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ホンダから経産省へ。官僚への転職を経て、産業のゲームチェンジを目指し続けるキャリア

「昔日本は、“Japan as No1“と言われていましたよね。もう一度、そう言える産業を作りたいんです。」
本田技研工業(以下ホンダ)でサプライチェーンマネジメントや事業企画を担当し、インド駐在では300人の部下をまとめていた桂さん。大好きなホンダを離れ経済産業省に飛び込んだ背景には、本気で自動車産業に感じた危機感があった。

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<プロフィール>
桂誠一郎さん
慶応義塾大学経済学部卒業。本田技研工業入社後は、自動車のCKD部品物流業務に従事。部品調達のグローバル化に伴い、インド、中国等の海外部品物流拠点の立ち上げを行った後、インドへ3年間駐在。部品調達から生産、販売店までのサプライチェーンマネジメント、事業企画を担当。帰国後、本社にてグローバルの四輪事業運営に携わる。
2021年6月に経済産業省に入省後、通商政策局経済連携課を経てアジア太平洋地域協力推進室室長補佐。


本気で自動車産業の未来を考えたら、ホンダを出るという決断になった

ーどのようなきっかけで経産省に中途入省されたのでしょうか。
新卒でホンダに入社し、10年間ほどサプライチェーンに関わったのち、インド駐在や本社でグローバルの事業運営を経験しました。インドにいた時期はちょうど世の中で電気自動車(以下EV)へのシフトが始まった頃です。インドにもその波がきていましたね。
EVというのは、大量生産をしようとすると電池を始めとして多くの投資を必要とする分野です。一方、技術的には、日本のエンジンを中心とするメーカーにとっては優位性が少なく、誰でも参入しやすい分野でもあります。日本の自動車産業の本音は、水素自動車に舵を切りたかった。なぜなら、環境負荷を考えると、火力発電等が必要なEVではなく水素の方がトータルの環境負荷が少ないと考えられており、かつ、技術的な優位性があったからです。
でもヨーロッパやアメリカは水素自動車の技術に強くないので、日本の自動車産業に勝つために彼らがEVへのトレンドやルールを作ってきたんですよね。いわば、彼らがやりたいところ、日本企業が戦いたくない戦場に連れ込まれてしまったわけです。そうなると、EVと水素自動車、両方に投資できる企業はそうそうありませんので、自ずと企業はEVに賭けるしかなくなります。
並行してコロナの影響でサプライチェーンがガタガタになったりもしました。産業の将来のことを考え、「市場のルールやサプライチェーンをコントロールできる場所はどこだろう」と思ったんですね。ルールメイキングを含めて、日本の産業が生き残っていくためには、グローバルで戦えるような産業政策が必要であり、特に産業の転換期は官民が総出で闘う必要があります。政策といえば役人の仕事ですが、事業の実態を知っている民間出身者が政策に携わることにより、より実効性のある政策立案ができるのではないかと思ったんです。
それで、日本の産業を発展させる志を抱いて、2021年6月に経産省に転職しました。
ホンダの同僚・上司たちは残念がっていましたが、応援するような気持ちも感じました。皆きっと似た危機感を持っているのかもしれません。

ー日本の自動車産業の未来を考えてのご決断だったのですね。ホンダに新卒入社される際もそのようなビジョンをお持ちだったのですか。
新卒でホンダに入社したのは、F1が大好きだったからというのもあるのですが、実はホンダのビジネスモデルが魅力だったからです。ホンダは、バイクが有名ですが、農業機械もバイクも自動車、F1、プライベートジェットもやっている会社なんです。一見バラバラの領域のようですが、「エンジンを通じて喜びや豊かさを提供する」という軸があるんです。例えば、貧困で苦しむアフリカの人たちが農業機械で収穫量を倍にできて、それを楽に市場まで運ぶバイクがあることにより、より多くの売買ができることになり、結果豊かになる。さらにその延長に自動車があり、長距離を移動して…という、人が豊かになっていく過程を作るようなビジネスモデルに共感したんです。
当時最終面接で「トヨタに勝つにはどうしたらいいか」というような質問を受けたのを覚えています。私は「なぜ競合対象なのか?このような複数の事業、一連で戦おうと思ったら、そこにトヨタはいないじゃないですか」と答えたんですよね。我ながら生意気です(笑)。でもそんな生意気な自分も受け入れてくれる、いい会社でした。

