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決めることはつらいよ。


生活をするということは「決定の連続」の積み重ねです。
小さなところでは、
今日のおやつは、今日のご飯は何にしようというところから、恋人、配偶者の選択、学校選択や就職の選択…

いろいろなところで人は決めなければいけないし、決めながら生きています。

生活を支援している児童養護施設も例外ではありません。
同じように食事のメニューを決め、学校選択をし、自分の人生を決めていきます。

ただ、施設故に決めづらいことがあるのも事実です。それらについて考えていきたいと思います。

なぜ決めることが難しくなるのかを考えていきたいと思います。

できることの広さ

施設に所属している人には様々な背景を持った人がいます。それは子どもも大人もです。
以前も書いたと思いますが、味噌汁だって知ってる味が違う人たちの集まりで、価値観は様々です。
また子どもたちは一般的な家族から離れて生活をしていて、家族以外の世界を知っていることも大きいと思います。
なので、「それが当たり前」という価値観が家庭内で収まらず、さまざまな当たり前が乱立していきます。
選択するための材料が多いんですね、色々ある中で普段なら選ばなくても良いことを選ぶ必要が出てきてしまいます。

決定に関わる人の多さ

施設にいると何から何まで個人で決められるわけではありません。
内容によって、決裁者が保護者や児相、法人、施設長、ホーム職員、本人と様々です。
そして、人がたくさんいるとタイムラグが生まれていきます。そして思いもよらぬところで、決まらないことが多くなります。

例を挙げると、子どもと一緒に措置延長をするために取り組みを続けていた中で、児相から措置延長はしないと言う判断。他の場面では、養育家庭をすすめていたのに保護者からの同意の取り下げ。子どものスマホを買う予定でいたのに、施設内の会議でストップがかけられる。


情報共有が有機的に行われていないと、こんなことが起きうるわけです。


決定できる人の曖昧さ

ただ、上記のような状況よりも大変になるのがこれです。誰が決めるのかわからない状態です。この状態にあると、子どもを1番近くで見ている養育者はメチャメチャ困ります。
なぜなら現実的に止める人と、現実を受け入れる人の役割分担ができないからです。
買い物を例に取ると、そんな高いもの買えないよ!という人と、まぁほしい気持ちはわかるし、残念だよね…という人の両方がいた方が、子どもとのやりとりに対立が生まれにくいです。でもこれを1人でやるのは、正直テクニックが必要で、難しい話になればなるほど子どもとの対立構造になってしまいます。
そして子どもはできる/できないの線引きを常に確認しています。決める人が誰だかわからない状態だと子どもは誰に聞けば良いのかわからず、近くの職員にチャレンジしていきます。
そして職員からすると、そんなこと言われても…と困ってしまうのです。

なので、それぞれの立場で、それぞれの権限を確認して、できる/できないをはっきり決めておくと現場の職員は気が楽になります。これは里親さんにも言えるかと思います。
何でもかでも現場で決められることだけがいいとは限らないのです。
日常はたくさんの決定であふれています。少しでも決定の責任を引き受けていけるチームになれるといいと思います。

今日は以上です。
児童福祉法が改正されましたね、どこかで書ければと思います。

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