「Voice Guild」ってなに? - 2020.8.30更新
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こんにちは。
はじめまして。
Voice Guild管理人です。
Voice Guildって一体なんなのか、そしてなぜVoice Guildをやっているのかを立ち上げまでの経緯も含め、私自身の振り返りも兼ねて本記事にまとめてみました。
良ければご一読くださいませ。
まず私の自己紹介を簡単に。
1990年生まれ、現在29歳で
四国、香川県出身、都内在住の元声優、
アニメーションスタジオの音響制作ディレクターです。
声優としての活動はこれまで、主にナレーションを70本以上担当し、その他イベント司会業、FMラジオ番組のレギュラーパーソナリティを4年間経験していました。
声優業の傍ら、ベンチャー企業にて人材事業、クリエイター支援事業に携わり、現在は声優業から退きつつ、普段は大手IT企業のマーケティング担当として活動。社外ではアニメーションスタジオ創業に参画し、声優オーディションの実施、審査を担当。他、動画制作事業の声優キャスティング、ディレクション、音声編集を担当しています。
過去の声優としての具体的な実績としては主に下記のような「企業VP(ビデオパッケージ)」と呼ばれるナレーションを担当していました。
Voice Guildってなに?
Voice Guildは声優を本気で目指している人を集め、今後一人一人が声優としてデビュー、活躍して行くために必要な知識や技術を養うための合同練習や座学、情報共有を行い、仲間と切磋琢磨して自分を磨いていける場所、完全招待制のギルドです。
Voice Guildを運営している一番の理由は、
「声優を目指して後悔する人をなくしたい」からです。
以下、なぜこうした思いを抱くようになったのか、Voice Guild立ち上げまでの背景をお伝えしたいと思います。
Voice Guild立ち上げの背景①
▼黄金時代編 Ⅰ 〜 声優を目指したキッカケ、養成所での出会い
Voice Guild立ち上げの経緯をお伝えするには、これまでの私自身の経歴をお伝えしなければなりません。
私は19歳のとき、高校の知り合いが声優養成所に通い始めたことをきっかけに声優を目指し始めました。
声優になろうと思った一番の理由は、何より「楽しそうだった」からです。
当時、声優の番組は主にスカパーのAT-Xチャンネルなどで放送されており、アニメ好きだった私は声優番組をよく見ていました。
その中で特に、『Club AT-X だぶるあ~る』という番組で、メインMCの小山力也さんと田中理恵さんがすごく楽しそうな企画をやって、笑って仕事をしている姿を見ていて、こんな楽しそうな企画をやってお金をもらえるなんて良い仕事だなー、と漫然と思っていました。
そんな2月のある時、高校の友人から
「〇〇くんが声優目指して上京したらしいよ」
と聞かされました。
私はアニメ好きでもありましたが、中学、高校と、何かと先生から「声が良い」と言われることが多々ありました。
自分では全く意識していませんでしたが、放送部でもないのに放送部の大会にエントリーさせられたりしていたので、何となく自分の声を活かせる仕事がやれたら良いな、と考えていました。
そんな時に、知り合いが、(しかもその子は剣道部主将で爽やかスポーツマン系のイケてる男子だったんですが...!)声優を目指して上京?
今でも鮮明に覚えていますが、
そう思った瞬間、
私の身体に電流が走りました。
まるで雷に打たれたかのような衝撃が走り、
「今決断しないと、一生後悔する気がする」
と実感しました。
そんなことがあるなら、
俺も行かなきゃ駄目でしょ!!
