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Voices Vol.14 僕はなぜ不登校になったのか 前編

~プロフィール~

 福岡県出身、27歳。小学生の時の人間関係がきっかけで、小学4年生の頃不登校に。友人の支えのお陰で小学6年生で学校に復帰。その後は中学・高校・大学と福岡県内の学校に進学し、大学卒業後は福岡県内の学習塾に就職。その後、転職のため大阪府に住まいを移し、現在は、ろ~たすのスタッフとして勤務している。

僕にとっての学校とは


 僕は小学校4年中盤〜6年前半の期間で不登校と登校渋りを繰り返していました。
 登校渋り・不登校が始まったきっかけは、当時の友人関係の悪化とイジメグループの中心人物(以下、a君)の存在であったと記憶しています。
学校そのものや先生方への不満は無いながら、その友人やa君の振る舞いや言動を目の当たりにしている中で、登校渋りや不登校に繋がったと記憶しています。

小学生になってから暫くの間、僕の学校に対する印象は
【とりあえず行くところ】
であり
【休み時間に皆で遊ぶのが楽しいところ】
でした。

勉強は苦行でもないけどだからといって楽しいわけでもない。
でも先生は教え方が優しく、よく褒めてくれるといった感覚でした。
ただ、そこに対しての特別な達成感等は無く、あくまで友達がいるという点が当時を振り返る上で重要だったと思います。

1-3年生の間は
・【学校のグラウンドでいろいろな遊びをする】
・【友達の家でゲーム等をする】
・【褒められたり出来るようになった感覚が嬉しいから勉強頑張る】

という気持ちを原動力に学校に行っていました。

不登校のきっかけ

 不登校になるきっかけは前述の通り友人関係です。
まずきっかけとなった友人がどんな人かというと
【一緒に遊んだりお喋りをする人】
【たまに無意識の嫌味を吐いてくる苦手な相手】
といった感じで、よくいる子です。
 ある日、その子の家に誘われる機会があり
「ちょっと苦手だからやだなぁ」と思いつつ、「断るのも相手に悪いからなぁ」と断りきれずにその子の家に行きました。何を言われたかは失念しているのですが、その辺りから人に対しての不安の感情が出やすくなったこと、学校に対して負の感情が出てきたことを覚えています。
そんな中で a君に目を付けられたのが登校しぶり・不登校が現実になった理由だったと思います。a君は

【人をイジったりちゃかすことを楽しんでいる人間】
【何人かを顎で使うような、スクールカースト上位】

で、付き合い辛い相手でした。
その子に目を付けられイジりが悪化する
→目立つようになり女子の集団にも目を付けられる

その結果
【学校に行くとaくん中心に嫌なことをしてくるから嫌な所だ】
【周りも変な目で見てくるし、もしかして皆自分のことを嘲笑ってるんじゃないのか】

という考えが常在化するようになりました。
また当時とあるゲームにハマっていて
【学校は楽しくないし辛い所だけどゲームは楽しいし嫌な思いをすることはない】
という結論に至り、
2限3限目登校が当たり前になりたまに学校に完全に行かない日がある登校渋りになりました。

 登校渋りが当たり前になっていた中でも学校に行っていたのは、
母親が「いいから行きなさい」と背中を押すではなくケツをしばかれていたからです(タクシーで送り迎えしてくれたり電車でいいから行けとお金を掛けてくれたことは今思えば有り難いですが)。

 しかし、それは根本的な問題解決にはならず、また途中から行くようになった結果、悪目立ちになり更に口撃が集中するようになりました。
 口撃を行う人たちにとってそれは『イジり』であり、子どもならではの表現です。が、受けている本人も子どもであり、当時の僕にそれを冗談で受け流す力はなく、次第に疲弊していきました。
 そこからは腹痛や風邪を引く事による発熱、腹痛状況下で牛乳・油物を採る行為や少量の洗剤摂取など小学生が考えられる限りの方法を試しています。親の立場で考えれば信じられない行為ですが、本人にとっては必死なんです。それだけ学校に行きたくないという気持ちの現れなんです。

そうやっていわば【ズル休み】をしている時にやってたのはゲームです。
傍から見ればただゲームをやっているだけで学校をサボる、やらなければならない事に向き合えない子どもに見えると思います。
ですがそれが心の救いになっていました。

