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じぶんよみ源氏物語 21 ~出会いは風の中に~

風の歌を聴け

よくよく考えてみると、風って、
私たちの生活の中で色々なことを伝えます。
「風の噂」で情報が伝わるし、
「風邪」はウイルスを伝染させ、
五月は「風薫る」季節です。

八百万やおよろずの神と言いますが、
日本人は風に命を見出し、
風の中に何らかのメッセージを
感じ取ってきたのかもしれません。
ロマンティックな感性だと思います。

目には見えないけど、動いている。
草木や波も風が動かしている。
たしかに神様のようにも見えます。


須磨にも風が吹いていた

光源氏の須磨での生活にも、
風の声が聞こえてきます。

寂しさをいっそう強めたのは、
須磨の秋風でした。

(光源氏)
恋ひわびてなくにまがふ浦波は
思ふ方より風や吹くらん

(訳)
浦波が、
恋しさに苦しんで泣く声に聞こえるのは、
私のことを思う人がいる方向から
風が吹いているからだろうか

ところが、翌年の春、
須磨の風は、急に表情を変えます。
陰陽師おんみょうしを呼んで、
浜でおはらいした時、
光源氏が和歌を詠んだ直後でした。

(光源氏)
八百よろづ神もあはれと思ふらむ
犯せる罪のそれとなければ

(訳)
八百万の神々も、
私を憐んでくださるだろう。
犯した罪が大したほどでもないのだから。

その途端、
急に風が吹き始め、空が真っ黒に。
お祓いも終えないうちに、浜は大騒ぎです。

夜になると雷は止みましたが、
風だけが吹いています。

少し寝入りかけたところに、
枕元に「そのさまとも見えぬ人」が現れて、

など、宮より召しあるには参りたまはぬ

(訳)
どうして宮が呼ばれているのに行かないのか

と言って光源氏を捜し回っています。
光源氏は目が覚めて、
海竜王に好かれてしまったのではないかと
恐ろしくなります。


風向きが変わってきた

ここから第13帖「明石」の巻に入ります。

数日経っても暴風雨がやまない中、
紫の上から手紙が来ました。

都も雨が降り続き空は雲に覆われるため、
どの方向を見てあなたを偲べばいいのかと。

(紫の上)
浦風やいかに吹くらむ思ひやる
袖うちぬらし波間なきころ

(訳)
そちらの浦風は
どんなに激しく吹いていることでしょう
私の袖が涙で濡れて乾く間もない
今日この頃に

紫の上も、風に問いかけています。
風は都と須磨をつなぐ存在でもあります。

それでも、暴風はますます強くなり、
付き人たちは、
自分はどんな罪を犯したのかと嘆くばかり。
光源氏の心の奥には、
藤壺と犯した恋がよぎります。
こうなったら、もう神頼みしかありません。

(光源氏)
住吉の神、近き境を鎮め護りたまふ。
まことにあとを垂れたまふ神ならば、
助けたまへ

(訳)
住吉の神よ、あなたはこの辺り一帯を
鎮護しておられます。
もしあなたが、仏様と関係が深いならば、
助けてください。

そうやって海の神々に祈願すると、
雷はいっそう強くなり、
ついに屋敷に落ちて火が上がりました。


風の間から星がキラリ

ところが夜になると、
ようやく風が止みました。
人々は神を感じます。

(光源氏)
海にます神のたすけにかからずは
潮のやほあひにさすらへなまし

(訳)
海におられる神の助けにすがらなければ、
きっと八方から潮が集まる深い海に
漂っていたことでしょう

するとその夜、
枕元に亡くなった父・桐壺院が現れて、
光源氏にこう告げるのです。

(桐壺院)
住吉の神の導きたまふままに、
はや舟出してこの浦を去りね

(訳)
住吉の神のお導きのままに、
船を出してこの須磨の浦を立ち去りなさい

桐壺院はさらに続けます。
今から都に上って、
朱雀帝にお伝えすることがあるのだ、と。


風上からやってきた人

桐壺院の登場にうまく寝られなかった朝、
浜辺に小舟が漂着し、
二、三人ばかりがやってきました。

かつて噂に上った明石入道あかしのにゅうどうです。
「荒波に紛れてやってきたのはなぜでしょう、」と
入道はとぼけています。

実は、入道の方も、どうしても
光源氏に会いたい理由があったのです。

源氏も、
あの暴風雨の中、
どうやってここまできたのかと
理解できませんでしたが、

入道は、
夢の中で不思議な姿の人が現れて、
風が止んだら船を出して須磨に行くようにと
お告げがあったと言います。

(明石入道)
あやしき風細う吹きて、
この浦に着きはべること、
まことに神のしるべ違はずなん

(訳)
不思議な追い風が船だけに吹いて、
この浦に到着しましたこと、
本当に神のお導きに間違いありません

これを聞いた光源氏は、
あれっ、それって私と同じ話じゃないか、
と単なる偶然の気がしなくなるのです。
それで船に乗って、入道たちとともに、
異境の地・明石へと向かうことにします。

すると、また風が吹いてきて、
あっという間に明石に着いてしまいます。

なほあやしきまでに見ゆる風の心なり

(訳)
やはり不思議ままでに思われる風の心である


運命の風が吹く

須磨の近くにある甲子園球場では、
「浜風」が名物になっています。
潮風がライト側からレフト側に吹くため、
ライト方向の打球が押し戻されるのです。
これが勝敗に影響する場合もあるところが、
この球場にドラマをもたらしています。
「グラウンドに神様がいる」
と言う人もいます。

人生の流れにも、
風向きを感じることがあります。
何をやってもうまく行くこともあれば、
その逆だってある。

ある人と出会ってから
風向きが変わることはよくあります。

見えていることは必ず実現する、
というのが私の考えです。

では、見えないものはどうか?

そもそもこの世の中には、
見えないものの方が多かったりします。

例えば、思考や感情は、
行動に起こさない限り見えません。

でも、見えないからといって無ではない。
ならば、その見えないものは、
いったい誰が動かしているのか。

自分だけのことならまだしも、
他人との出会いなど複合的なことは、
全くの偶然か、
それとも必然の風が吹いているのか。

須磨の風は、
光源氏をさらに遠くの明石に導きます。
そこでは彼が栄光の階段を上るための、
運命の出会いが待っているのです。

住吉の神の導きによって。

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