と、謎の刺激を受けて一念発起しました(笑)
その場にいた友人はアニメや声優事情に詳しかったので、その場で香川県から一番通いやすく、デビュー可能性の高い、かつ受講費の安い養成所を教えてもらいました。とにかく何かに突き動かされるように家に帰った私は、すぐに親に声優を目指して養成所に通いたい!と直談判をしました。
今になって考えても、我ながら唐突にむちゃくちゃなことを言っているなと思うのですが、私の親はどちらかというと放任主義だったこともあり、なんとか承諾を得ることができました。
そうしてその日のうちに、某養成所、大阪校の入所オーディションを申し込み、次の月には大阪に行ってオーディションを受け、4月から大阪校の基礎科で声優を目指して練習に励みました。
週一回のペースで高速バスに乗り、
香川と大阪を行き来する日々。
大阪校までの道のりは片道3時間(往復6時間!)かかるので、その時間は読書や映画鑑賞、アニメを見る時間に当てたりと、何かしら自分の技術を磨くことに必死でした。
そしてその最初に入った大阪校基礎科で
生涯のライバルとも言える存在に出会いました。
彼は基礎科の中で圧倒的な存在感と実力を伴っていました。とにかく前に出る、常に明るく、笑顔を絶やさず発言する、また、時にはクラスの雰囲気を笑いで和ませ、その場の空気をつくる。芝居では誰よりも深く、そして大きな芝居をする。さらに聞いてみれば、彼は現在のnanaのような声劇をできるサービス「こえ部」(2019年現在サービス閉鎖しています)を使ってオンラインでも声の活動を広げているとのことでした。
私は人見知りで、とにかく自分に自信がなく、根暗でネガティブ思考な人間でした。
彼はまるで、私と真逆の存在でした。中高時代もずっと人見知りだった私は、彼を見ていて「すごい...」と憧れる気持ちと同時に、自身の人見知りというコンプレックスを克服しなければ芝居はできないと強く感じました。せめて舞台上だけでも、堂々と表現していける「役者」になりたい。それから私は彼を勝手にライバルと決めて、いつか絶対にライバルとして認められるくらいになってやる!と自分を奮い立たせました。
とにかくがむしゃらでした。
その彼の言動や振る舞い、姿勢を観察しながら、どうすれば自分が目立てるのか、芝居に自信が持てるのか、技術を磨けるのかを必死に考えました。そしてどうやって演技の技術を磨けるのかを試行錯誤しました。
考えられる全てをやり尽くしました。
そしてあるとき、私の芝居がクラスの全員から大きな評判を得られた瞬間がありました。そこから、これまで距離感の遠く感じていた彼と会話が弾むようになり、ご飯に一緒に行き、親交を深められるようになりました。
そして基礎科の最後に、チームを組んで行う舞台形式の発表会が行われることに。発表会の当日は他のクラスの養成所生もお客さんとして呼んで行われる本格的なものでした。
そこで私は、そのライバルだった彼と、2人でチームを組んで発表することになったのです。
そこからは彼と必死に芝居のプランを練りこみました。
私は香川県、彼は奈良県に住んでいたため、時にはスカイプを通じて台本の読み合わせをし、発表直前のレッスン日には前日から奈良県の彼の家に泊まり込み、一晩使ってベストな形を突き詰めました。
そうして迎えた発表日当日。
彼の家から一緒に
駅に向かう坂道の途中で、
彼は言いました。
「どっちが先に声優になるか、一生かけて勝負やぞ」
その時、私はどういう顔をしていたのか
今ではよく覚えていません。
ですが、その時の気持ちは
今でも忘れません。
とにかく嬉しかった。
ようやく、自分の中だけだったライバルが、
お互いを知り尽くして認め合った
本当のライバルになれた...!
もしかしたらその時、
私は泣いていたかもしれません。
当日は講師も含め、30人近いお客さんが来ていました。不思議と、緊張は有りませんでした。それよりも、早くこの芝居を見て欲しいと、身体が疼いていました。
舞台は大盛況でした。
彼と共に作り上げた笑えるネタ箇所も全てで狙い通りの反応を得られ、会場は大爆笑の歓声で溢れました。あれほど充実した芝居は、今から考えても他にありません。
彼はまだ声優を目指しているのか、分かりません。
ですがあの時、
あの坂道で彼と交わした勝負は
まだ続いているのだと信じています。
▼黄金時代編 Ⅱ 〜 絶望、FMラジオMCデビュー
そうして養成所に通い始めて1年ほど経ったある日、とある求人が目に入りました。
「FMラジオ番組MCオーディション開催」
ちょうど、地元の専門学校内で就活が始まった時期でした。
某養成所では基本、オーディションを受けることは禁止されています。ですが当時は、何かしら事前に連絡を養成所に入れれば認可が下りるようになっていました。
もちろん「養成所の案内には禁止って書いてあったし、本当にこんなことをしていいのかな...大丈夫かな...」と若干の躊躇もありました。だけど落ちても別に何も無いし、受かったらむしろラッキーだし、新しい活動や憧れていた環境に近づけるかもしれない。応募して失うものは特に無いだろうと思い、私は就活的な意味合いも兼ねて、思い切って応募してみました。
オーディションの結果については何とすんなり合格をいただけたのです。(そこは今でも本当に運が良かった、としか言いようがありません)
そして5月1日。ラジオの生放送がいよいよスタートする当日。私の耳に予想もしていなかった最悪の知らせが飛び込んで来ました。
母親が亡くなったのです。
私の母は1年ほど前から食道ガンにかかっており、入院生活をしていました。もともとは割とふくよかな体型をしていたのですが、ガンにかかってからは数ヶ月間でみるみるうちに全身が痩せ細り、ほぼ骨と薄い皮だけのような、目も当てられないほど弱々しい身体となっていました。いつ死んでもおかしく無い状況だったのです。
それがまさか私が初めてラジオに出る当日に来るなんて、思いもしませんでした。こんな、ドラマのような出来事が本当にあるのかと、
あまりの絶望感で目の前が真っ暗になりました。
親が死んだのだから、ラジオに出ることは止めて、お通夜に出なければ...
