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Vol.12  ”不登校を経て” (教員編)

*本記事は前回の続きとなります。

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小学校教員としての数年間

 高校は定時制へ進学、その高校で指定校推薦をもらえたためそのまま大学へ進学しました。就職について考えた結果、小学校の教員になることを決めました。無事に採用試験に合格し、夢にまで見た教員としての仕事。
 一生懸命頑張りましたが、発達障害からくるマルチタスクの苦手さ、生活経験不足による子どもたちに教えられることの少なさなどの自分の仕事のできなさに絶望しました。加えて先輩教員や教頭からのセクハラ・モラハラもあり、うつ病になり3年目の3学期に休職。そしてそのまま3月に退職することとなりました。
 もちろん、仕事はつらかったことばかりではありません。子どもたちは本当にかわいく、一生懸命で、不器用な私を助けてくれようとする優しい子たちばかりでした。ですが私の性格上、「人を育てる」ということが向いていなかったようです。

共感するだけでは子は育たない

ときには間違いを指摘したり、強く指導したりすることも必要です。それができなかったことがとても悔しく、退職して年が経った現在も教育にかかわる仕事をしたいと思っています。退職後は非常勤講師として、担任はもたずに算数の授業だけをする仕事もさせてもらいましたが、やはり担任としてのやりがいや楽しさは得ることができませんでした。

教員は楽しい仕事です。
けれど、他の職業と同じように確実に向き不向きがあります。理想や情熱だけではやっていけないという現実を知ったことは私にとっては学びでした。また、教員だからといって、全員が人間的に完成された人物ではないということもわかりました。自分自身も含めてですが、人間なので当然欠点もあります。それが持ち味になると良いのですが、道徳的に外れたことをする教員も現実に存在します。そんな教員が学校の柱になっていることさえあります。それが、私の悔しさであり、公教育の課題ではないかと考えます。


不登校への対応について

人生で長い間不登校を経験しましたが、小学校と中学校では自分の心境も、周囲のかかわり方も大きく違いました。また、それが幸いにもフィットしたからこそ私は元気を取り戻せたといえます。
 まず小学校では、5年生まで周囲は
エネルギーが溜まるまで待つ」「受け入れる」
という対応をとっていました。
ですが6年生になり、担任の先生を中心に「積極的にかかわる」という方向へ変わっていきました。担任の先生はバンバン勉強を教えてくれるし、家での過ごし方も質問してきたり、良い意味で踏み込んできたり。私を知ろうとしてくれる。そして、同級生ともかかわることができるようになりました。
「エネルギーが溜まるまで待つ」という対応のままであれば、私は学校へ行くことは無かったと思います。

 逆に、中学校時代は、担任の先生、両親ともに「エネルギーが溜まるまで待つ」「受け入れる」を徹底した対応をしてくれました。自分ひとりの時間をもつことで、美容やダイエット、読書、好きなことを自由にすることができ、基本的に安心して暮らせるという信頼感のもと、不安や苛々とつきあっていくことができました。そのため、まさに「欠乏した心のエネルギーを溜める」ということができ、自ら登校することを決めました。
 私は、自分の経験から、一人の人間に起こる不登校でも、時期や環境、要因、本人の状態によって必要な対応の仕方は大きく変わると考えています。 
 現在の不登校対応は、どちらかというと「待つ」という姿勢に偏り気味かと感じます。特に学校側は、不登校の児童生徒への対応のしかたがわからず、腫れ物に触るような扱いになってしまいがちです。しかし、子によって抱えていることや、学校に対して感じていることは違います。時には積極的な人との関わりや、背中を押す支援も必要かと思います。

人とかかわることで、人は変わり続ける

これが私が29年間で学んだことです。

そこを見極めて適切な対応を行うことは大変難しいですが、学校現場でも、多くの人や事業の力を借りて対応していただきたいと願います。

ありがとうございました。


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