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小噺 of the WEEK(2020年2月16日)

起承転結っておかしくない?と思って生きてきました。
特に「転」。
急やん、突然やん、唐突やん、と不審に思ってきました。

改めて調べてみると、批判もたくさんあるようです。物語や文章の構成は起承転結であるべし、みたいな刷り込みがあるものの、そもそもおかしくないか、という指摘。

Wikipediaには、なぜか経営コンサルタントの方々からの指摘もあって、論理的な正しさとは関係ない、むしろ論理的思考の障害となる、とまで書かれています。ふむふむ。めった切りですね。

この記事の元ネタになっているたけばやしーさん(なぜ、竹林さんがたけばやしーさんなのかは、是非記事の方をご覧ください)は、新規事業の立ち上げには起承転結型の人材が必要だといっています。起承転結それぞれの役割があると。

「起」は0から1を生み出す人。「承」は1をn倍化するグランドデザインを描ける人。「転」はn倍化する過程で戦略思考があって、KPIを設定してリスク管理できる人ですね。「結」はきっちりやり続けて改善してくれる人。

そんな「転」。

もしこの起承転結を難しさの順に並べたら、どんな順番になるでしょうか?「起」はそもそものスタートですから、順位が高そうです。ゼロイチなる言葉もありますし。いや、スタートしてしてみたもののスケールしなければ意味がないんだから、「承」だって大事、と言えなくもなさそうです。そんなこんなで並べていくと、結局みんな大事だね、となりそうな気がするんですが、ぼくは実は「転」が重要で、そして、極めて難しいんじゃないかと思っています。難しい、というよりも、厳しい。

なぜか?

それは、起でスタートし、承でスケールしはじめた事業がぶち当たる壁を「転」で乗り越える必要があるように思うからです。そして、そこには避けては通れない痛みが伴う。勝ちパターンを捨てたり、立地を変えざるを得なかったり、あるいは苦楽を共にした仲間との思いがけない別れがあったり。そして、それがまさに「転」機になるんではないかと。

たけばやしーさんも「起承」と「転結」と二つのタイプに分けていますが、とかなんとか考えると、起承転結って文章の型としてはしっくりこないけど、物語の型としては、ありなのかもしれません。ターニングポイントのないストーリーなんて平坦過ぎて面白がれないですもんね。

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