ですが、ここで私の中で強い葛藤が生まれました。運良く掴めたFMラジオ放送のメインMCという大役。ここでその初回デビューの放送を辞退だなんてしたら、今後の放送から降板させられるかもしれない。。
せっかく掴んだチャンスを、捨てたくない...!
家に帰りたい気持ちを振り切り、絶望に打ちひしがれながらも私はできる限り平静を保って、ラジオ局に向かいました。そして無事放送が終わり、すぐさま家に帰り、通夜に出ました。
その日、私はいたたまれない気持ちで、夜中もずっと泣き続けていました。
FMラジオの放送は県内全域で聞くことができました。その日、自分がラジオに出演してメインで喋るのだと、このことを母親に少しでも前に伝えていれば。私がラジオに出るその時まで、せめて放送終了時までは病室で生き長らえたかもしれない。
今もこれを書きながら当時を思い返すと、あまりの悔しさと後悔で胸がはち切れそうになります。自分が、声優として活躍する姿を、その片鱗を少しでも母親に見せたかった。この経験が、未だに私を突き動かしている最も強い原動力なのかもしれません。
FMラジオ放送はそれから継続して4年ほどパーソナリティを務めました。
最初はラジオ番組2本のメインMC(!)を務めさせていただき、1本は毎週金曜の夕方16:00-18:00の2時間生放送。もう1本は週1回、30分の収録番組でした。
また生放送番組の相方は
現役の声優さんで(!!)、
更にタイミング良く、生放送のゲストでは声優の「堀川りょう」さん(ドラゴンボール:ベジータ役など)や、「桃井はるこ」さん(シュタインズゲート:フェイリス役など)、近藤 光さん(アニメ制作会社ユーフォーテーブル社長)などをお迎えし、実際に生でお話を色々お伺いしたりと、あり得ないぐらいの貴重な体験を数えきれないほど経験させていただきました...。
平日は香川のコンピュータ系専門学校にも通いつつ、夜は養成所に通う交通費と小遣い稼ぎのために地元のイオンモールでバイトをし、週末はラジオ放送をやって、養成所の大阪まで高速バスで往復移動。
かなりハードでしたが、とにかく当時はずっと興奮冷めやまぬ感覚でした。肉体的な疲れよりも、自分が前に進んでいる、という精神的高揚感の方がはるかに勝っていたからです。
本当にめまぐるしく、楽しくて充実した日々が過ぎました。
それから3年、某養成所の大阪校で基礎科→本科→本科と演技を学び、研修科に上がるタイミングで東京に出ることを決めました。
東京に出ようと思ったのはやはりチャンスの数が違う、と感じたからです。
東京にはオーディションも多い。
レベルの高いライバルも多いはず。
もっと技術を磨けるはず。
そうして意気揚々と上京した先にあったのは、
暗黒時代とも言える日々でした。
Voice Guild立ち上げの背景②
▼暗黒時代編 Ⅰ 〜 上京後の養成所
東京に上京してからは、某養成所の代々木スタジオに通い始めました。
東京の、研修科のレッスンを受けられる...!
