僕が長崎を応援するようになるまで。

「サッカー」

それは世界中で愛されているスポーツだ。ボールが一つあればサッカーはすることができる。手を使わずにボールをコントロールし、相手より多くゴールを決めた方の勝ち。細かいルールはあるが基本はこれだけ。実にシンプルでわかりやすい。4年に1度のワールドカップは世界中の人々が熱狂する。


そんなサッカーを皆さんはいつから好きになっただろうか?

そしてJリーグをいつから見るようになっただろうか?


きっかけは人それぞれだ。その出来事が偶然だったってこともあるのかもしれない。それでも各々サッカーやJリーグの魅力にはまりそして今も見ているし応援していると思う。


今回は自己紹介という意味もかねて僕がサッカーにはまっていくようになった理由と、「V・ファーレン長崎」を応援するようになった理由について書いていこうと思う(自粛期間中で休日に家にいる時間が多いので今のうちに書いてみようと思いました)。



1. サッカーとの出会い

僕がサッカーに出会ったのは小学校二年生の秋だった。

そもそも幼少期は凄くおとなしく、人見知りがとことん激しかった。運動は大嫌いだった(特に長距離)。身体も弱く、毎月風邪を引いて病院に行くくらいの貧弱さだった。島生まれ(上五島生まれ)だから凄く活発だったと思う子も多いだろうが、僕はそういう子ではなかった(外で遊んだりはしてたけど家の方が好きなのだ)。

そんな状況を心配した親は僕に何か習い事(運動)させようと思ったらしい。なぜか未だにそのときの記憶が残っているのだが、父親と風呂に入っているときにこう提案されたのだ。


「陸上、バスケ、サッカーのどれをやってみたい??」


陸上は当時中学生だったいとこがやっていたから(その年に全中までいって応援しに行った)。バスケもこれまたいとこがやっていたから。じゃあサッカーはなぜ勧めたのかというと、特に理由はなかったらしい。


ここで小2のtaiga少年は考えた。走るのは嫌いだから陸上はありえない。バスケは興味がない。サッカーは友達もやってるから楽しそうだな。サッカーに入ろうかな。

友達が入っているから。それだけの理由でサッカーを始めることにしたのだった。別に○○選手がかっこいいからああなりたい!とかで始めたのではなかったのだ。こうして僕はサッカーを始めたのであった。



2. Jリーグが気になったきっかけ

じゃあ、Jリーグには興味を持ったきっかけは何だったのか。

それは小3の時。2006年である。とある大会で僕は運営からこんなものをいただいた。


え?アビスパ??????

そう、僕はアビスパ福岡のイヤーブックとボールペンを貰ったのだ。

当時のアビスパ福岡は現V・ファーレン長崎アカデミー育成部長の松田浩さんが監督をしJ1の舞台で戦ったシーズンであった。

当時のアビスパのメンバーには今やアビスパ福岡のレジェンド的存在である城後寿選手が2年目。昨シーズンまで長崎に所属していた中村北斗選手が3年目。さらには神山選手や山形選手や六反選手。長崎に在籍したこともある岩丸選手や有光選手といった選手たちが在籍していた。

ゆえに僕は試合が気になってアビスパの試合を初めて見てみたのだ。それを機にサッカー見るのが楽しくなって色んなJリーグの試合や代表戦を見るようになっていたのだ。アビスパのオフィシャルイヤーブックを貰っていなかったらJリーグを見ることはあまりなかったと思う。海外サッカーばかりみていたのであろう・・・。

ゆえに、僕は今でもアビスパ福岡の試合をよく見ていたりする。ちなみに城後選手が密かに好きだが、今年からフアンマ選手が来たのでそっちも気になる(長崎のユニ買ったんだよね)。



3. V・ファーレン長崎との出会い

そもそも2006年の時点でV・ファーレン長崎というクラブは存在していた。九州リーグ2年目の年であった。多分一番最初のクラブとの出会いは上五島であった小学生を対象にしたサッカー教室だった。記憶が正しければ小学校五年生(2008年)のときだと思う。選手数人と当時の小峯社長が来ていた。すごくすごく楽しかった記憶がある(ちなみにこのときはヴィヴィくんは存在していない)。


それから1度試合を見に行く機会があった。ただ対戦相手の記憶が無い。。同じ年の夏。長崎県立総合運動公園陸上競技場(現トラスタ)に見に行った記憶がある(調べたら多分ヴォルカ鹿児島で2-1で長崎の勝利)。

行った記憶は凄く残ってはいる。暑い中見た。メインで見た。選手が走っている。上手な人たちがやるサッカーってこんな感じなんだ。そう感じた記憶。ちなみにそのときに買ったタオルが実家に置いてある(未開封のもある)。


最初に見た試合って試合内容は覚えていなくても勝ったと言う記憶と試合の光景は今も心に残ってるんだなと感じる。

ちなみに2008年でV・ファーレンはJFLに昇格したのであった。



4. 中学時代・高校時代

小学生の時サッカーは最後までやった。基本的には右サイドバックをしていたのだが、最後のほうでは右のワイド(昨シーズンの長崎だと大竹選手の位置)で走ってクロスあげて走ってクロスあげてを繰り返していた。

