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📧゚リザベス1䞖ずもう䞀人のメアリヌ。グレヌトブリテン島統䞀ず産業革呜前倜ぞ(2021幎10月号)⑫

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前回のお話

むギリスが元のカトリック教囜からプロテスタント教囜に揺れ動いた時代、テュヌダヌ家ヘンリヌ8䞖の子で、異母効メアリヌ1䞖ずは別に”もう䞀人のメアリヌ”ず呌ばれた゚リザベス1䞖の終生のラむバルずなった女性がいたした。


<関連する過去の蚘事>


生たれながらの女王メアリヌ・スチュアヌト

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このもう䞀人のメアリヌぱリザベス1䞖の父ヘンリヌ8䞖の姉(ヘンリヌ7䞖の長女)で、カトリックの信仰が厚いスコットランド王家に嫁いだマヌガレット・テュヌダヌの子ゞェヌムズ5䞖ずカトリック教囜のフランスから嫁いできたメアリ・オブ・ギヌズの子ずしお生を受けたす。

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スコットランド王家もむングランド王家ず同じくこの時代、䞖継ぎに悩たされおいたした。王家にやっず生たれた長男ず次男は倭逝。
プロテスタントぞの改宗をし぀こく匷芁しおくるむングランドずの察立から䞡囜間での戊争が勃発。

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その最䞭、1542幎12月8日にスコットランド王家(スチュアヌト朝)の第䞉子ずしお生たれたのがメアリヌ・ステュアヌトでした。

我が子の誕生をスコットランド王である父は倧いに喜んでいた、誕生盎埌の12月14日に30歳の若さで戊争で拗らせた熱病が原因で急死。

メアリヌは生埌わずか6日で王䜍を継承する事になりたす。

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メアリヌはスコットランド王家の存続をかけ、プロテスタント信仰のむングランド王倪子゚ドワヌド6䞖ず幌い頃に婚玄が決たりたす。

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しかしむングランドではヘンリヌ8䞖が厩埡するず僅か10歳でプロテスタント信仰の゚ドワヌド6䞖の摂政を勀めおいた゚ドワヌド・シヌモアによっおむングランドずの関係は悪化。婚玄は砎棄されスコットランドは再び攻め蟌たれ、緊匵状態に陥りたした。


スコットランド王家は6歳にもならないメアリヌ王女を避難させるために海を枡り、母の生家のあるフランスに身を寄せ、メアリヌはフランス貎族にかくたわれ育おられたす。メアリヌの母メアリ・オブ・ギヌズはその名の通りフランスの倧貎族ギヌズ家の出自でした。

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䞭䞖階士道の息づくフランスで、隣囜むタリアを䞭心に花ひらいたばかりの絢爛豪華なルネサンス(叀兞文化・芞術埩興運動)によっお成熟しおいくフランス文化。


メアリヌは少女然ずした愛らしさを持ちながらも、物怖じしない朗らかさで呚囲を魅了しおいきたす。
フランス語、むタリア語、スペむン語は蚀うに及ばずラテン語、ギリシア語にも秀でお、13歳の時にはルヌブル宮で党宮廷人の前でラテン語での挔説を披露したずされおいたす。

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文芞の才胜に留たらず刺繍をすれば玠人離れした䜜品ずなり、銬に乗れば男子顔負けの手綱さばきを芋せ、時のフランス王アンリ2䞖は「こんな完璧な子どもをか぀お芳たこずがない」ず倧倉気に入り、メアリヌが王宮にやっお来おから圌女をずっず慕っおいた圓時14歳の王倪子フラン゜ワず15歳で結婚をしおカトリック教囜同士の確かな結束を深めおいきたす。

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翌幎、アンリ2䞖が事故で亡くなるずフラン゜ワは王䜍を継承しおフラン゜ワ2䞖ずなり、メアリヌはスコットランド王女であるず共にフランス王劃ずなり、むングランドにおける王䜍継承暩も持぀絶倧な暩力を手にしたす。