と胸を踊らせていた私ですが、実際のレッスンはその期待を大きく下回るものでした。
まず私のクラス担当になった講師の指導が曖昧でした。
何か芝居をした際に、よく
「もう少し...ん〜何というか、、
、、、ごめん、分かんないや...!」
という流れのフィードバックをいただいてました。(実際このような言葉で言われていました)
(分からんのかい...!!)
某養成所では結構あるあるなのですが、講師の方のアタリ、ハズレが存在します。
良いクラスは良い。良くないところは良くない。世の中なんでもアタリ、ハズレはあるので仕方ないことなのかもしれませんが。。
また東京だからといって、別にクラスの人たちのレベルも普通、ちょっと上手い人がぼちぼちいる程度でした。(当然中には飛び抜けて上手い人も稀にいますが。)
全体的な雰囲気では大阪校の頃と特に変わりありませんでした。
(※上記はあくまで私の私見であり、養成所で教わったことや培えたものはとてつもなく大きかったので、決してけなしたいワケではありません)
また、声優を目指すことの弊害、闇の部分も少しだけ垣間見ました。
某養成所に通っている受講生の中には30代後半、40代の人もいます。そうした人の中には定職に就かず、アルバイトで生計を立てている人もいます。私は代々木スタジオの研修科で、まさにクラスメイトの中にその人がいました。
出身は私と同じ香川県出身。40代前半。男性。職業は弁当屋のアルバイト。見た目はチェック柄のワイシャツに少しダボっとしたジーパン、メガネをかけていて髪は少し天然パーマのかかったボサッとした頭。髭がザラザラしてそうな、少し青くなっている肌。
夢を追いかけることは素敵なことです。そして、追いかけ続けることは簡単なことではないので、素直に応援したくなります。
ただ、40を過ぎて、こうした外見、身なりの人を見たとき、ここまで行くと人生、取り返しのつかないことになるなと痛感しました。
声優を目指すことにもタイムリミットが存在するのだと強く実感した出来事でした。
▼暗黒時代編 Ⅱ 〜 上京後の私生活
また、私生活面では数えきれないほどの失敗を経験しました。
何より困ったのは
「お金」の問題です。
上京してからは小田急線沿いの「読売ランド前」駅で家賃3万8000円、6畳ワンルームのアパートで一人暮らしを始めたのですが
初めての一人暮らしで舞い上がっていたこともあり、上京前に親から貰っていた資金(20万円)をたった1ヶ月で使い果たしてしまいました。
「やばい...死ぬ...」
そこからは必死で新宿の居酒屋やカフェでバイトをし、(時給1000円)なんとか生き抜くことができましたが、、
そこからも苦難の連続でした。
生きるためにお金は欠かせません。
ですが、お金の稼ぎ方もロクに知らない当時、思いつくのは賄いでメシが食える飲食店で食費を浮かせてひたすらアルバイトすることだけでした。
養成所もあるので実質手取り11万くらいの給料で、なんとか食い繋いでいました。特に徹底して切り詰めるところは切り詰めました。
・食事
→基本全て自炊、使う材料は「米、焼きそば、小麦粉、キャベツ、もやし」で固定。 味付けは調味料で創意工夫していました。
・光熱費
→蛍光灯は付けず、2年間まるまる間接照明オンリー。更に本当に厳しいときは水道代を抑えるために、トイレの水を流すこともできるだけ控えるようにしていました。(※小のときだけです。食事中の方すいません)
とにかく生きることに必死でした。
ですがそれだけ切り詰めても、そもそもの都内の生活コストが高すぎて、手取り11万程度のバイト代ではとても賄い切れませんでした。
(バイトをフルフルで詰め込めば生きられますが、当時必死だった私は毎週の養成所に向けての練習時間は何としても確保しておきたかったのです。)
そこでいよいよ生活に困ってきた私は、ある時から遂に、家賃支払いや生活の雑費をクレジットカードのリボ払い(※)で時々支払うようになっていきました。
※リボ払いは簡単にいうと、分割払いです。全ての支払いをカード会社が代行し、毎月の請求額が3000円程度で固定され、月々少額の支払いをするだけでOKな支払いシステムでした。スマホを新機種に変えた時の月々の分割払いと同じですね。
また、それだけお金に困った生活を送っていると、様々な甘い誘惑が人づてで聞こえて来るようになります。
「こうしたらすぐ稼げますよ」
「無理なく誰でも簡単に結果出せますよ」
「ただの日用品を友人や知り合いに勧めるだけで稼げますよ」
田舎者で、何かとそういった話に疎かった私は興味本位で色々と手を出してしまいました。時には背中から腕まで刺青がビッシリと入った、元ヤクザで前科持ちの人にも会いました。