【ゲームをしていれば学校という嫌が詰まった空間を忘れることができる】
【ゲームであれば自分の力で何かを成し遂げる事ができる

(俗に言う成功体験です)】

を、無意識のうちに選択していたのだと思います。

ただただゲームがしたいから学校をサボっていた訳では無いんです(当時は正直この考えもありましたが…)。
ゲームこそが心の拠り所であり、嫌な事をされずに済む快適な空間だったんです。

不登校をどう乗り越えたか


そんな僕にも学校に復帰するきっかけがあり、復帰した後定着するまでの要因があったと考えています。
その要因は主に3つだと考えています。

不登校から復帰した要因


1つ目は、当時授業で取り扱っていたソフトボールです。

 イジメが深刻化し不登校が起こる前に遊んでいたある友達が野球好きで、良くキャッチボールに誘われていました。その流れで僕も野球が好きになっていて、それに近いソフトボールは受けたい授業でした。
 受けたい授業があるから学校に登校する日ができ、無理が来たときは保健室に行っていたあるいは1日頑張り抜いてたというのを覚えています。

2つ目は、イジメの主犯格a君が引っ越したことでした。
 当時a君が行っていたイジメがエスカレートし、ある日失明していても全くおかしくなかったレベルの事件を起こします
(直後に病院に行き最優先で治療を受けさせてもらえたことと偶然が重なり視力が落ちる程度で済みました)。

 その近日中にa君の両親が家に謝罪に来た日があり、それ以来学校に行った日に彼の姿を見かけることはなくなりました。彼がいなくなった事により過激なイジメはなくなり、また当時の担任の先生が他の子どもたちに話を繰り返してくれたおかげかどうかいじりも減っていきました。
学校が少しずつ快適な空間になっていったのを覚えています。

3つ目は、友達の存在です。
 僕にはまず前述の通り、キャッチボールに誘ってくれる友達がいました。当時、その子は比較的、自己中心的でした。
それは相手の気持ちを組み取れきれないという事でもあり、当時断りきれない性格だった僕は毎回のごとくキャッチボールに誘われてました。
最初は体力もなくキャッチングも上手くないため嫌でした。しかしその子が根気よく付き合ってくれたこともあり、次第に体力も付きキャッチボールも上手くなってきました。当時できることの少なかった僕にとって【キャッチボールが上手くなった】という事実は間違いない成功体験です。

 またそれにより野球が好きになり、結果前述のソフトボールの話に繋がりました。その子はゲームの趣味が合う友達でもあり、その子の家には小学生のころから地元を離れる前までよく遊びに行っていました。その遊び経験が不登校から復帰した以降の力になりました。それが無ければ人間関係を構築していく際に今まで以上に苦労していたかもしれません。

同じ目線で立ってくれる友人の存在


 もう一人います。その子とは遊びに行ったり共通の趣味を持っているというわけでもない、クラスメイトの一人でした。中学校以降、そこまで遊ぶでもなく最終的には疎遠になっています。
 ある日僕がいつものようにちょっかいをかけられ困惑していたときに「困ってるじゃんやめてあげなよ」「辛そうなの分からない?」
と庇ってくれた事があったんです。
 当時の僕は自分のクラスに【この子が友達、一緒にいて楽しい子】
という存在が居らず、はっきり言ってクラス内で孤立していました。

その状況下で庇ってくれる存在が現れてくれた事は素直に嬉しかったことを覚えています。
 彼がいたから学校が辛いところだという認識が一気に薄れました。
むしろ彼と喋ったり遊んだりしたくて学校に行こうとしてたんじゃないかとすら思えるレベルです。当時はそれぐらいの存在になっていました。
「同じ目線:同じ年齢の子どもに庇ってもらった、味方になってもらえた」という事実が非常に大きかったんだと思っています。


もちろんほかにも要因はあったと思います。

・気にかけて下さった先生方
・嫌味なく楽しそうに話しかけてくれるクラスメイトや同級生

・勉強が苦痛であるという意識は元々なく、基礎学力も定着していたため、学校復帰時の授業への参加もスムーズに行えた。

等々あったと思います。それら要因に、先ほど記述した3つが重なった結果運よく復帰できたものと思っています。


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後編へ続く

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