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「途上国の人々との話し方」 国際協力メタファシリテーションの手法 #読書メモ

インドネシアのジャカルタで1年間ビジネスをして失敗した経験がある僕には、この本を事前に読んでおいたら、失敗する確率は相当少なかったのでは?と思えるくらい良い本でした!

この本は途上国で仕事をする人だけでなく、業務上のコミュニケーションや部下との意思疎通に課題を持っている人にはおすすめの本です。

エンジニアの方にも最適な書籍とも言えるかもしれません。

JICA職員の中田氏が同じくJICA職員の和田氏の途上国での話し方を和田氏と一緒に体系化したものです。

序章 ”なぜ?”と聞くのは間違いの始まり

東南アジアの某国で井戸掘りの支援をする場面からスタート

村人と一緒に井戸を堀り、無事水が出て村人はハッピーになる

でも1年後、その井戸は壊れて使われずに放置されていた

中田氏「なぜ?こうなったのだろう」

その村人はこう言ったそう

「井戸のポンプの修理代を援助して欲しい・・・」

中田氏「自分たちでメンテナンスもせずに・・・修理代をよこせ?!!」

援助の最も典型的な失敗のパターンはこの井戸掘りを支援する前のコミュニケーションに問題があったのだ!!

全然だめだった中田氏と村人とのやりとり

中田氏 「この村の一番大きな問題は何ですか?」

村人 「子供の病気が多いことです」

中田氏 「たとえばどんな病気ですか?」

村人 「一番多いのは下痢です」

中田氏 「こどもたちが下痢になるのはなぜですか?」

村人 「清潔な飲み水がないからだと思います」

中田氏 「水はどこから汲んでくるのですか?」

村人 「近くの池からです。森の泉まで行けば綺麗な水があるのですが、歩いて1時間近くかかるので、重い水を運ぶのは大変です 」

中田氏 「井戸はないのですか?」

村人 「ありません」

中田氏 「あれば便利だと思いませんか?」

村人 「思いますが、自分たちでは掘れません」

中田氏 「どうしてですか?」

村人  「技術も資金もありません」

中田氏 「私たちが援助しますので、掘りませんか?」

村人 「ええ、そうできればありがたいです」

中田氏 「私たちが支援するのは、資金と技術だけです。労働力を村から出してもらえますか?」

村人 「もちろんです」

中田氏 「掘ったあと、維持管理も自分たちでやれますね。それが約束できれば、援助します」

村人 「約束します」

中田氏 「これで決まりですね。みなさんの井戸をみなさんで掘りましょう。子供達も健康になるでしょう」

村人 「ありがとうございます。母親たちもよろこぶでしょう」

このやりとりのどこがダメだったのでしょう??

「問題は何ですか?」

→問題は何かと改めて問われれば、普段それほど深く考えていなくてもなかしら問題を挙げなくてはならなくなる。 ここで村人は「子供の下痢が多いこと」を答えてみた。ここで注意すべきは、「多い」というのは、この時点では何の意味も持たないということだ。何に比べて多いのかが語られていない。村には他にも生活上の苦労や不便はあるだろうに、とくにそれを取り上げた背景も語られていない。村人のほうは「国際協力団体が好みそうな問題」を無意識のうちに答えていた。

「原因は何ですか?」

因果関係の分析ほど難しいものはないにもかかわらず、これまた尋ねられたほうは、何か答えなければならない。村人が当たり障りがなく、もっともらしい答え、つまり「飲み水が清潔でない」ことを原因にあげてみた。もしかしたら、原因は他のところにあるかもしれないのに、それが本当の問題なのかも確認しないままに、原因探しを始めてしまい、さらにその原因をどうすれば変えることができるか、という解決の模索に向けて中田氏は議論を深めていく。

こうして両者は根拠のない「考え」を脇き携えて空高く舞い上がり、華々しい空中戦が始まったのである。

これは実際には、こちらがやりたいことをやるために村人を誘導しているだけであった。

とりわけ、井戸の話をこちらから持ち出したのは、致命的とも言える誘導尋問だった。

つまり解決方法を提案すれば、相手は必ずそれに乗ってくる、同時に費用も先方が持ってくれるものと思い込む。

当然の反応ではないか!!

「ぼくがおごるから、一緒に焼肉を食べに行こうよ」と友人を誘っているのと、基本的な構造は全く同じなのである。

「メンテナンスは自分たちでやると約束するか?」

という質問も相手には「しない」という答えは現実には残されていない。その気があろうとなかろうと「約束します」としか言いようがないのである。本当に村人がメンテナンスするかどうかは、その時点では何の確約もない。一連のやりとりはすべて間違いの連続なのだが、その中にあっても、相手の主体性を損なうという点では決定的にまずい質問のひとつだった。

致命的な行動

「中田氏が井戸掘りに必要な予算を調べ、村人や地域の行政と相談してこの地域に最適な井戸の堀片を選び、そして設計図を作りあげたこと」
本当に村人にメンテナンスをして欲しいのであれば、井戸の建設にかかる費用の算出は村人自身にやってもらうべきだった。彼らだけではすぐにできないのであれば、それができるようにアドバイスしたり、必要であれば研修したりする必要があった。建設費用の内訳とその積み上げ方法を村人が知らなければ、どこかが故障したり、老朽化したら、必要な費用の見積もりを誰がどうやって行うというのか?


この事例って日本国内でもじゅうぶん起こり得る示唆に富んだものだと思います。

本当におすすめの本でした!

以上

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