詐欺にも引っかかりました。
詐欺師という人は実際に存在します。考えてみれば当たり前なのですが、TVドラマなどで登場するようなあからさまな感じではありません。
とても愛想が良く、純粋に人としてしっかりと自立した、見た感じ信用のおけそうな人柄の人がプロの詐欺師だったりするのです。
内容は投資詐欺に引っかかりました。投資をする金額なんて持ち合わせていなかった私は消費者金融を使って現金120万円をその人に預け、投資しました。
最初の3ヶ月間は毎月10万ほど、しっかりとした金額が配当として返ってきていました。ですが、4ヶ月目からは連絡が一切つかなくなりそのまま相手には飛ばれました。
結果的に私はクレジットカードの使用、投資詐欺、マルチ的商法などにより、合計で300万円の借金を背負うこととなったのです。
このままではいけない。
自分でなんとか生きる術を開拓しなければ...。
まさに絶望の淵に立っていました。
そんな時、
私に転機が訪れました。
とてもユニークな若い人たちが住んでいる話題のシェアハウスの情報を耳にしたのです。
当時、渋谷にあったそのシェアハウスは家賃が共益費込みで3万円。熱量の高い若手の、劇団を主宰していたり、映像制作やカメラマンとして活躍を目指している人などが大勢住んでいる場所ということでした。
根本から変えるには、まず環境を変えるしかない...。
そうして私は、2年住んだ読売ランド前から、渋谷に引っ越すことを決意しました。
Voice Guild立ち上げの背景③
▼環境の変化〜社会人デビュー
シェアハウスの入居面接をクリアし、渋谷に住み始めた私はその環境にこれまでに無い大きな衝撃と影響を受けました。
・会社員をやりながら劇団を立ち上げて「フラッシュモブ」という、街中でエンターテイメントを仕掛ける23歳男子。
・読者モデル活動をしながら自身もWEBメディアの専属カメラマンとして活動している21歳女子。
・世界一周をして出版社から自身の経験をまとめた本を出し、鎌倉でシェアハウス事業の運営をしている27歳男子。
住んでいる人達は皆20代。最年長で28歳というとても年齢層が若いシェアハウスで、住んでいる人全員が、自分がやりたいことをやるために必死に努力し、研鑽を積んでいる環境でした。
そんな環境に飛び込んで感化されないワケがありませんでした。
そしてあるとき、一人の住人から一般企業の求人を勧められました。
週3日働いて、月収15万を支給。
夢を追う人を応援する
「ゆるい就職」という企画がある。
何よりお金に困っていた私はその話に飛びつきました。
結果的に、契約社員としてその求人に受かった私は新宿三丁目にあるベンチャー系の人材派遣会社で営業職として働き始めました。
これがいわゆる私の社会人としてのデビューでした。
それからの日々は激動でした。
今まで知らなかった社会のことを深く、とても深く、現場の肌感覚で学んでいきました。
・アルバイトや求人は、飲食やアパレルだけでなく、探せばもっと高時給で環境にも恵まれた、多様な求人が溢れているということ。
・企業の仕事はどのように回っているのかということ。
・株式会社とは何なのかということ。
・個人の経験と実績、キャリアが転職する際の年収や業務内容に大きく影響してくること。
・年齢とこれまでのキャリアによっては転職ができなくなるタイミングがあること。
・30代で転職ができなくなり、そのまま引きこもりになってしまう人が大勢いること。
・企業はどういう視点で人を選んでいるかということ。
・特に女性の場合、結婚や出産の後に仕事に復帰することがとても困難になること。
・世帯収入の減少で夫婦共働きの家庭が増加し、少子化問題に拍車がかかっていること。
・超高齢化社会で人口が数十年で激減していくこと。
養成所に通っていたときには全く見えていなかった世界の輪郭が少しずつ見えるようになっていきました。
世界は、私が当時思い描いていたようなものとは比較にならないほど大きく、そして複雑に絡み合っていました。
そしてその社会の中の一部として、「声優業界」という狭い業界が存在するという全体の相関図を掴むことができたのです。
人材会社との当初の契約は週3日でしたが、お金に余裕のなかった私は週5日勤務にできないか上司に直談判をしました。
当時、営業職として勤めていた私はテレマーケティング(電話セールス)によって商談のアポイントを獲得し、直接現場に赴いて対面で商品を売るという業務をしていました。
特に声優を目指し研鑽を積んでいたこともあり、電話でのセールスはとても評判がよく、アポイント獲得数は社内でトップクラスの成績を出していたこともあって特別に認可が下り、