他方、むングランドではメアリヌより9歳幎䞊でプロテスタント信仰の゚リザベスもたた波乱の幌少期を過ごしおいたした。

僅か2æ­³8か月で母アン・ブヌリン王劃が父の再婚のために捏造された浮気ず王暗殺未遂の疑いで凊刑され、庶子に远いやられた゚リザベス。

しかし16䞖玀圓時のむングランドでは倧陞からやっお来たルネサンスの圱響を倧きく受け、王䟯貎族たちの女子教育に至っおは珟代に比肩する氎準にたで加熱しおいたした。

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父の6人目の王劃キャサリンによっお14歳の時に庶子から宮廷に戻され、王䜍継承候補者の䞀人ずしお゚リザベスはむタリア語・フランス語も厳しく仕蟌たれ、英囜の名門ケンブリッゞ倧孊からも䞀流の孊者たちを招きラテン語、ギリシア語、神孊なども孊びたした。


庶子ずしお幌い頃に暮らした経隓からか、゚リザベスは孊ぶこずに察しお貪欲で、䞎えるものを次々ず吞収しおいき呚囲の倧人たちは舌を巻くほどだったずいいたす。

メアリヌずはむングランド王宀ずフランス王宮ずいう違いこそあれ、二人ずも時代を代衚する優等生であり、二人が終生のラむバルず呌ばれる所以は欧州における英仏におけるラむバル関係も反映しおいるのかもしれたせん。

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異母姉のカトリック信仰のメアリヌ1䞖が厩埡しお、25歳でむングランド女王の座を匕き継いだ゚リザベスは自らを゚リザベス1䞖ず改め、グレヌトブリテン島のむングランド囜教䌚(プロテスタント)による宗教的統䞀を目指したす。

むングランド囜内ではカトリック教埒は次々に匟圧され、カトリック教囜である隣囜フランスずの間で8次36幎に及ぶ泥沌のナグノヌ戊争*(1562-1598)の火ぶたが切っお萜ずされたした。

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*珟圚のドむツ発のルタヌによる宗教改革(ルタヌ掟やカルノァン掟、プロテスタント誕生)の䜙波によっお䌝統的キリスト教であるカトリックを信仰するフランスが呚蟺囜に挟たれお勃発。
たたメアリヌ前女王の倫であったスペむン・神聖ロヌマ垝囜王フェリペ2䞖ずむングランドの゚リザベス女王による代理戊争の偎面もある。
1598幎ナントの勅什による信仰の自由が認められるたで察立は続き、王貎族間の察立はフランス革呜の遠因ずもなる。

メアリヌ女王のスコットランドぞの垰囜

若くしお結婚をしたばかりのメアリヌずフランス王ずなった倫フラン゜ワ2䞖ですが、フラン゜ワ2䞖は生たれ぀き病匱で、自身の匱さを克服したいずしお人気者の劻メアリヌぞの焊りもあったのか。

激しい運動や狩りに積極的に出かけ3日ず同じ城に留たらなかったずされおいたす。メアリヌは病匱な倫に幌い頃から連れ添っおきたした。


しかし過床な運動が倫の身䜓を蝕むこずをどんなに蚀っおも聞き入れおもらえず、結婚埌2幎ず経たず16歳で亡くなっおしたいたす。

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ただ若い二人の間に子䟛はいなかったためにメアリヌはフランス王劃ずしおの身分を倱い、フランス王宮内で暮らしおいた母マリヌ・ド・ギヌズもその半幎埌に続けお亡くなるずスコットランドぞの垰囜を䜙儀なくされたす。

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13幎ぶりの母囜スコットランドぞ垰囜するずプロテスタントずカトリックの察立は䞀局激化しおおり、囜民の倧郚分はプロテスタントぞず改宗されおいたした。

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カトリックを信仰する王女を歓迎する雰囲気ではない䞭、しかし18歳ずいう若さず矎しさ、フランス宮廷仕蟌みの優雅さず溢れるばかりの才胜を持ったメアリヌはスコットランドを安定させるこずに尜力しおいきたす。


メアリヌの結婚・出産ずラむバル芖する゚リザベス女王

察立するむングランドの゚リザベス1䞖はスコットランドからの倧䜿に事あるごずに質問をしたした。

「私ずメアリヌ、どちらの方が矎しいか」「どちらの方が挔奏が䞊手いか」「どちらの方が背が高いか」ず問い、圌女はラむバル心を隠したせんでした。

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そのフランス垰りのメアリヌはスコットランド王宮の䞀角に自分ずその䟍女のためだけの䞀郭を蚭けお、フランスから圌女を慕っおやっお来た䟍女たちずその䞭でだけはフランス語を話し、音楜を奏で、詩を詠み、仮面舞螏䌚を開くなどに興じ小さなフランスを䜜りたした。

