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無敵だった25歳の君へ

38度の高熱から1週間、やっと回復してご飯を食べられるようになってきた。
風邪が長引いたり、喘息が出たりと体の老いを少しずつ感じ…
ふと20代を振り返った。

25歳くらいまで、
毎週末や休日は友人や会社の同僚たちと集まり、肉体労働後や夜勤明けに飲みにいったり遊んだりした。(今思えば若くて体力が化け物!)
学生時代の友人とも週一でいろんな人と遊んで…

お酒を飲んで、スピッツの楓「さよなら 君の声を 抱いて歩いて行く〜♪」とか運命の人「バスの揺れ方で人生の意味が 解かった日曜日〜♪」
なんて友達と歌いながら中野から阿佐ヶ谷まで歩いて帰ったり…
毎週末、原宿・表参道と渋谷、たまに背伸びして恵比寿へ出向いてネイルしたりショッピングを楽しんだり…
「今日夜集まらない!?」のLINEで24時間営業のファミレスで夜中まで語ったり…

当時は、この生活が一生続くんだと本気で信じていた。
本当にガキ笑

難しい仕事も任されず、大学卒業の2、3年ってお金を持った大学生って感じで完全にモラトリアムだった。

突然金髪にする無敵だった25歳

25歳の自分は、30歳前後の人たちが「遊ぶ友達が居なくなった」
って言ってたのを聞いて、
「それはその人が友達が少ないからじゃないか?」
「自分は友達が多いし大丈夫、ズッ友おる!!」

とか思ってふーんって感じで聞いていた。

26歳になって、突然ゴッソリ会える友人が減って、話が合わなくなったりして遊ぶことが減った。
仕事が忙しくなったとか、結婚したとか、理由は様々。
自分も、友達も大事だけど家族を優先するようになった。

その頃、仕事では後輩ができて
教える+後輩のリカバリー+自分の業務と営業活動
タスクが増えて忙しくなっていき、友人と連絡を取ることすら減った。
心身のバランスを崩したりもした。

半年前に、地元の大阪に帰って数年ぶりに何人かと会ったけど、
デザイナーの友人達は特に忙しそうで、責任も出てきたりして自分と同じように数ヶ月に一度遊ぶ程度だと言っていた。
すごく疲弊していたけど、なんとか頑張って前向きにやっている友人らを見て、私はそこでスイッチが切り替わった。
しんどさの傷をずっと舐め合っていても、前には進めない。
時には人と、しんどさを吐露したり共有ことは大事、だけどずっとは、しちゃいられないって思った。

やれる事をやっていこうと思った。
年取って、できる・できないがわかって、可能性も少しずつ失ってるのを実感する。でもおばちゃんになってきた今の自分の方が結構好きだと思った。
誰にも好かれようとか頑張ってないし、
頑張っても嫌ってくる人はいるから意味ないって25歳で気付いた。

流れる人生の中で、関わってくれた人に感謝して共に過ごした時間を大事に、楽しんでいる。

2017/5/20 夕暮れのパンダ


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