その翌月から私の月収は毎月15万から毎月27万円と、倍近く給与が上昇しました。
それからは平日の週5日勤務に加え、営業職のノウハウを活かし、土日にもテレアポ業務やマンション訪問販売という別の仕事を入れ、週7日で働き続けました。そうして貯金を貯め、何とか借金を全額完済できた私は、声優業に本腰を入れるため独立しました。
Voice Guild立ち上げの背景④
▼アニメ制作・漫画制作ディレクション
某養成所の関連オーディションは2次審査までは通っていましたが全く受かることなく、研修科を終えて退所しました。
私は何年も養成所に通って、鍛錬を積んできた日々を無駄にしたくない、どうしても声優として活動していきたいという思いがありました。
そこで声優として独立して活動していくことを決めました。
最初は右も左も分からない状態でしたが、当時から何かと起業や、自分でゼロから何かを始めることに興味があった私は、とにかくできることを考え、色々と手をつけ始めました。
そして自分なりに方法を模索した結果、声優としての仕事を受注できるようになっていきました。内容は主に商品宣伝用動画のナレーションでした。最初の依頼数は数ヶ月に1、2件ほどでしたが、半年ほどで毎月3、4件と継続して依頼してもらえるまでになりました。
声優として仕事をもらえるようになったのは当時の私にとって大きな一歩であり、とても嬉しく、ありがたいことでした。
ですが、まだ何か物足りなかったのです。
「アニメに出たい」
声優を目指すきっかけを与えてくれたのも最初はアニメでした。
私は心の底から強くアニメに出たいとずっと思い続けていたのです。
そこで、アニメに出るにはどうしたら良いのかを詳細に調べ始めました。
まず分かったことは、アニメに出るには何かしらの声優事務所に入らなければならない、ということでした。
アニメは基本的に声優事務所にしか案件が回って来ない、クローズドな流通ルートしか存在しなかったのです。
それも考えてみれば当然で、売れるアニメを作ることが制作に関わる企業共通の目的であり、売れるアニメにするには、今売れている人気の高い声優、且つ、実力の保証されている声優を使うのが一般的だからです。
そして次に分かったことは、たとえ事務所所属だったとしてもアニメに出るにはオーディションを勝ち抜かなければならないということです。
これも当然目指し始めた当初から分かっていましたが、実際考えてみると恐ろしく遠い道のりです。
なぜなら声優業界はベテラン勢がゴロゴロ存在し、かつ、そういったベテランの人が引退しない業界だからです。引退が存在しない故に、ベテランの人も当然仕事を取るためにオーディションに参加します。
そうした既に人気も、認知度も高い実力のある声優と互角に渡り合って、勝ち抜かなければならないことを考えると、事務所に入ってもアニメ仕事に有り付けないのは当たり前な話だなと実感しました。
これらを考えてもアニメに出ることはそう簡単ではありません。今から考えて出るまでに何年かかるのか。。
そう考えたとき、私の中で1つのアイデアが思い浮かびました。
「アニメ、作った方が早いんじゃね...?」
自主制作アニメならば、アニメ出演はまず確定します。そして今はyoutubeやニコニコ動画など一般に公開できる場所はネット上にいくらでも存在します。
そこでアニメ作品をまず売って有名にできれば、ゆくゆくは正式な地上波アニメへの出演権も得られるのではと考えました。
思い付いたら吉日で、早速行動に移しました。
幸い、養成所時代に同じクラスで知り合っていた人の中に脚本が書ける人がいたため、その人に依頼して原作を作成しました。
そしてTwitterなどのネットをフル活用し、漫画家やイラストレーター、アニメーター、小説家、音楽家を目指している全国のクリエイターに呼びかけ、京都や北海道に在住のクリエイターを巻き込んでアニメ、漫画を作り上げることができました。
音楽はシェアハウスの住人からの人づてで、メジャーデビューを目指して横浜でメインに活動をしている「secondrate」というバンドのボーカルさんと繋がり、創りたい作品のテーマや内容、目指したいビジョンをお伝えし、完全にゼロの状態から作詞、作曲、録音全てを実施していただき、これ以上にない素敵な楽曲を提供していただきました。
この「ふたりいろ」という楽曲は現在もsecondrateさんのLIVEで歌われていて、公式のCDアルバムにも入れていただいています。
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2020.8.30追記
私も最近知ったのですが、なんとSpotifyでも聞くことができます!
