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すべては前向きな冥途の土産

ボイストレーナーの浜渦です。

音楽家や作家や役者、映像作家、画家などというクリエイティブな業界の人たちは、世の中に矛盾点をついたり、人間の本質をえぐり出したり、アンチテーゼを示したり、光の当たらないところに光を当てるところに、本質の一端があると思うわけです。表現を生み出す「原動力」でもある。それに必要なのが反骨精神というやつでしょうか。(いや、本来全ての人間はそうあるべきだろうし、facebookなど「閉じられた実名空間」ではまだまだそういう人、多いと思うんです)。

しかし、かなり厳しい時代になっていますよね。なるべく矛盾点はつかず、中身より表面、世の中の空気というテーゼに従い、光の当たるものを肯定し、光の当たらないものに気づかないようにしないと、今の世の中、どうにも渡りづらい。もちろん超一流は違うんでしょうけど…と言いたいですが、超一流も相当危ういところに来ているように思います。

見ざる聞かざる言わざる考えざる…

つまりは軽いものが無難なわけです。世の空気に従順になり、批判なんて面倒なことはせず、小さな幸せを見つけるべくゆるい努力を続け、こんなものでいいやと妥協する…いわゆる「ゆるふわな道徳観」に世の空気は支配されているわけです。と、断定的なことも言わない方がいいわけです。誹謗中傷やネットリンチは絶え間ないいというのに。いや、批判より「批判に対する誹謗中傷」の方が、わかりやすく受け入れられるのかもしれません。

クリエイターって本来、反骨精神というか、批判からスタートし、道徳感も自分から見つけていくもの(なはず)。そして誹謗中傷は(できうる限り)しないものだと思うのですが、この空気に根負けしたような人や、そもそも従順な人でないと生き残っていくのが難しくなったと感じるのは私だけではないと思うのです。そもそも今書いているこのちょっとマイナスな感じの文章も良く思わない人が多いのかもしれません。

生き残るより共に生き延びたい

そういう自分も随分消極的になったし、かつて積極的だった仲間はどうなったかと言いますと、行方不明やうつ病になるものも多く、生き残っている人たちもジリ貧。いやはやジリ貧。反骨精神なんて言葉はもはや化石となりそうです。

生き残るには、従順でおだやかで、なんとなく人当たりも良くて、言葉が優しくて、断定的なことは言わず、時に専門分野においてのみ夢見る少年的な情熱的なことを言うのが良いのでしょう。…それを恥ずかしいと思う人間に育ってしまったようです。どうにも恥ずかしいのです。そんな生き方私には無理でしょう。それこそ病気になりそうです。

これは強い反骨精神と博愛精神を持ち開拓者精神で突き進んだ父の背中を見て育った影響が大きいと思うのです。

恨むぜ親父!そして感謝してるぜ親父!の心境です(笑)

でも私「生き残る」って言葉もあまり好きではないんです。生き残るより「共に生き延びたい」のです。表現の本質は共有にあると思うんですよね。全然中身も外身も違う人間と共有するんです。もちろん時に肯定的に、時に批判をぶつけ合って。ああ、やっぱり流行らないかなあ、この考え方。

すべては前向きな冥土の土産

私が「すべては前向きな冥土の土産」というのはこういう意識があってのことなんですね。ジリ貧になるなら好きなこと…いや、好きかどうかも分からないこともなんでも「遊び」でやってみると。

遊んでる余裕なんかないわけですよ。多くの人は。もちろん私も。特に精神的に。だからメイドの土産…じゃない「冥土の土産」なんですよ。

さて、冥土の土産のひとつにツイキャスかYouTubeの実況でもやろうかなと思っております(ツイキャスはまだよくわからないけど)。そして、無料でちょっとしたボイトレのポイントなんかやっちゃいましょうか。あくまで本質的で人間的なやつを…昨今のゆるふわなボイトレ業界に対するアンチテーゼを"ゆるふわ"に入れながら…

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