなく、着替えや子育て全般を
担当してもらいました。

ということは、
都の中から、幼子がいる女性を
探さなければならなかったのです。

白羽の矢が立ったのは、宣旨せんじの娘でした。
光源氏は、この女性が、
身よりのない境遇で出産した噂を聞きつけ、
明石の姫君の乳母に採用します。

とはいえ、
都育ちの彼女を明石に派遣することに
心苦しさを抱いた光源氏は、
彼女に精一杯の思いやりをかけます。

宣旨の娘の到着に明石一族は大歓迎です。
彼女の方も光源氏が大切に思う姫君を
養育できる喜びを感じるようになり、
つらい思いも次第に慰められていきます。

時が経つにつれ、
明石の君もすっかり打ち解けて、
光源氏とのエピソードを語ったり、
光源氏から届いた手紙を見たりします。
幸せそうな明石の君を見て、
宣旨の君は、こう思います。

「あはれ、かうこそ思ひの外に
めでたき宿世すくせはありけれ。
うきものはわが身こそありけれ」

(訳)
ああ、自分の知らなかった
こんなに幸せなご縁が世の中にあったのね。
源氏の君にここまで愛される人がいるとは。
それを思うと、
私の身の上のつらさが際立つばかりです。

宣旨の娘は、乳母として、
源氏に愛される女性の幸福を目の当たりにして、
弱者としての我が身のほどを思い知らされます。

彼女の心の声は、
光源氏にも明石の君にも届きません。

けれども、その代わりに、
千年もの間、この物語を読んできた人々の心に
届いているのです。


3、六条御息所の場合

「澪標」巻の後半、
かの六条御息所が病気で亡くなります。

斎宮さいぐうとして伊勢神宮に仕えていた娘も
任務を終え、
その後、都にてひっそりと暮らしていました。

六条御息所は、臨終に際して、
光源氏に娘のお世話を託します。

まして思ほし人めかさむにつけても、
あぢきなき方やうちまじり、
人に心もおかれたまはむ

(訳)
(父親に託すのでさえも女の子は心配なのに)
まして娘の世話役が、
私が想いを寄せたあなたとあれば、
情けないことも起こってしまい
世の人たちから疎んじられるでしょう

六条御息所は、
彼女自身の経験からしても、
娘にはそういう苦労はさせたくないと
光源氏に訴えて、この世を去ります。

セルフコントロールを失い、
魂が物の怪と化した貴婦人。

光源氏を思うがゆえではあったものの、
世間からの人笑へを何よりも恐れ、
社会の隅っこに追いやられた弱者。

ところが、彼女の死後、
その遺言通り、愛する娘は光源氏に庇護ひごされ、
彼女が生前成し遂げられなかった
輝く名誉をつかむことになるのです。


脇役は弱者?

いいえ、
脇役こそが、主役なのです。


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