▼視聴リンク「ふたりいろ」 - secondrate
https://open.spotify.com/track/5KEgEq3QZb7TGmHSMy35hX?si=nutReqifQvmiUq3sXIurVQ
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ご興味をお持ちいただけたら、是非LIVEに行ってみてください。
<▼secondrate - 公式サイト>
私はこの曲を、生のLIVEで歌ってくれているのを見たとき、心の底から全身が震えて、感動のあまり涙があふれ出ました。
自分がいなければ、自分があのとき動かなければ、この世界に生まれて来なかった曲が、今、目の前で歌われて、多くの人に聞いてもらえている。
イラストも、漫画も、原作も、アニメも、音楽も。
こうして全てゼロの状態から作品を作り上げて公開したとき、私の中でとても強い感情が生まれました。
クリエイターを全力で応援したい。
声優も含めて、漫画やアニメ、音楽、小説などの業界で活躍を目指す全てのクリエイターを応援していきたい。
心の底から痛感しました。
自分が声優として売れることよりも、こんな素敵な作品を生み出せる人たちに売れて欲しい、幸せになって欲しい。こんなに良いものを作っている人たちが、売れない、食えないなんてあってはならないことだと、深く、深く思いました。
何より、声優を目指して頑張っていた当時の自分の姿と、彼らの姿がシンクロして感じたことが、この衝動の一番の源泉でした。
いろんな活動をしました。
何かしらの業界でクリエイターを目指して活動している人に声をかけ、その人たちが集まる居場所を作り、その人たちが仕事を得て、実績を積んでデビューに近づける場所を作ろうと躍起になりました。
そして、30人を超える様々な領域のクリエイターを集め、WEB上で異業種のクリエイター志願者同士が繋がって創作ができる場所、「NEXiT」というサービスを作りました。
結果として、これは上手くいきませんでした。
原因としては2つ。
①クリエイターはみんな人見知りで、顔の見えない、会ったことのない人とコミュニケーションを取ることに抵抗があったこと。
②漫画、アニメ、イラスト、音響、コンセプトアート、WEB、動画、小説、音楽、声優と、ジャンルの幅を広げすぎて、各領域の人たちの認識、知識の違いが大き過ぎて、提供できる価値がほとんど無かったこと。
こうした失敗があり、私はまたどん底に沈んでいました。
Voice Guild立ち上げの背景⑤
▼プロダクション〜Voice Guild立ち上げ
そんなとき、私と全く同じビジョンを描き、クリエイターを支えて支援していくことを目的とした新しいサービスを発表した会社がありました。
その会社はプロダクションでもあり、これまでアニメ「龍の歯医者」やアニメ「すべてがFになる」のOP、ED映像の制作なども担当しているところでした。
これだ...!
