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『いちいち感謝してみる』第239言

『感謝』の反対はなんだと思いますか?

こたえは

『恩知らず』だといいます。

ほほぅ。それならば、わたしは恩知らずではないし、ひと様にも、身の回りのモノ・コトにも感謝している。「ありがとう」の言葉も普段から口にしている。だから、感謝できている人ですっ(できているほう、くらいかな?)

と思っていました(;'∀') とある本文を読むまでは。

『恩知らず』とは、日常生活の中で「当たり前」と思っているすべての事柄

・朝起きて、目が見えるのも手足が動くのも当たり前

・蛇口をひねると水が出る、トイレの水も流れるのが当たり前

・コーヒーが飲めるのも、食事ができるのも当たり前

(・・・ふむ。このあたりは何かわかりますな。)

ところが、つぎです。

週2回、生ゴミの日があります。

生ゴミは臭く汚いのでさっさと所定の場に出してしまいたいですし、放り投げる人もいます。

しかし、その袋の中身、リンゴやミカンの皮だとか野菜のヘタ、卵の殻などお世話になったものばかりです。

リンゴの皮をむくのは面倒ですが、皮をむいてあるリンゴが売っていても買いません。皮が実を包んでくれているから家庭でおいしく食べられるのですから。

野菜だってヘタがなければ根から栄養を吸収できず育ちません。卵だって殻に入ってないと困ります。その他のものもそうでしょう。ティッシュにしろメモに使った紙クズにしろ、すべてお世話になったものばかりです。

***

(がびーーん。あたしゃ、恩知らずの人やったーー💧)

お世話になったことを忘れてしもうてるやん、と気づいた一幕でした。臭いものにフタをするように袋を閉め(ぽいっ)と捨てるのも、(あーゴミ捨てめんどくさー)って内心思っているのも、、散々お世話になっておきながらそりゃないですよね。でもやってしまってました、、

「ゴミ」=「不要」あらため、「ゴミ」=「お世話になったもの」

ですな。

それから、感謝は 「喜びの感情」に表れるもので、いちいち喜びとできる人こそが「感謝の人」だとありました。

・・・手痛いところもありますが、生ゴミの話を見たときは確かにそうだよなぁと思いました。感謝が大事というのは重々わかっているのに、腑に落ちていなかったことを気づかされたような気がします。(感謝の奥行き深し)

さっそく生ゴミの日、所定のボックスを開け、ゴミ袋を入れようとすると、それまでとは違う感情が芽生えているのがわかりました。(じんわり)

お世話になったこと忘れちゃいかんなー。いちいち感謝する、くらいにならんと無自覚な恩知らずに気づかずにおるかもしれません。(きりっ)

ゴミ捨ての時も体育会系バリに「お世話になりました!」でいこうっと♪


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