「観る」と「見る」の違い
以前、ある企業に勤務していた頃、社員教育の中でしつこいくらい出てきた話が、【魚が焼けるのを見ていなさい】という話だ。
昔、ある商人が丁稚小僧に、「ちょっと出かけてくるから、今焼いている魚を見ておいておくれ」と言ってでかけた。
用を足した商人が家に戻ると、魚はなんと真っ黒こげになっていた。
「おい!お前、あれほど言ったのに、なぜ魚を見てなかったんだ!」と
丁稚につめよると、
『へい旦那様、ちゃんと魚を見てましたよ!』と余裕で答えた。という話。
社員教育の中で教えられたのは、こんな社員になってはいけないという点でした。
ただ、僕は“こんな社員になってはいけない”という教育係の話にちょっと違和感を覚えた。
言っている事は分からないでもありません。
でも、例えば最近なにかと話題の「発達障害」と言われるような人の中にも、この丁稚さんのようなタイプは少なくありません。
つまり、言われた「字面(じづら)通り」の事しか受け取れないタイプ。
でも、このタイプって必ずしも能力が低いとか、使えない社員ってわけではないのです。
別に擁護するわけじゃありませんが、このタイプの人たちは、別の部分でとてつもない能力を秘めていたりするケースがほとんどなのです。
だって少なくとも、上司の命令を、何の疑問も感じることなく、言われた通りに忠実に守っているわけじやないですか?
今日、逆にこれだけ上司や会社に忠実な社員ってどれだけいますか?
このケースの場合は、魚を焦がした丁稚さんというよりも、むしろ、その忠実さを上手に使いきれない上司である、商人こそにマネージメント能力が足りないわけであり、
さらに言うと、毎日接している部下である丁稚さんの性格気質を把握しきれていないところに問題があると感じたのです。
そしてもっと感じたのは、それを知ってか知らずか、商人側の落ち度には全く触れず、ひたすらこの丁稚のようになるなと、繰り返し新入社員にすり込もうとしていた当時勤務していた会社の教育係の能力の低さでした。
それから十年もしないうちに、その会社はこの世から無くなりましたが、そのような間抜けな教育を脈々と行っていた会社が、栄えるはずがありません。
丁稚さん以上に、その会社は「観る」べきものを「見て」いただけだったのです・・・。
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