今までの失敗を乗り越えて、ここで経験と実績を積んで、今までにない新しいクリエイターの居場所を作ろう。
そう決意して、私はその会社で社員になり、クリエイターの居場所を作る事業を進めてきました。
ですが、ただ会社の中で漫然と仕事をやっているだけでは満足できませんでした。
何よりこれまでの経験で、私が今できることから、少しずつでも価値を提供していきたいと感じていたのです。
領域を手広く広げるのではなく、もっと狭く、私が確実に力になれる場所。
これらを考えたとき、まず「声優を目指す人」を全力で応援したいと思い至りました。
ようやく辿り着きました。
これが、私が「Voice Guild」を立ち上げるまでの全てです。
正直、ここまで生々しく当時を振り返って自分を包み隠さず公表したことは今まで無かったので、かなりの恥ずかしさで書きながら手が震えています。ここまでお付き合いいただいて、読んでくださったあなたには、心から感謝申し上げます。
私がご提供できるものは、「声優」としての仕事、これまでの成功も失敗も含む全ての経験と、人材、IT、そしてプロダクションでの業界経験です。
現場のプレイヤーとしての声優の視点と、作品を作る側の制作者・ディレクター、審査員としての視点、そして、声優を目指した結果として人生を棒に振らないためのキャリア形成という視点。
Voice Guildは、これらの3つの視点を組み合わせて声優を目指すための堅牢な土台を作り、同じ目標に向かう意欲高い仲間と一緒に「声優業界」の壁を越えて行くことを目標に日々活動をしています。
2020.08.30 追記
第二回『声優夏期講習』 を開催します。
今回、9/12(土)に
第二回目となる「声優夏期講習」を開催します。
covid-19の影響も加味して、また全国の方が参加できるよう、今回は完全オンライン形式としました。
これまでに私が声優を目指して養成所に通っていた当時から知っておけば良かった...!と強く実感している事柄を体系化し、全てを盛り込んでお伝えする講義形式の座学と、実践型ワークショップ、そして同じ声優を目指している参加者全員での交流会を行います。
中高校生は2,000円、大学生・大人は3,000円の有料イベントですが、お金を払っていただくだけの価値はあると保証します。
前述の通りですが、
私がこれまでの経験から
学び得たことは結局、
人はどこにいっても
その人自身が変わらなければ
見える世界は変わらない
ということでした。
そして、ここまで私を変えてくれたのは
・環境
・人との出会い
・決断と選択、そして行動
の3つです。
今、新たな一歩を踏み出してください。
そして今回のイベントが、あなたのこれまでの環境を変え、悩みを共有し、支えて応援し合える人と出会い、次のあなた自身の決断と行動に繋がるキッカケとなれれば、これほど嬉しいことはありません。
また今回は参加者全員の追加特典として、
・当日の全講義資料
・対面 or 通話での無料相談(約60分間)
・声優事務所180社一覧表
をご提供します。
また当日はかなり充実した内容にしているので、満足いただけると確信しているのですが、万が一、当日のイベント内容に満足できなかった場合、特別にイベント終了後の翌日から1ヶ月間、10/13(火)までにご連絡いただければ、参加費を全額返金させていただきます。
返金をご希望の場合、わざわざ時間を割いて参加していただいたにも関わらず、満足できるものをご提供できなかったということなので、せめて上の参加特典に関しては全てご提供させていただきます。
実際、ここまでの生々しい話は現役の人気声優さんは絶対に語れません。
なぜならイベントなどでは、来ているお客さんに対して声優への夢や希望を持ってもらうために華やかなことしか喋れないからです。(現役の人気声優さんとよっぽど親密な関係を築いている方なら別ですが...)
今、少しでも声優を目指して頑張り続けることに不安を感じていたり、現状に不満を感じているなら、
この一回きりで構いません。
下のイベント詳細ページから申し込みフォームを記載し、当日のイベントに参加してください。
これまで抱えていた不安を解消し、これから目指していく過程で直面するであろう課題を、乗り越えていけるだけの知恵をお持ち帰りいただけることをお約束します。
最後に
このイベントに参加するか、
しないかを決めるのは
「あなた自身」です。
参加する、しないは自由です。
前述してきた通り、
私はこれまで自分が無知だったが故に、
声優を目指す過程でとても多くの
失敗と挫折を経験して来ました。
最初に申し上げた通り、私は
「声優を目指して後悔する人をなくしたい」
という思いがあります。
それは声優を目指す過程で、
私と同じような失敗を
犯して欲しくないと
強く願っているからです。
ただ芝居の技術を磨けば
済むという話ではなく、
声優の道を選ぶことは
「今後の自分が歩む人生を選ぶ」
ということです。
どちらにしても、あなたが今後、
声優業界への道を歩んでいく中で
悔いの残らない道を歩んでいっていただけることを
心より願っております。
2020年 8月30日 (日) 15:52
Voice Guild管理人
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