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魂を歌った青春〜尾崎豊さん〜

昭和50年代、私は尾崎豊にどハマりしていた。


小学生ながらに、自分の鬱憤を代弁してくれている気がして嬉しかったし、何よりその声に魅了されていた。

当時、雑誌「PATI PATI(パチパチ)」(懐かしい…)や新聞記事の切り抜きをスクラップしていた。

もちろんテープは全部持っていて、CDに移行したらそれも買い集めた。テープは流石に伸びちゃってるけれど、今も手元にある。なかなか捨てられないのです。

コンサートは、中学生のとき、学校の後で友達と代々木体育館に行ったのが最初で最後。ステージが席から遠かったけど、同じ空気を吸っているという幸せ感に満たされた。

1987年のチャリティーコンサート「A LIVE HIROSHIMA」を観てパフォーマンスに魅了された。そこでの岡村靖幸さんや渡辺美里さんら他のアーティストとの共演も嬉しかった。録画して何度も観た気がする。

1992年、亡くなったニュースが新聞に載った朝のことをよく覚えている。玄関に新聞を取りに行ったら訃報が書いてあり、ショックで泣いた。今改めて調べると26歳で亡くなっているんですね、相当早かった。。

こうして、私は最期まで彼の歌人生を追いかけたわけだけど。。

今改めて考えてみると、何にそんなに惹かれたのか?

それはやっぱり、なのです。

彼の声は基本明るくて聞き取りやすい。そして嘘がない。感情がそのまま声に乗ってくる。憂いを帯びたり、怒りが溢れたり、切なくなったり、声が出なくなるほどに心が詰まったり、、

歌いながら移り行く彼の感情が、そのまま声になっていた。

歌に関しては超自然児だったのではないかと思う。自分の歌がどうだとかテクニックを考えなくていいほど、自然に感情表現できるテクニックが、初めからあった。

尾崎が叫ぶと、聴いている私たちも一緒に心で叫んでいた。あれだけの数のファンを背中に背負いながらも、どんどん大人になっていく本人は苦しんだと思う。ずっと同じことは歌えない。昔のように心から叫べない。その成長する苦しみを、のちの作品から感じることができる。

それでも、尾崎豊はずっと私の歌の神様だった。
後に私が声楽を学んで発声は違えど、体の奥から魂をストレートに出すからこそ歌が響くのだということは、当時の尾崎が教えてくれたと思う。




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