ーそんなホンダで、インド市場にチャレンジされたのですね。
サプライチェーンマネジメントは事業全体を見られるので面白い仕事だったのですが、海外、特にアジアで仕事をしてみたいとずっと思っていました。これから伸びる国で仕事をしないと、マーケット観やスピード感が備わらないと思ったんですね。それでアジアを中心とするこれからの新興国での駐在を希望しました。
インドでは300人を束ねる役割だったのですが、毎日が刺激的でした。彼らは主張することが存在意義みたいなところがあって、質問の有無に関係なくいろんなことを言ってくれます。伸びていく市場というのは、それだけ主張していかないといけないのだと、痛切に学びました。市場のスピードは本当にすごかったですね。1年で荒地が六本木ヒルズになっていく感じです。毎日が決断の連続。悩みながらも立て続けに判断を下していく日々は、自分自身の成長も加速させたと思います。

インドでの同僚たちと

未経験での霞ヶ関転職で評価されたのは「事業と産業の相場感」

ー経産省に転職された際は、他の転職先もお考えになったのですか。
経産省しかみていなかったので、経産省のホームページを見て直接応募しました。民間同士の転職の場合は、民間の転職エージェントに登録し相談できますよね。省庁にはそういったエージェントがいる認識がなかったので、何も知らずにホームページから直接応募しました。よって、受かった後も、第三者的立場で相談できる人も、経産省に勤めている知り合いもおらず、最後は自分で決断するしかなく…思い切って腹を括るしかなかったですね(笑)。
転職活動をして感じたことは、もう少し霞ヶ関の情報が転職者側に伝わることできるようになれば、より門戸は広がるのではないかということです。例えば、入省後にどのように振る舞えばいいのか等、実態感のある情報が流通していない。民間とは違うんだろうな…とは思うものの、ではなにがどのように違って、どうしたらいいのか?は入ってみて身をもって学ぶしかない。霞ヶ関のお作法やカルチャーに関する具体的な情報がもっとあると、安心して入省できる人が増えるんじゃないでしょうか。ですからVOLVEの取り組みには共感しますし、今後に期待しております。

ーご自身のどのような部分が評価されたと思いますか。
面接官の表情が変わった瞬間を思い出すと、海外駐在でグローバルな仕事をしていたこと、インド人300人のマネジメント経験があること、また事業や経営を知っているということだったと思います。事業をどれくらい知っているか、産業の中でどれくらい苦労してきたのかという「相場感」が評価されたんじゃないでしょうか。
特にインドの事情やサプライチェーン周りのことは色々質問してもらいました。でも、官僚の皆さんはクールで終始淡々としていたので、何に食いつかれたのかわからず最終面接まで行ってしまったのが正直なところです(笑)。

ー入省後はどのようなお仕事をされていますか?
今はアジア太平洋経済協力推進(APEC)室の総括補佐をしています。
G7やG20のような国際会議がAPECにもあり、年に2回の大臣や総理出張や声明文の調整を行います。また、これはAPECの特徴なのですが、省内から政策を募集し、ボトムアップでAPECに裨益するプロジェクトを作り、そのプロジェクトマネジメントを行うこともあります。他方APEC全体の利益を考えたAPEC事務局の運営の提案など、関わる仕事は多岐に渡ります。

ー出張や会合の準備というのは、具体的にはどのようなお仕事になるのでしょうか。
参加している21エコノミーの大臣や総理級が集まる会議は、「何かを合意する」ために開かれます。よって、まずは何を合意するのかを話し合うのですが、それぞれの国にはそれぞれの異なった「合意を取りたいプライオリティ」があります。日本はA, B, Cなのに別の国では1, 2, 3みたいにそもそも論点が全然違う…なんてこともあります。それらをうまくまとめ上げて声明文にすることが、その会議のゴールとなります。
様々な国の視点があるので、当然利害関係は複雑に絡み合います。それぞれの国には、それぞれの論理があり、時にはサポートし合い、時には日本には不利になってしまう文言に反対するなど、お互いにギリギリまで擦り合わせて、容認できる言葉を探っていきます。直前はほぼ深夜まで調整しております…(笑)。

出張時には「JAPAN」の立場で会議に参加することに

転職後、一番苦労したのはまさかの「日本語」

ーホンダにいた時のお仕事と一番差を感じるのはどのようなことですか。
よかった面でいうと、国の政策に関わっていますので、自分の仕事が世の中に出やすいことです。苦労した結果が世の中に取り上げられると、やっぱりやりがいを感じます。
例えば「APECで総理や大臣がこんなことを言った」みたいなことはメディアで記事になります。そういう時は苦労した甲斐があったなと思いますね。
ホンダの時ももちろん、自分の仕事が商品として世に出るのですが、私自身は商品開発ではなく事業計画側で仕事をしていたので、自分の関わった商品が直接世に出るわけではありません。経産省に入ってからは、メディアで取り上げられる時だけではなく、自分の仕事が世の中に与えるインパクトを実感する機会が頻繁にあります
例えば、現在APEC以外にも兼任している経済連携課では前述のニュースにでるという観点とは全く別の形で反響を感じました。日本から輸出をする事業者にとって、海外との貿易にて関税をいかに安くするかというのが重要になります。その際に使用できるスキームのひとつが経済連携協定(EPA)です。しかしながら、そのスキームがあるのにも関わらず、日本の民間事業者に普及しきっていないという実情を知りました。その対応策として各産業から代表者を選出していただき、何をすれば普及できるのかを議論し尽くしました。そして、その内容を政策に反映したり、民間側でも頑張っていただいたりしました。その結論を世の中に出した瞬間、かなりの数の企業から問い合わせがあり、自分なりに考えたことが、想像以上に世の中にインパクトを与えるのだと実感した仕事でした。