僕らの代は結局同級生が3人しかいなかったけど楽しかった(うち1人は転勤族だったので、本土に戻った後は高校までサッカーしてた)。


中学生の頃、僕はサッカーじゃなくてバスケ部に入った。

なぜサッカー部に入らなかったのか。それは簡単なことだ。


島の中学校にサッカー部がないから。


非常にシンプル。一時期はサッカー部を作ろうという動きもあったらしいのだが・・・。

んでもって僕は何部に入るか迷ったあげく、当時自分の弱みであった持久力を鍛えようとバスケ部に入ったのであった。

ただ、サッカーはやめたわけではなく。クラブチームみたいなところでしてた。金曜日、部活をした後にサッカーをしに行く。今思うとやばい生活をしていたんだなと思う(元気すぎんか自分)。


中学の時はバスケもみんなのおかげで県中まで行った。あと、陸上で短距離走の選手として走らせて貰った(100m,200m,リレー)。なにげ楽しかった。

サッカーは宅島杯という知ってる人は知っている大会があるんだけど、それに出場した。二年生の時に小峯さんが試合を視察していた時もあった笑

ちょうど中学を卒業するタイミングでV・ファーレンはJ2へ昇格した

TVで開幕戦を見た。アウェイ岡山戦。先制点は長崎の佐藤選手。そのまま試合に勝てるかと思いきや、最後の最後でGKの岩丸選手(さっきアビスパの話で登場した)が痛恨のファンブルをし、同点を決められ試合終了。


実はあれ以降、未だにアウェイ岡山戦は勝利したことのないV・ファーレンなのである(ハッピージャムジャム最高!とかいえないくらいに相性がよろしくない)。


高校時代はサッカー部に入り、サッカーばかりやってた。実はあの頃が一番楽しかった(そりゃそう)。結局高校では存分にサッカーをやりきった。

(GKも含めて、DFライン全部やってました)


↑↑↑最後の高総体の時。

高校時代はツイッターやテレビなどで長崎の試合を見たり情報を追っかけていたのだった(現地も何試合かいったよ)。3-4-2-1の面白さにかなりはまった時期だ。



5. そして遠征しまくる

大学は全然希望していない大学に行ってしまった。

最初の二年は自分のやりたい勉強をしようということで色んなものに手を出していった。サッカーから一番離れていたのはこの時期。

自分のやりたいことがないまま入ってしまった大学。せっかく進学したのに遊ぶだけではつまらない。だから自分のしたいことを見つけるために学んだのであった。結果見つけたから良かったのだけど。


そんなことしてる時、クラブが危ないって話が耳に入った。2017シーズン、DAZNを契約してちょいちょい見ようとしていたときだ。不安で仕方なかったが僕には見守ることしかできなかった。

この出来事をとおして思ったことがある。それは県外だと全然情報入ってこないんだなと。

情報をもっと仕入れたいと思ってtwitterであたらしいアカウントを作った。それが今やメインアカウントになっている(いつもありがとうございます)。

長崎に戻って就職しようかなとぼんやり考え始めたのはこのときからである。ホームである長崎にいたほうがV・ファーレンの情報が入ってきやすいからだ。


結局17シーズンは髙田社長という救世主が現れて、クラブも快進撃をみせて昇格を果たした。メンバーを見てたまに思うけど、ほんと昇格できたのすごい(別にいい選手がいないという意味ではなく、入れ替わりの激しいチーム事情で良くこれだけの成績をあげれたなと)。


大学二年が終わる頃に単位をほぼ取り終わってしまった僕は、現地参戦数を増やすことを目標にした。

交通費でホームで往復8,000円。アウェイだと15,000~20,000円かかるのだが、なんとかしてやりくりしながら参戦した。何しろ18年は初めてのJ1だったから。夢であったスタジアムに自分の応援しているチームが試合するなんてどれほど感無量であったか。。。

結局それから現地に行くたびにお知り合いになっていく方も増えた。知り合いが増えると見に行くのがどんどん楽しくなる。また行く。これの繰り返し。こうして僕は年間20試合以上の試合を見にいったのであった。


そして今年、大学を卒業し、長崎にUターン(正確にはJターン)してきたのであった。

今は新型コロナの影響でサッカーも開催されていない。

早く大好きなチームが試合をしているのをスタジアムで見るのを心待ちにしながら社会人1年目を過ごしたいと思う。


県外に住んでるとき、スタジアムに行くとそこには長崎出身の方が多くいて、故郷の雰囲気を感じることが出来ていた。だから県外に住んでいたのに現地に足を運ぶ回数が増えたんだろうなと思っている。

どこまでサッカー観戦を続けるのだろうか。飽き性な性格なのにサッカーを観る事に関しては小さい頃から飽きてない。それくらい僕の中でサッカーは心に根付いているのである。。。




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