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あまり歌が上手くないシンガーソングライターの話

「てんていは歌が上手だねぇ」


今でも鮮明に思い出せる両親の言葉だ。

僕はかけっこもお絵描きも工作も
なにひとつ周りの子達と同じ様に出来なかった。
身体も小さく、虚弱で病気がちで、
今思えば両親の心配は絶えなかっただろう。

そんな中、唯一僕が人並み以上にやれていたのが「歌」だった。
今思うと、生まれつき声がデカかったから
目立ってた以上の意味はそれほどなかったと思う。

でも僕は両親の言葉を心の底から信じ切っていた。

「ぼくはうたがうまいんだ!!じゃあおとなになったら『かしゅ』か『せいゆう』になる!」

なんとも純真な5歳児だった。


「お前、歌下手じゃん」

中学一年。
クラスに一人くらいいる
ニタニタと人にマウントを取る奴に僕はそう言われていた。

僕はそいつに休み時間「俺がハモリ歌うから主旋歌えよ〜?」という唐突なハモリチャレンジを仕掛けられていた。

ハモリの概念すらよく分かってなかった僕は見事にそいつのハモリにつられ、ニタニタと歌下手の烙印を押されていた。

でも、両親のくれた言葉が僕を守ってくれた。

「あいつ性格悪いし、ただ嫌がらせしたいだけだろ。僕は歌上手いんだよ。父さんと母さんもそう言ってたんだもの」


「………」

中学三年。
絶句とはまさにこの事。

僕は当時ニコニコ動画で流行っていた
組曲「ニコニコ動画」の歌ってみた動画を作成しようとしていた。

父親に頼み込み安物のマイクを買ってもらい、
それをパソコン本体のマイク端子に直挿しし、Audacityで録音した自分の声を初めて聞いて、
僕はただただ言葉を失っていた。

ボソボソとしたオクターブ下の、
教室の隅で陰気にヘラヘラしてる僕に相応しい歌声だった。

こんなはずじゃない。
あり得ない。

一番の得意分野だった「歌」は、
その瞬間に最大のコンプレックスに反転した。


「てんていくん、声の出し方変だよ?」

高校三年。
視界がぐらつき胃がぎゅーっとした。

当時所属していた合唱部は全国大会の出場を目指した本気の活動を行っていた。

合唱は全体との調和が取れる発声の方が望ましい。

悪目立ちする個性の強い声は、
一定以上の水準に合唱部を引き上げるには
「矯正」の対象となる。

「そうだよねぇ、てんていくんちょっと声の出し方変だよねー」

他の部員の賛同の声が一層視界を暗くする。
彼らはその後、親切にクセのない発声の指導してくれたはずなのだが、
何一つとして記憶に残っていない。

僕は合唱部を去り
彼らは悲願の全国大会出場を叶えた。

「クセ強いねぇ」
「もっと力抜いて歌えないの?」

時間が経っても、
どこに行っても、

言われる事は変わらなかった。

僕は声変わりしてから高音域に弱くなってしまい、
平均的な音域の楽曲を歌うのにも非常に苦労する。
力みはそこに由来するものであった。

大好きな歌でさえ、
人並みに縋り付くのに精一杯で、

その必死な様を嘲笑される日々だった。


「今日からてんてい君の指導させていただきます!一緒に頑張りましょうね」

26歳。

僕はボイストレーニングを受け始めた。
優しい笑顔を僕に向ける女性は今でも僕の師匠でいてくれる先生だった。

良い歳になったんだから、
そろそろ諦めても良い頃合いだったと思う。

でも、それでも、
両親があの日掛けてくれた言葉を僕は心のどこかで信じていた。

「てんていは歌が上手だねぇ」

そう、僕は歌が上手いんだ。
でも周りにそう思わせられないなら、

「上手くなって本当のことにする」しかない。


「てんていさん、お上手ですよね〜」

30歳。

ライブ後に時々そんなことを言っていただけるようになった。

「いや〜、恐縮ですよ。でへへ」

そんな気色の悪い愛想笑いをしながら、
ホッとしている自分に気づく。

少しはマシになったとはいえ、
僕はこのメタバースの世界に限定しても、
シンガーとしては下から数えた方が圧倒的に早いくらいの歌唱力だと思う。

それでも、そんな自分の歌を求めてくれる人がいる。
好きと言ってくれる人がいる。

あの日、両親がくれた言葉が
未だに僕を守り続けてくれている。

そう思える限りは、
僕は自己研鑽という生き地獄に
何度だってぶつかっていけるのだと思う。

「あ"〜、どうやったら上手くなれんのよ…」

数日前。

カラオケの机に突っ伏す半べその三十路男がそこにいた。
ひとしきり弱音と狂気の戯言を吐き出し切り、

またマイクを握るのであった。


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