『生きる LIVING』と『生きる』
4月28日追記しました。
『生きる』1952の後半をもう一度見た。
これはつまり当時の製作者、監督、脚本家は意識していたのか、わからないけれどこの映画の主人公である渡辺勘治は
天皇陛下=昭和天皇のイメージの投影ではないのか
天皇はこうあって欲しいという庶民の無意識の願望としての。
そして、現実の天皇陛下はそうではないから願望なのだが。
さらに、助役を筆頭とする役所の面々
これは天皇を現人神として持ち上げた軍人や政治家
そして渡辺勘治が最後に己の命をかけて造成施工させた
あの公園は、戦後の日本、なのではないか。
そう考えると色々辻褄が合っていたり、納得できる事が多いと思う。
渡辺勘治が死んだあとあんなに彼の生き方に感動していたはずの役所の同僚が、結局元の木阿弥、自分の意思などなくただ上からの命令指示に従うだけの存在に戻ってしまった。
その同僚が夕方、役所からの帰り道、その公園の上を通り、子供の遊ぶ姿を見て涙ぐみながら歩きさるラスト。
そこには渡辺勘治とはちがい、生きた証をなにも残せなかっ人々・・・全く無駄に死んでいった、多数の、
死ぬことを強要された特攻隊員や原爆の犠牲者や焼夷弾で焼かれた民間人や沖縄の人々の影があのモノクロの夕空のむこうに見えていたのかもいたのかもしれない、特に当時の観客には。
この切り口でこの映画を分析していた人、評論家・・・いるのだろうか。ワタシの思いつきなどたかが知れているけど。この思いつきの観点からリメイクの『生きる LIVING』と『生きる』の比較を検討してみると・・・全く何も出てこないでしょう(^_^:
⇓の現代ビジネスの記事、誰が書いたんのだろう・・・
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