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ご挨拶、および錫色のカーテン

記念すべき初日らしく、澄み切った快晴──とはいかなかったけれど、雪のように真っ白な雲が空一面を覆い尽くしていて、不思議と外は暗くない。レースのカーテンは遮光性の高いものを選んだから、自然光特有の煩わしい眩しさは感じない。祖父から譲り受けたアンティークのデスクランプがわざとらしい乳白色で私の左手を強く照らして、時折じりじりと耳を焦がすのが心地よかった。

文字を綴るのは苦手じゃない。
かと言って、「徒然なるままに」と、漫然と過ぎゆく日々に心を動かされるほど日頃から情緒を嗜んではいない。元来受動的な人間であるし、シルクハットを胸にあてステッキをまわしスポットライトを一身に集めるよりも、アインザッツを合わせ指揮者を目の端で捉えながらマレットを忙しなく転がすほうが性に合っている。しかし、幼年期に培った感受性ととめどない好奇心が、深く心臓に根ざした創作欲に絶えず水をやっているようで、どうやら私の右手はペンを手放す気はないらしい。

こうして筆を取ったからには、錆びついた門扉を叩いて訪れた客人に満足していただけるようなおもてなしを用意しなければいけない。あいにくと、私自身を切り売りするには相応の箔がついておらず、市場で調達した赤い林檎を煮詰めて極上のジャムに変えるほどの技巧は持ち得ていない。そこで思い当たったのが、お人形遊びのパーティーゲーム──つまり、大人の真似事である。

すべての芸術は模倣と創造によってつくられている。忠実に師匠の教えにならい、やがて離れて大海を志すようになり、そして新しい芸術を完成させる。庭に咲く薔薇をいたずらに摘んでも優しく頭を撫でられていた頃には到底理解できなかったけれど、今ならその意味を噛み砕いて咀嚼できる。芸術に限った話ではない。個性を潰さぬようにとローファーのつま先に気を取られ、基本の道から逸れてしまっては本末転倒──本物よりも本物らしい贋作は、本物ではないからこそ簡単に手に入ってしまう。そうやって手に入れた苦労のかからない満足感は、つまるところジャンクフードだ。金のメッキで取り繕った銅は、シルクで磨かれた銀に及ばない。

なにやら気難しい説教を書き連ねてしまったけれど、結局のところ私が伝えたかったのは、本物を完成させるにはとても時間がかかるということだ。重たい霧のヴェールを捲ってこの場所を訪れた客人にわざわざお渡しするものとしては、少々ふさわしくないかもしれない。しかし、外見だけで中身を判断するのはよくない。木苺よりも酸っぱく、ドングリよりも渋い果実だけれど、どんな時でもあなたに寄り添って支えてくれるはずだ。いつか咲くその花は薔薇よりも美しく、造花よりも強い。

文字と生き、芸術に浸り、娯楽を享受する──無為に日々を送っているようでいて、そこかしこに散りばめられた言葉を拾い集めることは忘れない。言葉は、この世界で唯一誰もが使うことができる魔法だ。価値を決めるのも、どう使うかもすべて私自身にかかっている。この喜ぶべき日に思いがけずこの場所を訪れた客人──あなたにとっての魔法も、時間をかけていつかより価値あるものになるのだろう。

十二月の市街は彩度の高いデコレーションが行儀良く整列して、雑然と路面を埋め尽くすトレンチコートやバケットハットを照らしている。ショーウィンドウからこちらを見つめるくるみ割り人形のオーナメントは、決して寒さに歯を打ち鳴らすことはなさそうだ。温度のない木枯らしに背中を押され、後ろ足でイチョウを踊らせながら肩をすくめる人の集団を、今日も私は大きな窓から眺めている。

分厚い雲に隠され、控えめに室内を暖めていた太陽が沈んだ。客人が長椅子に腰掛けた頃におとしたブラックコーヒーはすっかり冷めてしまって、時計の短針はぐるりと回って反対側を指している。
初めて自分自身の文字を届けることに、若干の緊張と後ろめたさ、そして胸を焦がす高揚を感じる。観客席の最前列で舞台を鑑賞するだけではちっとも満足できない、生まれついての演者なのだと心臓が訴えるのを、しかとこの耳が捉えた。右手に持つのが万年筆であっても、平筆であっても、はたまた無機質なタッチパネルだったとしても、私はいつかこの場所を訪れる客人へのもてなしをやめないだろう。広すぎる森に迷って道を見失ったとき、きっと片手に明かりを灯しながらあなたを出迎えることを約束する。

また、ここで逢えることを期待して、本日はカーテンを閉めよう。

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