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ドイツリートのピアニストたち

もう今年も9月に。少しずつ秋の気配も感じられる今日このごろ、皆さまいかがお過ごしでしょうか。日が短くなり、夜は虫の声が聴こえ、音楽や読書にふける時間も長くなっていきそうですね。

前回、ドイツリートの歌手たちを紹介する記事を書きました。投稿した矢先から、まだ他に紹介すべき歌手たちがいたことに気づきまして…あの人もこの人も。嗚呼。また折に触れて取り上げていきますね。これからお話するピアニストについても、本当にたくさんの方々が活躍されてきた中から、筆者の心に留まった方を紹介させて頂こうと思います。

さてドイツリートのピアニストたち。まず、フィッシャー=ディースカウやシュヴァルツコプフの伴奏者として名高いジェラルド・ムーア(1899-1987 イギリス)の名前を筆頭に挙げましょう。フィッシャー=ディースカウやシュヴァルツコプフの名盤とされる録音をお聴きになった方なら、まずムーアの伴奏で聴いていることがほとんどではないでしょうか。この2人の名歌手の仕事は、年長者であるムーアの格調高いピアノなしには成り立ちませんでした。明晰な音とリズム感で、歌手の歌にしっかり寄り添うピアノ。
ここでさっそく、定番ですがシューベルトの「魔王」D328 をお聴き下さい。…病気の息子を抱え、馬で疾走する父親。息子に誘いかける魔王の囁き。息子の叫び。なだめようとする父親。ついに魔王は息子を捉え…。家にたどり着いたとき息子は息絶えていた…。語り手、父、息子、魔王の4役を歌い分けるフィッシャー=ディースカウも見事ですが、馬の疾走を描きながら、巧みに表情を変化させるムーアのピアノに耳を澄ましてみて下さい。

ムーアは『伴奏者の発言』(邦訳:1959年 音楽之友社)など数々の著作で、伴奏ピアニストの仕事について惜しみなく語っています。リートの演奏を志す方には、彼の録音と著書は必聴&必読です。その演奏・言葉は今なお色あせていません。声楽の伴奏につきものの特殊な事情や、そもそも伴奏ピアニストの仕事は、独奏のピアニストとどう異なるのか(苦労の数々!)、ユーモアも交え、わかりやすく書かれています。著書では声楽のほか、弦楽器との共演についても触れており、彼のゆたかな知見は多くの演奏家にとって「アンサンブル」の神髄を知るヒントになると思います。(邦訳は今は絶版ですが、古書店や図書館で入手できます。)

フィッシャー=ディースカウはたくさんのピアニストと共演しましたが、昨年亡くなったイェルク・デームス(1928-2019 オーストリア)も重要な存在でした。デームスは、他にエリー・アーメリングとの共演でも数多くの録音を残しています。楽器コレクターであったデームスは、現在関心の高まっている歴史的ピアノ(18~19世紀の)の分野の先駆者でもありますが、ディースカウとの共演でも、その種の録音があります(フォルテピアノでの伴奏問題については詳細は後日!)。デームスと同世代の、ジェフリー・パーソンズ(1929-1995  オーストラリア)は、ジェラルド・ムーアの後継者とも呼ばれた伴奏ピアニストで、やはり多くの歌手と共演。筆者には、若きバーバラ・ボニーを落ち着きあるピアノで支えた録音が印象に残ります。さらに、ペータ・シュライアーと組んだノーマン・シェトラー(1931-  アメリカ)の美しく洗練されたピアノ演奏も忘れられません。

筆者がドイツリートに初めて夢中になった学生時代、自然とよく聴いていたのが、アーウィン・ゲージ(1939-2018 アメリカ)のピアノです。「自然と」といいますのも、当時リートを聴くときに歌手の名前で録音を探したり、記憶していたので…あまりピアニストの名前を意識していなかった(ごめんなさい!)。買ったCDをよく見返してみると、ジェシー・ノーマンも、グンドゥラ・ヤノヴィッツも、ルチア・ポップも、ピアノは皆アーウィン・ゲージ。そして(ある年齢層の声楽ファンにはご記憶にあると思うのですが)、かつてメキシコ人の人気テノール、フランシスコ・アライサのリートの来日公演がNHKで放映されたりしたのですが、そのピアニストもアーウィン・ゲージ。私はシューマン「詩人の恋」をテレビ放送ではそのとき初めて見て、釘付けになった記憶があります。この映像、今でもYouTubeで見られることを最近発見したのですが、なかなか個性的な演奏していたんですね。…いえ批判ではなく、私はゲージのピアノにとても愛着を持っています。彼の演奏スタイルがよくわかる映像、スタジオ収録のようですが、オジェーの伴奏をしているものがありました。カメラがしっかり彼の姿を捉えています。シューマン3曲もちろん、特に最後のヴォルフは必聴。

