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海外での育休奮闘記②~立会い編~

皆さん、こんにちは。柳本です。

前回のnoteで育休的な休みを取得するまでのプロセスとその中での葛藤を記載してきました。海外駐在をされている方だけでなく、これから出産を控える方、既にお子さんがいらっしゃる方、多くの方に読んで頂きコメントを頂くことができました。

今回はいよいよ第2子誕生時の立会ってみて何を感じ、何が大変で何が嬉しかったかについて筆を執りたいと思います。育休時の生活についても書こうかと思ったのですが結構なボリュームになったのでそちらは次回に譲ります。

出産に立会い分かったことが本当に多かったですね。百聞は一見にしかずとはまさにこのことだなと改めて感じました。

日本ではコロナ禍で立会が制限されている地域や病院もあるとは聞きますが、将来立会を希望されるかた、どうしようか悩まれる方の参考になれば幸いです。

入院は突然に

前回のnoteで書いたように育休的な休みの準備を終え、いつ第2子が生まれても大丈夫だぞー、という状況で予定日の1週間前を過ごしてました。しかしここに来て直前までの無理が祟ったのか、まさかの私も妻も娘も風邪をひくという事態に。まじかー、この状態で入院とか立会いできるのかとかなり焦りました。

幸いコロナではなかったのと、直前で回復をしたため事なきを得ましたが、私もなぜか仕事がてんこ盛りで夜中1時まで毎日働きながら妻が普段やってくれていた家事育児もやるというハードモードな直前1週間を過ごしました。あまりその時の記憶がありませんw 

妻の妊娠の結果、だんだんと辛い姿勢やできない事が増えてその分私が仕事を早めに切り上げてカバーしていたというのが夜遅くまで仕事をしていた原因でしたね。今振り返ればもう少し仕事を調整出来ればよかったなと。(出産が近いのを知っているのに仕事を付与してくる人にはイライラっとしていましたw)全国の上司の方は部下の家族の出産前には配慮してあげてくださいね~!

そんな体調も回復したある日、予定日よりも少し早く、「何だか胎児の動きが弱い」と妻が言うので娘を車に乗せて夕方から病院に連れて行きました。私の国でも通常の通院は付き添いは出来ず、妻だけをドロップして帰ることに。夕飯を娘と食べていると妻から電話があり、「今から帰宅しても良いけど、また胎児の動きが弱くなる可能性もあるから今日このまま入院することに決めたよ。翌朝に出産ね」と伝えられました。

ちなみに今回ホームドクターと話し合って決まっていた出産方法は自然分娩(経膣分娩)でした。前回の出産時は胎児の心音が弱く帝王切開をしたのですが、欧州(少なくとも私たちが住む国)では帝王切開後も自然分娩にチャレンジするのが普通のようです(日本だと初産が帝王切開だと2回目以降も帝王切開になることが多いと聞きました)。予定日の数日前に計画入院をして出産という流れでした。

妻の入院用の荷物を詰めたバッグ(これも事前に妻がちゃんと準備してくれてました。突然の入院になる可能性もあるのでこれは事前準備しておいた方がいいですね)を届けるため再度娘と病院に行き、その日は終了。妻は1人病院で子宮口を広げるバルーン処置をして様子を見ることに。妻が家に戻らず不安そうな娘と初めて2人だけで過ごす夜でした。

翌朝娘を保育園に預け、会社に連絡して、妻の滞在する病院へ。到着すると妻が和痛分娩のための麻酔処置をされているところでした。日本でも和痛分娩(いわゆる無痛分娩)が広まりつつありますが、欧州では和痛分娩がより一般的です。「硬膜外麻酔」というものが標準的で脊椎の中の硬膜外腔というスペースに細い管(硬膜外カテーテル)を入れて、そこから局所麻酔薬を注入する方法です。完全に痛みがなくなるわけではないので和らげる痛みとかいて和痛と表記していますが、陣通時の痛みはこの処置の有無で比較にならないようです。妻は欧州駐在経験がありその時に和痛を知り、産むなら絶対和痛が良いと言っていました。

和痛についてはこちらの記事がわかりやすかったので参考までにリンクを貼っておきます。

本陣痛から赤ちゃんが出てくるまで

妻は昨晩のバルーンが痛くてよく眠れなかったようで、麻酔が効いて痛みが引いたので1時間ほど眠っていました。その間もひっきりなしに看護師さんや助産師さんが来て様子を確認してくれます。

妻が目を覚まして1時間ちょっとが経過した頃、段々と陣痛が強まってきたのですが、本陣痛まではいきんではいけないと言われて堪える妻。とりあえずセラピーで習ったマッサージ(背中をさする等)をする私。事前に教わっていて良かったですね。麻酔の管がつながっていて妻は動き回れないので、飲み物を渡したり、汗を拭いたりと、少しでも楽になるように声かけをしました。少ないながら男性も出産当日に出来ることがあるんだなと実感。

