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神経衰弱ぎりぎりの私たち

2021年12月31日23時59分、

私はストラスブール大聖堂正面の人だかりの中にいて、陽気にカウントダウンをしていました。

ちょうど1年後に修士論文を提出しないといけないことと、その内容が全く固まっていないことを見て見ぬふりしながら‥‥

思えばこの1年間ひたすら走っていました。

先週、卒業式と今年度最後の発表を終えたので、開放感に任せて2022年度を振り返ってみます。

4〜6月(修論模索)

前年度に行った留学の関係で、前期は休学していました。フランス語のスピーキングの授業にいくつか潜って他分野の友達と知り合い、対人関係は割と充実していました。

一方、修士論文の進捗は、このアーティストの作品とこの理論・思想を使って何かできないか程度の漠然としたものでした。
将来的にフランスに修士号を取りに行きたいという希望はありましたが、その前に日本で修士号を取らないと何も進みません。
しかし、年度中に納得いく論文を提出できる気がせず、自動的に来年からの進路も読めなくなり、6月にはかなり自暴自棄になっていました。
退学がよぎり始めたとき、図書館で適当に手にとった本が、元々考えていた二つの概念をつなげるアイデアをくれました。
(ロバート・スタム著「転倒させる快楽―バフチン、文化批評、映画」、法政大学出版局、2002年)
不思議なことに急にバラバラだった要素がまとまり始め、さっそく思いついた構想をまとめ、近い分野の先生に面談のアポを取りました。
とりあえず今年度に論文は出せそうだと安心し、来年度も研究を続けるため進学したいと考え出しましたが、どこに進学するのは悩みどころでした。

7〜9月(進路模索)

2023年度からの進路を真剣に考えていた時期です。
私は2022年度で修士課程を修了するので、来年度からは博士後期課程に進学することになります。

1、現在の研究室に留まる
2、学内の違う研究室に進学する
3、学外に進学する

3つの選択肢があり、本命は2でした。
というのも、今の研究室では、私のテーマがあまりそぐわないように思われ、別の研究室の先生でもっと分野が合致する先生がいればその人に指導教官をお願いしたいと考えていたからです。
しかし現在の状況を考え合わせると、実現が難しそうだったので、3も含めていろんな先生に相談しつつ模索していました。
いよいよ複数の先生方や家族を巻き込み私1人の問題でもなくなり、うまくいきかけては白紙に戻って、またうまくいくの繰り返しで、薬のお世話になる日々でした。

また同時並行で、留学(この時点では2023年9月から行くつもりだった)の準備を始め、フランスでの指導教員・留学先大学を血眼で探していました。
(この後さらに考えた結果、留学は2024年以降に見送ることになりました。)

一応遊んでもいます。

8月に長野で電車を乗り回しに行き、特急しなのと長野電鉄と日本で一番標高が高い小海線に乗ることができました。(雨女すぎて小海線は土砂降りでした)
あと2日目に小布施に行ったのですが、駅員さんをはじめ会う人全員が親切で泣けるくらいいい街でした。ふるさと納税の寄付先は絶対に小布施を選びます。

9月、福岡にホークスの試合を見にいきました。
京セラドームでもホークスは見れますが、やはり京セラはオリックスのための舞台装置であり、ファン心が満たされなかったので、PayPayドームに行けて、明石の引退試合やデスパイネの珍プレーを直接見ることができ、非常に満足でした。

10〜12月(修論執筆)


10月に復学しました。
同じ大学の違う研究室の入試を受け、フランス留学は博士課程に進学が決定してから考えるということで話がまとまりました。

ここからは修士論文に本格的に取りからないといけません。
留学・休学・オンライン授業で2年くらい距離を置いていて、メンバーも少し変わっていた研究室ゼミに復帰するのは相当勇気が要りました。杞憂でしたが‥‥
あと初めて研究室のゼミ以外で発表をしました。英語で論文を書くのも、発表するのも初めてで良い経験でした。(本番直前にパワポのデータが一部飛び、その場で検索して写真を見せる荒技で凌ぎました。みなさん発表準備は抜かりなくやりましょう)

作業するときはずっと別キャンパスの図書館でしたが、もはや移動時間すら惜しくなり、12月半ばを過ぎてからは研究室に毎日こもっていました。
研究室で書き殴り→帰りの電車の中で校正、を繰り返し、ゴールが見えなかったのですが、超ラッキーなことに、締め切り1週間前に研究対象のアーティスト本人へのインタビューを行うことができ、なんとか書き上げました。
年末は余裕がなくて大掃除もせず、せめてレシートだけでもと財布を整理しました。(あと逃走中で最後まで残ったのが松平健だったのが印象的でした)

3が日は地元のカフェでインタビュー内容を反映させて、4,5日は図版を作って誤字を確認して様式を整えて、とやることが山のようにありました。
6日に徹夜明けで修士論文を提出し、同期4人で飲みに行ったのが達成感と開放感で意味わからんくらい楽しかったです。

しかし、本当の戦いはここからでした。

1〜3月(もう何がなんだか)

1月:修士論文提出、口頭試問、奨学金・フェローシップの申請書類×2
2月:大学院入試(博士後期課程)、口頭発表2本(日本語とフランス語1本ずつ)、原稿1本
3月:広報動画撮影、国際シンポジウムの通訳、フェローシップ面接、卒業式、発表1本(日本語)

とりあえず、年始に修士論文を提出した後、すぐに2つの口頭発表に応募しました。
それと並行して1月末の口頭試問や2月頭の院試に備えつつ、奨学金・フェローシップの申請書を書いて、といった日々でした。

口頭試問・院試をなんとか終え、2月上旬に博士課程に合格したあとは、進路が決まったので精神がとても上がり調子でした。

応募した発表の査読も通ったので、2月半ば〜末にかけて、

合格発表の次の週にオンラインで研究発表し、
Zoomを終了した瞬間から荷造りを始め、
次の日の早朝から東京に向かい、そのまま研究テーマに関連した展覧会を2つはしごして、
次の日はホテルで1ヶ月後の発表の要旨を書いてメール提出した後、発表原稿のレビューを反映させて、
またその次の日はフランス語での研究発表・質疑応答の本番、
並行して生理が始まる殺人的スケジュールでもニコニコしていました。
(体はやられました)

発表・原稿ラッシュを終え、3月に入ってからは少しゆとりができ、動画出演や通訳など初めての体験をちゃんと消化することができました。
特に通訳が本当に面白かったので、機会があればまたやりたいです。

卒業式に参加し学位記をもらい、次の日に年度最後の発表を終わらせた後の達成感はすごかったです。

やはりアウトプット数は今の私にとってかなり多かったので、新年度からは一回一回の原稿や発表の質を高めたいです。

この3年間、とある呪いで、身動きが取れませんでした。研究テーマを変更したり美術館のインターンに行ったり、留学していたときですら、どこかで何かに縛られている気分でしたが、ちゃんと修士論文を書き上げ、発表しまくったことで、やっと自力で呪縛を解くことができました。

今日からは新年度が始まり、指導教員も研究室も通う建物も私の周りの環境全てが変わります。
やっと自分らしさを取り戻せたので、やりたい放題に研究していきたいです。

(タイトルは、ペドロ・アルモドバル監督の映画「神経衰弱ぎりぎりの女たち」をパクりました)


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