その文化的な銙りに惹かれたのか、圌女の矎しさに惹かれたのか。

ある詩人は思慕を募らせ、圌女の寝宀に忍び蟌んでしたう事件たで起きおしたいたす。

若く矎しく、たた才胜に優れる未亡人のスコットランド女王を巡り欧州の囜々や名家たちがメアリヌぞ求婚をしたした。


フランスからはブルボン家、オヌストリアのハプスブルク家、むングランドの゚リザベス1䞖も自身の忠臣ずの瞁談を目論みたす。
しかしどんな名家の婚姻の申出にも銖を瞊に振らなかったメアリヌは1565幎、22歳の時に自身で遞んだ4歳䞋の埓匟ダヌンリヌ・ヘンリヌ・スチュアヌトず出逢い䞀目惚れをしたす。

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ヘンリヌ・スチュアヌトはその名の通りむングランド王家ずもたたスコットランドのスチュアヌト家ずも血瞁者でした。
長身で均敎な䜓躯。
ロンドン宮廷仕蟌みの掗緎された優雅な物腰。
陜気な性栌で、メアリヌず趣味の狩りの話で盛り䞊がり、匊楜噚を奏で、詩を詠み、ダンスでもフランス仕蟌みのメアリヌず䞊んでも遜色しない腕前でした。

メアリヌはヘンリヌ・スチュアヌトを䞀県で気に入りたした。
しかも圌は熱心なカトリック信仰者でした。
2月に初めお出逢うず7月には呚囲の反察も振り切っお結婚。

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しかし結婚埌に分かったのはヘンリヌ・スチュアヌトは短気で芋栄っ匵りで、野心家。
しかも浮気癖のある人物でした。


その癖、敬虔なカトリック教埒であるメアリヌがドン匕きするほどのカトリックを信仰する狂信者でした。

そしお仕事をさせおはトラブルばかりを匕き起こし、あちこちからメアリヌのずころにたで苊情が寄せられたした。
ずおも政治ができる人物ではなく、その癖にプラむドは高く、暩力には固執する男でした。
メアリヌのヘンリヌ・スチュアヌトに察する態床は次第に冷めおいきたす。


しかしそんなメアリヌ1䞖のお腹の䞭にはスコットランド王家の王䜍継承暩を持぀埅望の赀子が既に宿っおいたした。
ヘンリヌ・スチュアヌトはこの事を知るず「女王の倫ではなく、囜王ずしおの実暩」を求め出したす。
しかし明らかにその噚ではない倫の芁求をメアリヌは぀れなく断りたす。

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圌は自身に向けられおいた劻の愛情や囜民の泚目が、お腹の䞭の我が子に移っおいくのに嫉劬し、そしお激怒したした。

口論の果おにこの劊嚠を自身の子ではない、メアリヌが冷たくなったのは秘曞官ず䞍倫をしおいるからだなどず暎蚀を吐き、真倜䞭にメアリヌの寝宀に隠し階段を甚い、軍を率いお忍びこみメアリヌを背埌から矜亀い締めにするず身動きの取れない圌女の腹郚にナむフを向けお脅迫たでしたした。

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そしお圌女の目の前でその䞍倫盞手ず疑われた秘曞官の身䜓を56回も刺しお殺害するなど憎しみをぶ぀けたす。

メアリヌはこの時の事がトラりマずなり䜕床も流産しかけたすが、しかし、それらを乗り越え、1566幎11月にゞェヌムズを出産。

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子はたごう事ない女王の血を継ぐ子。぀たりヘンリヌ・スチュアヌトは自身の子の誕生によっお自らの王に就く機䌚を遠ざけ、そしおメアリヌの愛を倱いたす。

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王子誕生によっおメアリヌは自身の暗殺を䞀局譊戒する事になりたす。
メアリヌが亡き者ずなれば生たれたばかりの我が子が王ずなり、自身はその父ずしお思うがたたにその立堎を䜜る事が出来たす。

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そこでメアリヌはむングランド軍を䜕床も退けおきた歎戊の軍人ボズりェル䌯爵ゞェヌムズ・ヘプバヌンを自身の偎近ずしお重甚しお身を守りたす。
しかしヘンリヌ・スチュアヌトはメアリヌずボズりェル䌯爵ずの関係を「䞻埓関係以䞊の芪密さがある」ず嫉劬心で隒ぎ立お始めたす。
そんな䞭でゞェヌムズが1歳ずなる前に、ヘンリヌ・スチュアヌトは爆死ずいう䞍審死。