しかし驚いたのはまだいきんでもいないのに結構な血が子宮口から出てるんですよね。お産が命がけという意味を肌で感じた時でした。

「堪えきれない、もう出したい!!」と普段冷静な妻が苦痛に顔を歪めたのでナースコール。看護師さんや助産師さん、ドクターが慌ただしく入室していよい分娩が始まります。

事前にセラピーで出産までの流れを習っていたので何となくのイメージはありましたが、やはり実際に体験するものは全然違いますね。「大きい陣痛が来たらいきんで、一度休んでもう一回いきんでね」とドクターが英語で話かけてきます。妻が力を入れやすいように私も妻の横に立ち、片足を支えます。

「キタ、キタ!」と妻が苦しそうに言うと「頑張れ!いけー」と号令がかかりいきみます。私も妻がいきむときに頭を支えてサポートをします(これもセラピーで習いました)。素人にはよくわかりませんが「めっちゃ良い感じでいきめてるよ」と励ましまくるドクター達。皆さんポジティブなんでこっちも励まされます。

何度かいきむ内に確かに胎児の髪の毛らしきものが出口から見えてきました!!結構な血まみれで一瞬ぎょっとしましたが終わりが近づいてきていることを感じます。

「Push Push Push!」とまくし立てるドクターに応えて頑張る妻。「頑張れ、頑張れ!」と私も声をかけ、手に力が入ります。頭がどんどん見えてきたと思ったら「サポートするために切るから」と言われ、パチンという音が。「んん??切るの?」と思っている内に次のいきみで頭が出てきて、更に次のいきみで肩がでて、赤ちゃんが取り出されました!

そのまま妻の胸に乗せられ「おぎゃーおぎゃー!!」と元気な産声を上げる息子。泣き出した瞬間、新たな命の誕生に感動して涙腺が大崩壊でした。「生まれてきてくれてありがとう」と泣きながら妻と一緒に息子をさすりました。マスクが涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりました。命が生まれる瞬間に立ち会えて本当に良かったです。本陣痛が来てから30分ほどの出来事でした。

そして「じゃあ旦那さんこれで切って」と医療用のハサミを渡されてへその緒を切ることに。事前に切ることを選択していたとはいえ、何とも言えない変な触感でしたが、無事に切り離す事が出来ました。

その後冷静になって辺りを見渡してみると結構血まみれになっていて、自然分娩でもこれは体への負担大きいなと感じました。さっきのハサミでパチンときった部位が会陰で、会陰とは、膣口と肛門の間で、長さ3cm程の部分です。(会陰切開の始まりは、1742年アイルランドの外科医フィールディング・オールドが難産の患者に行ったのが最初と言われています。)赤ちゃんを出やすくするために分娩台で会陰部を産婦人科医がはさみで2~3cm切り広げる処置を会陰切開と言うそうです。こちらも詳しく説明しているサイトのリンクを貼っておきます。

いきむのも痛みに耐えるのも大変だけど、出血も結構するんだなと。こりゃ交通事故レベルといわれる意味もわかりました。それでも今回は輸血なし、500ミリリットル程の出血だったそうです。人体の血液が4-5リットルということを考えるとすごい出血量ですね。

そして会陰切開をした部分を縫うからとドクターが処置いるのですが、なーんかずーっと縫ってるなと思っていたら、後で聞くと切開部分から子宮内部も割けていたそうです。20分くらいずーっと縫っていましたがさすがに縫うシーンは怖くて直視出来なかったです。英語だったので何針縫ったのかよくわからなかったですが、結構長い時間縫われていました。この会陰切開が後々妻を長きに渡り苦しめるとはこの時は想像も出来ず。

そしてしばらくすると胎盤が出てきました。なかなか普段見ないものなのでこれもちょっとぎょっとしました。まさに内臓という感じですね。これが赤ちゃんの命を守ってくれていたのかと思う反面、胎盤がはがれた部分も出血するようでホントに女性は大変だなぁと感じました。妻は疲れでぐったりしていますが息子の温かみを感じ、声をかけていました。

今振り返るとこの病院で妊婦さんの叫び声を一切聞かなかったですね。日本で出産した時は悲痛な叫びが聞こえてきてビビっておりましたが。やはり和痛分娩が標準だからなのか。痛みがゼロにはならずとも出産時の苦しさは違うんだろうなと改めて感じました。

忙しなく過ぎる母子同室の入院期間と娘のケア

無事に息子が生まれ、妻の縫合処置も終わったので助産師さんと一緒に妻のベッドを病室まで運びます。麻酔も半日ほどは点滴で注入していましたが、効果が切れた後は後陣痛と呼ばれる子宮の収縮に加え、切開した部分が痛むようで痛み止めの薬をもらって妻はやり過ごしていました。

分娩後すぐは勝手に立ち上がれないので飲み物をとったり、汗を拭いてあげたり、授乳時に息子を渡したりとせこせこと動き回る私。その日は私も病院に泊まることにしたので保育園に預けられた娘は友人に頼んでピックアップをしてもらいました。涙を堪えて不満そうにする娘の写真が送られて来ましたが友人いわく「Brave(勇敢)」だったとのこと。

