怪談語りは“景色と気持ち”を半々で喋る
怪談を語るときに意識しているのは、景色と気持ち(モノローグ)を半々で描写すること。
目に見えているものをそのまま喋るだけでは単なる説明になってしまうし、気持ちだけを喋り過ぎても(恐った事は伝わるが)なにがなんだかわからなくなってしまう。
相手の立場になって「どこを描写した方がわかりやすく聞いてもらえるだろうか」を考えて、場所の位置関係やぼくと相手との関係性。必要な情報を(時間が許す限り)取り入れて話す。
数年前、これでもかというほど怪談イベントを見に行っていた。勉強とか研究ではなくただ純粋にいちお客として怪談を楽しむために。そのときにはこんなに怪談を語ることになるとは予想していなかった。結果論だが、この頃の(たくさん見ていた)経験が役に立っている。
今はあまり見に行かなくなってしまった。飽きたり嫌になったわけではない。むしろ怪談のことはより好きになっている。行かなくなった理由は
「喋って場数を踏む番だから」
はじめて語ってから5年が経った。怪談語りのワークショップに通ったり、格別なにか勉強してきたわけではない。いろんな人の語りを聞いてきて、自分なりの話し方をしている。誰かにアドバイスをもらったわけでもない。かなりの我流。だから聞きづらい、わかりにくい語りかもしれない。
どうすれば上手くなるのか?
それはもう、ひたすら喋っていくしかない。技術やノウハウばかり求めていても言い訳が多くなるだけで(こうやって話せばいいはずと思い込みすぎてしまうだけで)上手くならない。
“下手”という事実を突きつけられるのは痛い。
言い訳をして自分を守ってしまう。自分は傷つかなくなるだろう。でも、それでは一生上手くならない。周りも下手な人に下手とは言えないので自分で気づく必要がある。「いいね、面白い」とだけしか言われない環境に居るのは問題。だから一つの場所に留まっていない。だがこれには欠点がある。
定着しにくい。
ぼくのメインはナレーター。怪談師とは(言われることはあっても)名乗っていない。ぼくの怪談はぼくだから聞かれているわけではなく、あくまで“ゲスト”だから聞いてもらえている。
怪談好きの人はいろんな人を怪談を聞いている。その番組のゲストだから聞いている。
“ぼくがうまいから”
聞いてもらえているわけではない。そこを勘違いしてはいけない。
ナレーター
有野優樹(ありのひろき)
正直に言います。話を上手くするため、映画を見たり本を読んだりのお金に当てます。直近、島に暫く住む予定なのでそちらの生活費に。