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#42 生活がしみついた 時間

VOLOJZA(ボロジャザ)という名前でラップをしたり、ビートを作ったり、アートワークをやったり、映像やったりしています。諸々メモがわりにかいてこうとおもいます

音楽の活動をはじめて今年で20年になるなとふと。
色々思う事あるけど、マジあっという間。
後悔はないけどチャンスっぽい時に斜に構えてマイペースにやらないでちゃんと掴めるんならそこ必死で掴んどいた方がよかったなーみたいなのは思う。
しかしその重要性がイマイチわかんなかったし実際チャンスじゃないかもしれない。なるようにしかならない。


これからも多分ほとんどの事は後からわかる。


でもよくも悪くも色々あった上での今で結局、これからしかないし、これからを大事にしてこうという当たり前の結論に至った。

あと37歳の7年前と17歳の7年前は全然違うから体感同じ感じで話しちゃだめ、自分が20歳の時NASのイルマティックが十周年で凄い昔の凄い作品だよねーみたいに感じてたけど普通にasap rockyの live love asapから十年以上たってるもんね。まじやばい。若い子からしたら古典でしょ?。あとイルマティックて自分の20歳の時より大分、神格化が薄まってる気がする。昔、好きなアルバム、イルマティックっていっときゃ舐めなれないみたいな感じなかった?俺は当時から懐疑的だったぞ笑 

NASじゃなくお前や俺に

めちゃくちゃかっこいいけとね。

のちにリアーナと結婚して息子の名前はRZAなんて当時は誰も思わなかっただろう…


週末は大雨の中、下北沢にLIVEに行ったり、日曜日は地元の本土寺という紫陽花や菖蒲が有名な寺があるのだが菖蒲が見頃ということで家族で観にいった。

ここがあの世


あの世の



藤はすでにさやえんどうみたいになっていた


れんげ

山菜そばや草だんご、スモモなどを食べて帰った。

こんぐらいが一番いい


駅のホームの広告がない壁 現代アートっぽい


生活がしみついた

広告の裏にあるこのしみつきこそ我々の無意識


などとこじつけながらぶらぶらするのも楽しいかもしれない。

KASSA OVERALLのANIMALSを聴いた。
HIPHOPは主語が強い音楽だけど、この音楽の主語は場所としての主語で主に主語を言葉で彩るのではなく、あくまでサウンドや状況によって主語が主語でありたらしめていると感じた。多くは主語を多くの言葉で主語を主語足らしめるものにしていくというものだがこの作品は調和としての主語で言葉で表せない主語を表すとでもいうか。
pink siifuとかの作品でも感じるがこれはより顕著で面白い。ラッパーが言葉から開放されるといった感じか。マイルス・デイビスがトランペットを吹かなくてもマイルス・デイビスは存在するというか。吹いてる時も重要だが同時に吹いてない事も重要という感じ。
聴いていて誰のどこがKASSA OVERALLなのか判別できないがそこが逆によく感じたし、まさにそれがkassa overallのanimalsを聴いているということなのだろう。

読んでいただきありがとうございました

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