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\7日目/幸せを目指しても、意味ないことに気がついた

幸せ。

ぼくたち人間、わたしたち人間、あなた達にんげん。

全ての生きとし生けるものが、望むものが自己の幸せ。

幸せがなんなのか?幸せの定義に沿っていれば、それは幸せと呼べるのか?

  • 美味しいご飯をたらふく食べる

  • 彼女と結婚することが幸せ

  • お金をたくさん持つことが幸せ

人によって幸せの定義が違い、感じる場面も違う。

いまも十分幸せなのに、それに気が付かずもっと幸せを望み、不幸になる。

あの人は幸せそうだ、自分はまだまだ幸せじゃない。

だからもっと幸せになるために…

幸せを目の前に置いておきながらも、それに気が付かない。

実は、幸せは気付かれようとしていない。

ただそこに在るだけ。

わたし達人間は目の前にある幸せを、不幸と見なし、遠い先にある幸せ目指し歩いてしまう。

まるで、地図を持たないトレジャー・ハンター。

正解などそこにない。

不正解もそこにない。

勝手に正解だ、不正解だと、自分で決めつけ自己を不幸にしている。

人間はとてつもなくワガママだ。

認められたい、次の日には自由になりたい。

愛されたい、愛されるともっと愛されたくなる。

そこにある幸せ、そこにあるなにかを満足に味わうことができないから、欲が暴れ出すのではないか?

明日になると、明後日になると、10年後、今を幸せに生きるために、未来の幸せを前借りしすぎている。

ほんとうは幸せ、ほんとうは楽しい、ほんとうは悲しい。

自分の感情にウソをつき、世間の幸せレールに乗ろうとした結果がもたらす、いま抱えている悩み。

笑えないことを無理に笑い続ける必要も何もない。

生まれた瞬間から、自由になり、生まれた瞬間から不自由になる選択を強いられているわけではない。

幸せを求めた分、心は空っぽになる。

不幸を祓おうとすれば、少しだけ見えてくる幸せ。

今を生きて、今ある幸せを受け入れ、認めるだけで、人生が少しずつ好転していく。

求めることが悪いのではない。

求めるとついてくる感情を、暴れさせてはいけないだけだ。



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