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密葉フウカが生まれた日

先日都内で撮影を行った。
衣装は念願のセーラー服。
セーラー服は神聖な服であるというのが私の信条なのでしっかり撮影したかった。
(セーラー服に限らず制服というものが神聖であると最近は思うようになってきた)
セーラー服って、年いくつなの!?とか思うかもしれないがどうかそこは突っ込まないでいただきたい。この年齢になったからこそ、強い意志を持てるようになったからこそできた撮影である。
これからもまた違ったコンセプトでセーラー服の撮影が出来たら嬉しい。

Instagramに「地下出版」という表記とともに載せている写真がその時の写真である。
見てくださった方は分かるように、かなり攻めたアングラ寄りの作品である。
念のため記載するが、これは私が自ら選んで行った撮影である。カメラマンの方と私の夫と3人でコンセプトを共有したうえで撮影に臨んだ。
既に述べたように、かなり攻めた撮影であったため、全く戸惑いがなかったかというと嘘になるが、
あのような写真を何故撮るのか、何故撮りたいのか。 
ランジェリーフォト然り、ヌード然り、単に肌や肉体を見せて性的な表現をしたいわけではない。
肌や肉体、目に見えるもののその奥の傷や過去や血や涙や汗といった生命力を、生きることそのものを脳や精神に訴えたいのだ。
目に見えているものだけが全てではない。
誰もが様々な側面を持っている。

私が初めて見たポートレートは、もう誰が撮ったものなのか、写っている被写体が誰なのかももう殆ど覚えていないが、確か肌や肉体が見えているような写真だった。だけど、その写真からは性的なものよりもずっと生命力やパワーを感じた。性的なものは感じなったと言ってもいい。衝撃だった。
それ以来私はずっとそのとき感じた「生命力」を表現したいと思うようになった。

あの撮影を終えて、やっと「密葉フウカ」が生まれたと思った。
それまでも個人で撮影してもらったことは何度かあるが、あくまで夫婦撮影ではなく個人撮影という認識でいた。「地下出版シリーズ」の前に行った都内での撮影のときに、夫婦撮影の私と、個人撮影の私を明確に分けようと思った。そこでまず、名前をつけた。本名でも旧姓でもない被写体としての私を確立するための名前「密葉フウカ」と命名した。
これで私という被写体に輪郭が出来た。

「言葉には肉体を持つ」
「全ての言葉は意味を持つ」

これは映画「恋の罪」に出てくる私の大好きな台詞である。

実はこの「地下出版シリーズ」の撮影の前に人間関係においての別れがあった。
正直綺麗な終わり方ではなかった。
「どれだけ写真への想いを語られても言葉に行動が伴ってない」とまで言われてしまった。
それでも前に進むしかないと思いながら、セーラー服を着ての撮影日を迎えた。
私の言葉に行動が伴っているか、映画の台詞を借りるなら「肉体を持っているのか」「意味を持っているのか」、それは私だけでは判断できかねるので何とも言えないが、少なくとも私はセーラー服を着ての撮影を最後までやりきった。
私は余程のことがない限りこちらの都合で撮影を中断したくないのである。
それはカメラマンの方が割いてくれた時間を無駄にしたくないし、何より私自身が後悔したくないからである。
「密葉フウカ」になっての最初の撮影は絶対に最後までやりたかったし、後悔のないものにしたかった。カメラマンの方と夫のおかげでそれは叶った。
その点については本当に感謝しかない。

その撮影を終えて私は「密葉フウカ」に肉体が宿った、と感じた。
あの日見た桜はピンク色が濃くて綺麗な色だった。
今年は桜とは撮れないかもしれないとも思っていたがそれも叶った。

頭も体力も使う撮影だったが本当に楽しいと思えたし、写真というよりは映画を撮っているようだった。撮影が進むに連れてその「映画」の主人公になりきれたと思う。
密葉フウカが生まれた日、そして人々が強く生きる街に救われた日でもあった。
改めて、カメラマンの方と夫には本当に感謝している。

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作品はInstagramにて公開しています
「地下出版」の表記のあるものです
かなりアングラ寄りの作品です

お好きな方は是非
覗いてみたい方も是非
怖いもの見たさは大歓迎
苦手な方はご自身で閲覧を判断してくださいませ

そこに込められた傷、過去、汗、涙、血、
そして生命力が伝われば幸いです
傷も過去も全て生命力

どうぞよろしくお願いしますhttps://instagram.com/vostok_mars



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