一方、苦労もあって、それはやっぱり独特な霞ヶ関文化ですね。民間では絶対にないだろうなという慣習もあり、学ばなければいけないことは多いです。
例えば、紙文化です。企業で役員にプレゼンをする時は、パワポで資料を作ってプレゼンテーションし、その場でコメントをもらい、決裁してもらいますよね。霞ヶ関では全てをワードでひたすら書くのです。はじめ「要点だけを簡潔に書けばいいのかな」と思って軽く書くと、「ありとあらゆる情報をまずは詰め込んで欲しい」とフィードバックされました。役人の世界では誰に対しても、何かを説明する際、毎回文書を作る、つまり「日本語を作る」のです。民間では「正しい日本語」なんて意識する機会はあまりないですよね。パワポであればキーワードを載せて、あとは口頭で補足する。ところが文書化するとなると、正しい日本語を書かないといけないんです。
正しい日本語とは何かというと、プレゼンを聞く側があとで見返しても誤解なく正しく理解できるのみならず、2、3年後に別の人がその書類を読んだ時に、誤解されないようにするということだと理解しています。誰がどう読んでも解釈が分かれない日本語。このスキルには今でも悩んでいるし、中途採用で入省した人はみな「日本語を作る能力については、プロパーの人たちの長年の積み上げとの差を埋めるのに相当な時間がかかる」とも言っています。

ー日本企業からの転職なのに、「日本語」でご苦労されるとは、想定外ですよね。スキルアップのために心がけていることなどはありますか?
時間を見つけて、他の人が作った文書をよく目にするように心がけています。良い実例をたくさん見ることで流れが頭に入ったり、感度が高まるのではないかと思っています。実際には役人用の本はあるのですが、その本も難しいんですよ(笑)。さらには、最後は自分で書かないとわからないところもあるので、近しい職務内容の方が書いたものを参考にした方が、理解が深まりますよね。「こういう書き方、こういう表現を使うんだ」というのを学ぶようにしています。

ー今のお仕事に過去の経験が生きていると感じる部分はありますか?
業界の相場感がわかることに加え、民間の方々への伝え方を知っているところでしょうか。当たり障りない言い方になってしまうと伝わりづらく、ある程度YES/NOに近い程度でストレートに物事を言わなければいけないシチュエーションがあります。それは、発信したことを理解してもらわなければ、せっかく役人がやった仕事の意味も減ってしまうと考えています。そういう時に、どこまで踏み込みこむのか、どういう風に言えば理解してもらえるのかがわかるのは、強みだと感じています。一方、逆も同様で、民間の方々の言いたいことが感覚的に理解でき、それを政策に結びつけやすいというのも強みであると思っています。

世界一にむけて、日本をもう一度盛り上げたい

ーこれから、どのようなキャリアにしていきたいと考えますか。
ホンダで過ごした15年間にはとても満足しています。やりたいことは、手を挙げるとどんどんやらせてもらえるカルチャーがありました。今でも、「なんで辞めたのかな」と思うこともあります。
もちろん経産省への転職を後悔しているわけではありません。「ホンダで15年過ごした経験と、経産省で政策に関わる人たちの頭脳をどう融合させていくのか」というのが、今後15年間の自分のテーマの一つだと思っています。
やはり自分の原点は「どうやって日本を海外でNo. 1にしていくか」です。関わる産業は自動車であることに越したことはないのですが、自動車に限らず世界で戦える産業を一個でも二個でも創っていくようなキャリアにしたいです。
 
経産省に入ると、得られる情報量と内容が民間にいた時と異なります。その情報とビジネスの現場にいた経験・感覚値をかけあわせて、どのように今以上の経済大国を、一刻でも早くつくっていくのか…ということに焦りを抱くことがあります。
時には泥くさく、試行錯誤を行った結果、昔は”世界No.1の国”と言われていたその言葉を、もう一度、世界の人々が使ってくれたら。

そのための努力は、これからも惜しまずにしていきたいと思っています。


【編・写:大屋佳世子】


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