「デビューアルバムがビルボードのラテンミュージックチャートで11週連続1位をとった日本人バンドについて!」

TBSラジオで毎週金曜日8時30分~午後1時まで放送の「金曜ボイスログ」
シンガーソングライターの臼井ミトンがパーソナリティを務める番組です。

このnote.では番組内の人気コーナー
「臼井ミトンのミュージックログ」の内容を書き起こし。
ちなみにyoutube版では動画も公開しているのでそちらも是非。

今回のテーマは…

「デビューアルバムがビルボードのラテンミュージックチャートで11週連続1位をとった日本人バンド!」

  • 米・ビルボートラテンチャートで11週連続1位を獲得した日本バンド

海外進出を目指す日本人アーティストというのは過去にもいましたけれども、大抵の場合は日本で大成功を収めたあと満を時して海外デビュー。
という流れが多いわけでございます。
宇多田ヒカルさんしかり、久保田利伸さんなんかもそうかな。

ところが、デビューアルバムがいきなりアメリカ・ビルボードのラテンチャートで11週連続で1位を獲得してしまった日本のバンドがいるんです。

『Orquesta De La Luz』

スペイン語で光の楽団という意味を持つこのバンド。
僕今しがた、ラテンチャートと言いましたけどもバンド名がスペイン語であることからも分かる通り、ラテン系の音楽、その中でも特にサルサと呼ばれる音楽をやっているバンドでございます。

  • ラテン、サルサはどんな音楽なのか?

ラテンとかサルサとか、音楽のジャンル名としてこういった言葉を一度は耳にしたことがあるという方も多いと思います。ただ、このラテンやサルサという音楽ジャンルがどんなものかということがある程度わかっていないと、このバンドのサクセスストーリーについて語ることも難しいので、まずは
そのあたりの解説から話を始めます。

まず、メキシコより南の中南米エリアのことを一般的にラテンアメリカと呼びます。これはもともとはスペイン・ポルトガル、一部フランスがこのエリアを征服して植民地支配していたことに由来してまして、ヨーロッパ南部のラテン民族が支配したアメリカっていう意味合いですね。

そんな中南米で生まれた音楽を、ラテンミュージックと呼びます。
アフリカから奴隷としてこの地に連れてこられた黒人たちが、自分たちの
リズム文化と宗主国であるヨーロッパ南部の音楽文化とを融合させて生み出した音楽ですね。ただ、ひとくちに中南米と言っても広大なエリアですから、当然様々な音楽文化が存在するわけです。キューバの音楽、アルゼンチンの音楽、メキシコの音楽などなど、みんなそれぞれに違うんだけど、そういった中南米の様々な音楽を十把一絡げにまとめてラテンと呼ぶわけです。

ただ、中南米で唯一ブラジルだけがポルトガル語圏なので、
文化的にブラジルだけはちょっと毛色が違ったりもするんですよね。なので、ボサノバなんかのブラジル音楽はラテン音楽にカテゴライズしない場合もありますが、まぁザックリ、ラテンとは中南米の音楽である、と思ってください。

一方で、北米大陸の話になりますが、以前、ジャズのリズムがどうやって
生まれたのかという話をこの音楽コラムでしたときに、こういった中南米の音楽文化がニューオリンズという港町経由で北米大陸に入って来て、そこでヨーロッパの音楽と混ざり合ってジャズが生まれたと言う話をしました。

でも、これって逆の見方をすれば、北米大陸においては、中南米の音楽はそのままの形では残らなかったということになりますよね?
何故かと言うとアメリカ合衆国っていうのは、中南米とは違ってアイルランドやスコットランドからの移民が多かったもんですから、彼らがヨーロッパ北部から持って来た音楽文化の要素が根強く残ったわけですね。
なので、中南米から入って来た音楽は、北米ではほぼ原型を留めないレベルで変容を遂げて、ジャズという音楽に形を変えてしまった。
ジャズも中南米音楽をルーツに持ってはいますけれども、そんなわけでジャズのことをラテンミュージックとは呼びません。

  • 禁酒法とキューバと音楽

じゃあ中南米の音楽はそのままの形では全然北米に入ってこなかったのか?というと実はそうでもなくて。
ジャズが誕生した直後、1920年頃なんですけど、アメリカでは禁酒法が施行されます。お酒の販売や提供がほぼ全米で禁止されたわけですね。
お酒のせいで社会が退廃的になるからけしからんということで、禁欲的に生きるべきだと。でもお酒呑みたいじゃないですか。人間だもの。
じゃあ、お酒飲みたい人はどうしたか。

キューバに旅行してお酒呑みに言ったんですよ。
キューバはアメリカと非常に近い島国、カリブ海に浮かぶ島国です。
もともとはスペイン領でしたけどその当時はすでに独立していて、政治的にも非常にアメリカに近かったので、キューバ革命以前の話ですからね、
アメリカ市民はかなり気軽に旅行に行けたんです。