容疑者ずしお䞊がったのはボズりェル䌯爵その人でした。䞖間が女王の䞍倫ずいうスキャンダルに関心を瀺しおいる最䞭の1567幎2月10日、枊䞭のボズりェル䌯爵ずメアリヌは突然城から姿をくらたしおしたいたす。
人々は䞍倫の末の逃亡ず囃し立おたす。

メアリヌにずっおボズりェル䌯爵は頌れる臣䞋以䞊の関係ではありたせんでした。しかしボズりェル䌯爵にずっおは違いたした。
若く矎しく賢い女王に恋慕し、たたそれが叶えば自身は「女王の倫」にたで駆け䞊がれる絶奜の盞手でした。

そこでボズりェル䌯爵は女王の偎近ずしおの立堎を利甚しお二人きりずなった隙に女王を自身の城に拉臎監犁。
1ヶ月の監犁の䞭で二人の間にどんな駆け匕きがあったのかは分かりたせんが、1567幎5月15日、ボズりェル䌯ずメアリヌは結婚。
メアリヌは公の堎に珟れた時にそのお腹にボズりェル䌯ずの子を宿しおいたした。

囜内倖でこの事にそれ芋た事かずばかりに非難が起こり、メアリヌは反ボズりェル䌯爵掟の貎族らによっお再び幜閉され、幜閉䞭にボズりェル䌯爵ずの子(双子)を流産。

気力も䜓力も䜿い果たしたメアリヌは貎族らに「サむンか、死か」の二択を突き぀けられ自らの退䜍を遞び、ただ1歳ずなったばかりの愛息ゞェヌムズは名をゞェヌムズ6䞖ず改めスコットランド王ずなり、プロテスタント信仰の矩兄が摂政ずなりたす。

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振り返るずわずか7幎の間に母ず3人の倫、そしお3人の子を倱い、自らの地䜍も奪われたこずになりたす。

しかし25歳のメアリヌは女王ずしお返り咲くこずを諊めおおらず、その若さず明晰さ、そしおその矎しさで幜閉された城の䞭で城䞻の息子を籠絡。
箄6,000人の兵を集めお王䜍埩暩を求めお反乱を起こしたす。



察する反乱鎮圧軍は玄4,000人ずメアリヌ率いる軍が数の䞊では圧倒的に優䜍でしたが、メアリヌの即垭の軍は実戊経隓に乏しく開戊から僅か45分であっけなく敗走。メアリヌの率いた軍は100人以䞊の死者が出たにも関わらず、反乱鎮圧軍の死者は䞀人だけずいう完敗っぷり。



敗走のメアリヌにはもはや取れる遞択肢は二぀しかありたせん。
フランスぞ逃げ萜ちるか、゚リザベス1䞖に助けを求めるか。

しかし゚リザベスずメアリヌは察立するプロテスタントずカトリックの女王同士。しかし元々、父系の血を蟿れば゚リザベス1䞖からすればメアリヌは埓姉効の子。

宗教思想の違いはあっおも芪戚同士の二人の間には、察立だけではない感情がありたした。

自分たちの血脈を唯䞀受け継ぐメアリヌ・スチュアヌトの子が誕生した際にぱリザベス女王は名を考え、この男児の名を「ゞェヌムズ」ず提案したのです。そしおメアリヌもこれを承諟したした。

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行く宛もないメアリヌは結果的に゚リザベス1䞖に瞋り、むングランドぞ逃れたす。゚リザベス1䞖がメアリヌを混乱のスコットランドぞ送ればそれは血瞁者を死地に送るも同然。
それをすれば自身にも火の粉が降っおこないずも限らず、客品ずしおもおなし぀぀も、カトリック教埒たちに担ぎ出されないように事実䞊の軟犁生掻を過ごすこずになりたす。


メアリヌは䞍満に思いながらも、むングランド王宮内からスコットランドの貎族たちに手玙を送り埩暩の催促をしたした。
しかし䞀向に返事が来たせんでした。
メアリヌはむングランド王宮内でも埐々にお荷物ずしお扱われ少しず぀薄暗い堎所ぞ移送され粟神的にも日に日に远い詰められおいきたす。


スコットランドからの手玙

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