ちゃんと娘が友人宅で寝てくれるか心配でしたが、こちらは新生児のケアと妻のケアがあるのでそれどころではなくばたばたして初日が終了。簡易ベッドで泥のように仮眠を取り、息子が起きたら授乳のサポートをしてと夜も忙しかったです。でも夜起きられたのは1度だけでその他は寝ていて後で怒られましたw

あんなに大変な出産に縫合までしたのに妻には休む暇はありません。母子同室のため赤ちゃんが泣くと基本自分達で対処です。幸いすぐに母乳も出始めたようで息子くんは元気におっぱいを飲んでくれました。看護師さんが3時間ごとに看に来てくださり、妻の状態や赤ちゃんのことについて丁寧にサポートをしてくれます。看護師さんが来るたびに「結構縫ったわね」と言われて凹む妻。和痛分娩とはいえ、その後ダメージがないわけではないんですよね。

あと海外だからなのか、病院食が死ぬほどまずくて1割も妻は食べませんでした。その情報は事前に掴んでいたので妻は日本から持ってきた雑炊やらお湯をかけて食べる食材や病院の購買で買ったフルーツなどを食べていました。

翌朝ひとまず友人宅にいる娘を迎えにいきましたが、なんとか過ごしてくれた様子。コロナの環境下で娘のピックアップや世話を快諾してくれた現地の友人には感謝しかありません。

初めてのお泊まりを経験してなんだかちょっと逞しくなった我が娘。しかしその日は不満爆発で午後に別の友人宅に預けようとしていたのですが出来ず「娘をケアしてあげて」と妻も言ってくれたので2人で公園に行ってアイスを食べたり、遊んだりして娘ケアを優先しました。赤ちゃんの写真を見せて「お姉ちゃんになったんだよ」と言うと舌足らずで「おねちゃん?」と言い返す娘が愛おしかったです。

退院そして育休の始まり!

妻が滞在した病院では異常がなければ三日目にはもう退院するという日本と比べると結構なスピード感でした。まぁ前回は帝王切開だったので1週間ほど入院でしたが、切開した傷の広さだと今回の方が大きくない?と思いつつ病院側からもOKがでました。考え方としては病院に長くいるよりも家に帰って家の環境に慣れつつ助産師さんが定期的に訪問して経産婦の回復状態や新生児の成長をチェックするという形式のようです。

入院中も看護師さんが懇切丁寧にサポートしてくれて、また退院後に必要な書類やら流れやらを教えてくれたので助かりました。医療現場のスタッフの方々には頭が上がりません。

妻を迎えに行くために娘をまた友人宅に預けましたが、今度は号泣。泣き叫ぶ娘の声に後ろ髪を引かれつつ病院へ。

病院に着いて、荷物を片付け、妻の身支度をサポート。1日ぶりに息子くんにも対面。まだ傷が痛む妻ですが、なんとか車まで歩いてもらい息子と三人で帰宅しました。痛み止めのイブプロフェンが手放せません。病院の前で記念写真を撮って帰りました。いやーほんとお世話になったな。

友人宅に娘を迎えに行き、家族4人が初めて揃いました。娘は弟を見て喜んでいました。君も慣れない環境でよく頑張ったね、本当に。そして4人での新たな生活がスタートです。私の育休奮闘記の本番もここから始まります。

立会いを振り返って

立会いそのものもとても感動的でしたし、コロナ禍の中でも立会いができたのは本当に恵まれていたなと病院のスタッフの皆さんにも感謝感激でした。このシーンは一生忘れないだろうと思います。それに立会うことで出産が女性の体にどれほどのダメージを与えるかを視覚的、感覚的に理解できたので、この後の入院や育休期間での妻へのケアの姿勢が大きく変わる転換点になったと感じます。

一方で立会いは今回書いたように結構な出血や普段なかなか見ないものが見えるので、そういうのが苦手な方は自分の心とそしてパートナーの方とよく話し合った方が良いかなと思います。

でもやはり個人としては立会いができるなら是非やって欲しいなと思います。立会いや入院時に泊まる事で男性が出来る事って結構あるので、出産に関してなるべく時間を取れるよう仕事を調整することも大切だなと感じます。本人の努力だけでなく周りのサポートをお願いする必要もありますね。何より生まれてくれた赤ちゃんへの愛おしさが増しました。こんなに大変な中、生まれてきてくれてありがとうという気持ちが沸き上がりました。

子供が生まれるというのはいろんな人の支えで成り立っているんだなと改めて感じました。異国の地での出産ということもありますが。ドクター、看護士、助産師、病院のスタッフの方々、娘を預かってくれた友人達、快く休みを取らせてくれた職場の仲間達、妊娠・出産を頑張ってくれた妻。多くの人のおかげで新しい命の誕生に向き合うことができました。

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(写真は生後2日の息子くん)

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助けてくれた人達に少しでも恩返しをして生きていきたいなと思います。

私たちにできることを一歩ずつ。

【参考文献】



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