キューバに行けば合法的にお酒が飲めるってことで、キューバ旅行が大ブームになります。で、そのキューバの酒場で演奏される音楽はどんな音楽かっていうと、そりゃもちろんキューバの現地の音楽です。
混じりっけなしのラテン音楽ですよ。今まで酒場でジャズしか聴いたことのなかったアメリカ人は、もっともっとドギツくシンコペーションの効いた
本場の中南米の音楽にここで出会って、熱狂するわけです。
そしてキューバの楽団がアメリカに招かれてコンサートをやって大人気になったりするわけです。

さらに言うと、当時アメリカはどんどん経済発展して国家として大成長を
遂げていく真っ只中。中南米の人々も仕事を求めて次々とアメリカにやってくるわけです。移民としてアメリカにやってきた中南米の人々は、
当然、自分たちの故郷の音楽を欲するわけですよね。
中南米の移民が増えるにつれ、アメリカ国内においても、徐々にラテン音楽を演奏する人や場面というのも増えてくるわけです。

ラテンミュージックは最初のうちはジャズとして形を変えた状態で、
まぁ言うならば水で薄められたような状態で親しまれていたものが、
次第にそのままの濃ゆい原液の状態でもアメリカ国内で徐々に市民権を得ていくわけです。

そうなってくると、音楽ですから、ここからさらにまたお互いに混ざり合うんですよ。アメリカにはアメリカの音楽文化があるわけじゃないですか。
戦後にはジャズもアドリブを競い合うモダンジャズが主流になりますし、
ブルースやロック、リズム&ブルースなんかも既に市民権を得ています。

  • そしてサルサの誕生へ

北米の方のアメリカの音楽文化の要素、ジャズのアドリブとかハーモニー、あるいはロックのリズム、こう言った要素を今度はラテン音楽の方が飲み込んで、あくまで主役はラテン音楽なんだけど、ジャズやロックやソウルの要素もちょこっと入っているっていう音楽が戦後ニューヨークで誕生します。それがサルサです。スペイン語でソースを意味するこの言葉、ラテンはラテンでも、中南米からアメリカにやって来た移民たちが、大都会ニューヨークで様々な音楽文化を吸収して生み出した音楽なんです。

ジャズが誕生したときって、ある意味ではラテン音楽がヨーロッパの音楽に飲み込まれてしまっていたんですね。さっき言ったように水で薄められたみたいな感じですよ。それが今度は逆にラテン音楽の方がジャズやソウルを飲み込み返して生まれたのがサルサなんです。
同じ北米で生まれた音楽なのにジャズはラテンに分類されない。一方でサルサはラテンとしてジャンル分けされるっていうのはそういうことなんです。

このサルサという音楽、1960年代の公民権運動の高まりもあって、
ラテン系移民の音楽文化として、ある意味では彼らのアイデンティティの
象徴としてアメリカでは確固たる一大音楽ジャンルに成長するんですね。

一方で日本でも、どういうわけか古くからラテンの音楽文化が広く愛されていましてマンボの大ブームがあったり、ドドンパの大ブームがあったり、
何かと日本の歌謡曲と非常に親和性が高いんです。
なんかこうスペイン経由の郷愁を誘うメロディとアフリカの土着のリズムみたいなものが日本人の琴線に触れる部分があるというかね、妙に親しまれて来たという文化があって。
ただ、戦後ニューヨークで生まれたサルサという、そのジャズの要素を含んだ都会的なラテンミュージックというのは、日本で本格的にやる人はなかなか現れなかったんですよ。

  • 日本でも本格的なサルサ・バンドが誕生

そんな中1984年に、当時日本ではまだ珍しかった本格的なサルサ・バンドが誕生します。それがOrquesta De La Luz。パーカッショニスト大儀見元さんを中心に結成された彼らは日本国内で地道に活動するわけですが、

如何せんサルサという音楽がまだ日本では根付いていない。
そこで、ボーカルのNORAさんが留学したついでに、デモテープをNYの音楽関係者に配りまくった結果、1989年に NYでのライヴが実現します。
有名なラテンミュージックのフェスにも出演して、向こうのオーディエンスに熱狂的に支持されるんですね。そしてNYで大きな話題になったあと、
凱旋帰国して日本でデビューアルバムを制作します。

もちろんそのアルバムを日本国内だけではなくアメリカでもリリースするんですが、それがなんとなんとビルボードのラテンチャート11週連続で1位を記録するという前人未踏の偉業を成し遂げるわけです。
4枚目のアルバムではグラミー賞にもノミネートされて世界的な評価を確固たるものにしました。ちなみに紅白歌合戦にも出場しております。

ラテン音楽の文化は日本では歌謡曲と深く結びき長いこと愛されて来たわけですけど、現地でも喝采を浴びるような本格的なサルサをお茶の間に持ち込んだっていう意味で日本の音楽シーンにおいて非常にエポックメイキングでしたし、なにより全曲スペイン語で歌詞を書いてアメリカのラテンコミュニティで大ヒットするっていうのは本当に歴史的な快挙ですよね。

全米で大ヒットしたOrquesta De La Luzのデビューアルバムから、
わたしたち日本人にもこんなサルサがやれるのよ!と歌う楽しい曲です。

ORQUESTA DE LA LUZ  で  SALSA CALIENTE DEL JAPÓN

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