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じぶんよみ源氏物語27 ~平和な戦い~

武器よさらば

平安時代は
大規模な戦乱がありませんでした。

武士が台頭していなかったという意味で、
平和な時代でした。

ただ、
政治的な駆け引きは、もちろんありました。
その決戦の時に行われたのは、絵合えあわせ

左方と右方に分かれて、
それぞれの絵のコレクションを持ち出し、
判定を受ける、というバトルでした。

これが日本の戦いの原点だと思うと、
誇らしい心持ちになりますね。


帝の心をつかむのは、どっち?

源氏物語、第十七帖「絵合えあわせ」巻です。
今回のバトルは、
冷泉帝の心をつかむことがテーマ。
出場者は以下の通りです。

左方
梅壺女御うめつぼのにょうご(六条御息所の娘)
・支援者:光源氏と藤壺入道(かつての藤壺)

右方
弘徽殿女御こきでんのにょうご(権中納言の娘)
・支援者:権中納言ごんちゅうなごん(かつての頭中将とうのちゅうじょう

拮抗きっこうした展開の末に、
勝利したのは、左方・梅壺女御でした。

左なほ数ひとつあるはてに、
須磨の巻出で来たるに、
中納言の心騒ぎにけり。

(訳)
左方から、最後の順番に、
光源氏が描いた須磨の絵日記が出てきて
権中納言は動揺してしまった。

絵の名手である光源氏が、
心を澄まして描いた作品。
流離の地で味わった悲哀が綴られ、
浦や磯が鮮明に再現された絵日記に、
参加者は釘付けになってしまいます。

この絵合の勝利を機に、
梅壺女御は、
冷泉帝を取り巻く女性たちの権力争いの
優位に立つのです。

前帝が即位した際、斎宮さいぐうとして、
母・六条御息所と共に仕えた
伊勢の神様が味方したのでしょうか。


すべては時間が解決する

ここまで読んで、
あれっと思われた方もおられるでしょう。

かつて禁断の恋に落ちた
光源氏と藤壺がタッグを組んで
梅壺女御をサポートしている。

そもそも、冷泉帝は、
この二人の不義の子です。

藤壺は、罪の意識と
度重なる光源氏の求愛から逃げるように
出家していました。

出家といっても、
山に籠るのではなく、在家出家。

この二人はもはや
かつての恋人同士の関係ではなく、
冷泉帝のために手を携える
同志になっています。

二人は、すでに禁断の愛を清算し、
我が子・冷泉帝の政権を安定させるために、
宮中の複雑な人間関係をまとめることに
尽力しているのです。

それほど、
時間が経ったということなのでしょうか。
あるいは、母は強し、ということなのか。

いずれにせよ、
二人とも成熟した大人になったようです。


かくして、光源氏は、
自身が天皇の座につくことはなかったけど、
息子が天皇になるという形で
栄華を手に入れるのです。
父・桐壺帝が招いた
占師の予言通りとなりました。


栄華は代償をともなう?

欲しいものを全て手に入れた人には、
何が残るのか?

光源氏の場合、
それは自分の命を慈しむ心でした。

大臣ぞ、
なほ常なきものに世を思して、
今すこしおとなびおはしますと
見たてまつりて、
なほ、世を背きなんと、
深く思すべかめる。

(訳)
源氏の君は、
やはり世の中を無常なものに思われて、
帝がもう少し大人になられるのを
見届けてから
やはり世を逃れて出家しようと
深く思われているみたいだ


先例を見ても、
身の丈を超えた栄華を手に入れた人は
長生きができなかった。

光源氏は、
嵯峨野に仏堂を建造します。

六条御息所と梅壺女御が
神に仕えるために潔斎けっさいした
野宮神社の近くです。

現在の清涼寺がそのモデルとされています。
源融みなもとのとおるが建立したお寺ですね。

光源氏が若い頃、
物の怪に取り憑かれて夕顔が亡くなった、
あの河原院も源融が作ったもの。

現実と虚構がシンクロし始めます。

出家を志す光源氏ですが、
まだまだ現実社会でのドラマは続きます。

神様は、そう簡単に
楽にはさせてくれなかったのです。

栄華を極めた者には、
それ相応の代償を払ってもらいますよ、
というささやきが
遠くから聴こえてくるようです。


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