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ルーティンは組まない

今日から10月。
気がつくと、2021年もあと3ヶ月。
もうという気持ちと、まだという気持ちが、日々交錯している。
昨年末に体調を崩してから、あれよあれよというまに急激に体重が減り、気がつくと入院を余儀なくされ、一度は自宅に戻れたけれど、すぐに再入院。あっけなく、母は逝ってしまった。
あまりに大きな出来事があったせいか、3ヶ月あまり経った今も、まだ気持ちが定まらずふわふわしている。
頭の中が混乱しているという感じよりは、真っ白、空白、空っぽな感じがして、これから自分は、何をどうしていったらいいか、何をしたいのか、何ができるのかもわからない。
こんな感覚になったのは、初めてだった。

昨日、暫くぶりに師匠筋の人と、じっくり話をする機会があり、その思いを話してみた。
師匠は、何もしたくないならしないままでいればいい、できないならできないままでいればいい、それが、今のあなたの素直な気持ちなら、その気持ちにしたがった方がいいと言ってもらった。
一致していると感じられるなら…
そしてこうも言われた、あなたはいつも、自分が決めたことにこだわりすぎるとも。
そう言われれば、確かに私は、一度自分で何かを決めると、そうしなければいけないという感覚に囚われてしまう傾向を持っている。

子供の時からそうだった。
これをやると決めたら、とことんやる。
途中で方向転換や、取りやめることは、考えられないタイプの人間だった。
たとえ、気持ちがそこから離れたとしても…何かしらの成果をあげたからでないと、方向転換や、やめることができない。
それでずいぶん、苦しんだり、無駄な時間を費やしたりしてきた。

無理をすることはない。
違ったと思ったら、方向転換すればいい、やめてもいい。
それよりも大事なのは、常に自分の気持ちに従うこと。
気持ちと行動を一致させることなのだ。

何もしたくない、何もできない感覚にいるのは、とても不安だ。
本当に自分には何もないという感覚に陥る、何もできない自分を突きつけられたようで苦しい。
だから、無理矢理 規則正しい生活をしたり、きちんと家事をこなすことで安心しようとしていた。
そこから答えやヒントを見つけ出そうとしていたのかもしれない。

しかし、何も無いことが、本当に無いのではない。
何かが顕われようとしているのかもしれない。
そのための時間であり、空間だと思うと言われて、腑に落ちた。

今まで経験したことのないことを体験して、明らかに変わったことがいくつかある。好きだったものが急にそうでもなくなったり、関心、興味があったものが一気に冷めてみたり、価値や意味を感じなくなったり、逆に信頼できるものに出会ったり、やっぱりこれだ!!と確信してみたり。
これが価値観の変化というものなのだろうか…

こうしなければいけない、決めたからには、をやめよう
とりあえず、ルーティンは作らないでいこう
その時の気持ちに従って、動いたり、止まったり、休んだりしていこう
今、そう思っている。

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