そのほか、筆者が個人的にゲージに感謝するのはレパートリーの点です。アーメリングとの共演ののち、ヤノヴィッツ、ポップ、ステューダー、シェーファーなどのソプラノ歌手との録音で、ゲージはシューベルトの、有名曲ではないけれどソプラノ向きの美しい歌曲をいくつも積極的に取り上げているのです。例えば、「エアラーフ湖」D586、「流れ 」D693、「ばら」D745 など。歌われる機会の少ない曲ですが、ゲージの録音ではよく見られることから、彼の側から歌手に提案し、伝えていったと考えられます。19世紀のリートは量産されたジャンルですから、特にシューベルトなど、一般に歌われる曲よりも「歌われない」曲のほうが多いのです。その中から宝を見つけ伝えていくことは、とても有意義な仕事と思います。

こうしてみてくると伴奏ピアニストは英語圏出身者が多いなあという印象ですが、ドイツ語圏からは、ヘルムート・ドイチュ(1945- オーストリア)、ハルトムート・ヘル(1952- ドイツ)の二人が長年活躍してきましたね。ドイチュはこのコロナ禍の中、ヨナス・カウフマンの伴奏で健在ぶりを示しました。ハルトムート・ヘルは1970年代より白井光子と組み、世界的評価の高いリートデュオとして活躍。たくさんの録音がありますが、筆者には特に、リストの歌曲の緊張感みなぎる演奏が心に残ります。昨年、来日公演では満を持してのシューベルト&マーラーが予定されていましたが、台風&コロナ禍の難続きで延期→中止となってしまい、残念です。

現在、まさに円熟味を増し活躍しているピアニストとしては、ミヒャエル・ゲース(1953-  ドイツ)、マルコム・マルティノー(1960- スコットランド)、ゲロルト・フーバー(1969- ドイツ)などが挙げられるでしょうか。ゲースのピアノは好き嫌いが分かれるところかもしれません。装飾や即興演奏を交えたり…とインスピレーションに満ちた自由な感性のピアニストです。C.プレガルディエンの長年の共演者として知られますが、近年は若手歌手との共演でますます独創性を発揮しています。そのほか、ソリストとして名高いアンドラーシュ・シフ(1953- ハンガリー)や、レイフ・オヴェ・アンスネス(1970- ノルウェー)の弾くリート伴奏も素晴らしいですね。前回の記事で期待の若手歌手として紹介したアンドレ・シュエンの共演者、ダニエル・ハイデ(ドイツ)も、これから注目のピアニストでしょう。

リートで共演する歌手とピアニストはお互いに教え、教えられる関係です。リートは音だけでなく言葉という媒体を持ち、多次元の世界を構築しているから、二人でつくり上げる過程では、話し合うこと、詩の解釈・イメージからテクニカルな問題まで共有し合うことが大切。ジェラルド・ムーアから学んだフィッシャー=ディースカウは、さらに多くのピアニストと共演して知見を伝え、教えらえたピアニストはまた多くの別の歌手にそれを伝えていき…。こうしてリート演奏の伝統と革新は続いています。一人のピアニストがどの歌手に対しても同じようにピアノを弾くかと思ったら大間違いで、同じ曲であっても共演者の声や性格、考え方によってピアニストの演奏が変わる場合もあります。その逆もしかり。歌手のほうも、異なるピアニストと組むと、今までにない表現が引き出されることがあります。一方で、白井光子&ハルトムート・ヘルのように、唯一無二のデュオでしかできない、絶対的な領域というのもあるのでしょう。…だからこそリートというアンサンブルは奥深く面白い。リート演奏を志す方は、歌手もピアニストも積極的に自分から、これぞという方に共演を申し出てみることが大切。時間をかけて学び合う関係を作りましょう。

なお、「伴奏者」という言葉には、賛否両論あるようですね。(どうしても脇役のイメージがつきまとう…から?)ドイツ語の「Begleiter」、英語の「accompanist」の訳語でしょうが、よく見ればなかなか良い日本語ではないでしょうか。「伴う奏者」「伴に奏する者」であって、「従う奏者」ではないのです。ピアニストは、歌い手と伴って一つの演奏を作る同志。「伴奏者」「共演者」「ピアニスト」、どう呼ばれようが、いつも堂々としていて下さいね!

【今日のお薦め】マルコム・マルティノーは、ムーア~パーソンズの系譜にいる、いま最も引く手あまたの伴奏ピアニスト。ソプラノ、クリスティアーネ・カルクと組んだ R. シュトラウス・アルバムでは、マルティノーのピアノの音がとにかく美しい。丁寧な語り口のカルクの声と絡んで、至福の時に誘ってくれる。なおマルティノーはバリトン、キーンリーサイドとも名演を重ねてきた。シューベルトなど秋の夜長にぴったりな味わい。





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