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人生の節目を迎える前に今思うこと《MYSTORY 1》〜音楽に導かれたわたしの人生〜

2020年5月31日。
気持ちの良い、日曜日の午後。
緊急事態宣言が解除されて1週間が経とうとしてる。

これまでの人生の中で、
こんなにも家で過ごす時間が長かったのは
初めての経験。

今年は2020年という節目の年だから
なんだか良いことが起こりそうと
ワクワクしたのもつかの間
まさかのコロナという目に見えない敵がやってきた。

20年続けているブライダルの仕事が
すべて延期になり、突然仕事がなくなった。

そんな中、強制的に家に引きこもり
自分を見つめ直してみた。

2020年を迎えてワクワクしていたうちの1つは
今年50歳になるということだ。

幼い頃、わたしは
30歳までは必ず生きられますようにと
夜になるとよく神様に願っていた。

それは、わたしの兄が
脳の障害を持って生まれてきて
7歳までしか生きられなかったから。
幼心に死に対する怖さがあったのかもしれない。

兄が天国から見守ってくれていたお陰か
わたしは幸せに生きてこられた。

家にいる時間が長かったことで
部屋の片付けをしていたら
小学校時代の卒業アルバムが出てきた。

そこには、わたしが書いた「将来の夢」に並んで
母が書いたわたしへのメッセージが書かれていた。

「7月19日の朝、元気な産声でした。
それがもう少しで
私の背を追い抜かすほど大きくなりましたね。
元気で大きくなったことがどんなに幸せなことか。
あなたはもう、
お兄さんのことを忘れてしまったでしょうか。
未熟児で生まれたばかりに
病気と闘いながらの短い人生でした。
世の中には病気や体が不自由なために
苦しんでいる人がたくさんいることを
思い出してください。
そして、いつも思いやりのある
暖かい心の持ち主になってください(中略)
自分の人生は自分できりひらくもの。
できれば人の役に立つような人間に
なって欲しいものです。」

大人になって
このアルバムを目にしたとき思わず涙が出た。

何か新しいことを始めるときに
かすかな記憶のどこかで思い出す、母の言葉。

色々トライしながら自分の好きなこと
やりたいことに挑戦し続けてきたけど
誰かのお役に立てて
喜んで笑顔になってもらえることが
なによりも変えがたい幸せでした。

一つのことを取り組むと
コツコツ長く続けられる性分は
幼き頃に身につけてもらった宝だと思ってます。

わたしの半生を振り返ったときに思うのは
本当に人に恵まれてきたということ。

そして、幼い頃から学び続けてきた音楽が
形を変えて、声を使う仕事になったということ。

✴︎

そんなわたしの原点となる《My Story》を
今回から3回にわけて書いていきたいと思います。

わたしの人生の節目には
常に人が関わっていて
思いもよらなかった方向へと導かれていきました。

さて、1回目の《My Story1》は
わたしが音楽の道に進むきっかけを
書いてみたいと思います。
良かったらお付き合いください♡

✴︎

幼い頃から歌を歌うことや
ピアノを弾くことが大好きだったわたしは
誰よりも早く幼稚園に向かい
1人でピアノを弾いてるような子供でした。

5歳の頃、家に帰ると笑顔の両親に
「向こうの部屋を見てごらん」と言われ
そこにはピアノが置いてあり
嬉しかった記憶が残っています。

大きな気持ちの変化があったのは中学生のとき。

中学2年生の時の担任が音楽の先生で
「今、練習している曲を弾いて聴かせて」と
よく音楽室に呼び出されていました。

そして「音楽の道に進む」という
進路の選択があることを知り
進学した高校は、考えてもみなかった
音楽一色の世界がそこにありました。

わたしが通っていた高校は
1週間の中に7時間、音楽の専門授業があり
20室ものレッスン室を自由に使える
そんな学校でした。

朝、登校するとき、校舎の上のほうから
常に誰かが練習をしている音楽が聞こえてくる。

オーケストラの生演奏で歌うこともあった校歌は
「涙」「宝石」「魔法」「宇宙船」等の歌詞がある
とても素敵な校歌でした。

公立高校なのにも関わらず
とても環境が整った学校で
クラスのほぼ全員が音大に進学。

わたしはそのような環境の中で学び
歌で音大に進学したのですが
初めて歌ったときの声は
それはそれは悲惨なものでした。

人前で話すことですら苦手なのに
歌うなんてとんでもない!
そう思った記憶があります。

しかも初めて先生の前で歌った際に
「あなたは蚊の鳴くような声ね」と言われたほど。

そんな小さな声で
更に極度のあがり症だったので
満足な演奏などできるわけありません。

ただひたすら毎日音楽と向き合い
ピアノのレッスンや歌を学び
さらにはメンタルを整え
たとえ緊張しても
声が震えることなく歌うことができる方法を
身につけていきました。

のちに先生から
「緊張するって悪いことばかりじゃないのよ。
緊張しているからこそ
自分の声だけに集中出来ることを忘れないで」と。

そのベースはすべて腹式呼吸。

普段の声も「歌を歌うときと同じ声」で
話をしなさいね、と。

その呼吸法を高校時代に知ったお陰で、今では

●どんなに喋っていても喉が痛くならない
●自分の想いをしっかり相手に伝えることができる
●人にパワーをあたえられる
●深い呼吸をすることで健康でいられる

こんなことを得ることができました。

のちに、司会業を始めた際も
割とすんなり取り組むことができたのは
声のベースが出来ていたからだと思います。

高校2年生の時には
進学する大学を決めていたので
猛烈に練習する日々を送り、希望の大学に進学。

しかも
受験の半年前にピアノ専攻から声楽に変更し
声楽学科で入学出来たのは、運としか思えない。

今思えば
あの頃何かに取り憑かれていたような気がする(笑)

大学時代は多く学び、遊び、
夜寝るのが惜しいくらい
活動的な毎日を過ごしていましたが
先輩に紹介されたアルバイトがきっかけで
その後の人生が動き始めました。

・・・続く・・・

✴︎

わたしの原点となる《My Story》
第一回目はここまでです。

次回は、人前で話すのさえ苦手だったわたしが
何故、司会業の道を進むことになったのか
事務所の仲間たちも絶句し驚いた
エピソード満載の
《My Story2》をお届けします。

これを読むと
結婚式のイメージが変わるかもしれません。

また、ブライダル司会になりたい!なんて
ものすごく興味を持ってしまうかもしれません^ ^


お読みいただき、ありがとうございました♬

o○* Voice Design
ボイストレーナー/MC・司会
日野 夏子 o●*

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