思春期なので、いただきますとごちそうさまを言うのが恥ずかしい
食事は育ちが最もあらわれる。素人でもわかりやすいポイントがたくさん。
箸の持ち方とか、ちゃんと口を閉じて噛むだとか、口の中にものを入れながらは最低限話さないとか、あとそう、いただきますとごちそうさまがちゃんと言えるかとか。
でも私はあんまり気にしないなあ、くちゃくちゃ食べるのだけは許せないけど。
これはもはや育ちとかじゃない、自己分析できてないというか、自分を客観視できてないというか。自分がどれだけおぞましい食べ方をしているのか理解してくれ、、、、、、
私は父親のミートソーススパゲッティの食べ方のあまりの汚さに戻してしまったことがある。
割と普通にかなり好きだったミートソースがトラウマ化してしまった責任をとってほしい。おいしく食べられたはずなのにトイレに流されたミートソースに謝ってほしい。
実際見てないから、父親はたぶんもう何も覚えてないと思う。まあ別にもう普通にミートソース食べられるから私は別に構わないけど!ミートソースはまだあんたのこと恨んでるかもよ!
父親は特に麺類の食べ方が酷くて、今でもたまに言うんだけどもう50年それで生きてきちゃってるから今更直せないのかもしれない。別に直そうとしてないだけなのかもしれないけど。
こうやって育ってきちゃったのがかわいそうだよ、、私はそんなあなたを反面教師に育ったおかげでとりあえず食べるときはくちゃくちゃいわない人間にはなったよ、、ありがとう。
そんな私は不幸にも(別に思ってないけど)、いただきますとごちそうさまを言うようには育てられて来なかった。
幼稚園小学校は多分みんなで言ったりしたはずなんだけど、習慣にはならなかった。
いただきますごちそうさまって、超いろんな意味が込められてる最も日本人らしい言葉だと思う。日本人の大好きなぼかした感謝の表現。
農家や牛や米や野菜や水道局の人や肉をミディアムレアに焼いた人や野菜をソテーした人やサーロインステーキランチセットを運んで来た人、ありがとう!みたいな。牛米野菜、いのちをありがとう!みたいな。
感謝ってありがとうじゃん、ありがとうって有るのが難しいって書くじゃん、だから自分が今食事にありつけるのは当たり前のことじゃなくていろんな人間や動物たちのおかげなんだな、シェイシェイ🙏みたいなことがいただきますには込められていると思う。それはわかる。
わかるからこそ、習慣になってないのに今更いただきますというのが恥ずかしい!これが書きたいのね!
いただきますって、別に口に出しても出さなくても、感謝したい相手には届かない。親とかがつくってくれて目の前にいたりしたらまあ親には届くけど。
そう思ったら、もちろんいただきますを声に出して言うのももちろん良いことだと思うけど、心の中で感謝するだけでも十分なんじゃない?と思ってしまう。
実際、いただきますをいうようにとはしつけられてこなかったが、食べ物に対する感謝を著しく欠いているとは自分では思わない。寧ろ道端に捨てられた飲みかけのタピオカを見て不快に思うくらいだ。
でも、「いただきますごちそうさま言えない人は無理〜〜😣」みたいなこと言う人って結構いるじゃないですか。
アッそういう人もいるんだッ、、てなったけど、みんな言ってるから言わなきゃ〜〜みたいなのが恥ずかしい、、思春期だから、、ごめんな、、
実際言おうとしたこともあるけどやっぱり恥ずかしくてぼそぼそ。これじゃ誰にも届かないから言っても言わなくても変わらないように感じた。
いただきますは、無理に言う必要はないと思う。強いるのもおかしい。感謝の言葉は口にしなければわからないけど、相手に伝えられなかったら心の中だけでも十分でしょ。
作り手には感謝が届くから、おいしいやありがとうで伝えればいい。ちなおいしいは恥ずかしくない、思春期だけど。
ありがとうはちょっと恥ずいな。ママ、今日もおいしいごはんをありがとう!と言えたら完璧なんだろうけどちょっとそれは恥ずいな。いや、だいぶ恥ずいな。
あ、もうひとつ、外食してお店をあとにするときごちそうさまでしたを言うのは恥ずかしくない。伝える相手がはっきりしてるしね!
まあそんなわけで、みんな〜〜感謝しながら生きような〜〜〜〜〜
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?