![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/136924730/rectangle_large_type_2_5508a419fa4ed9f2d09027df98de9855.png?width=800)
課題山積みな博士論文の研究に関して、あれやこれやと言って良いですか?(その2『意味のスタンスについて』)
はじめに
意味の意味とは?という哲学的な問題について答えることはほぼ不可能である。意味の意味について答えても、それは意味の「意味」であり、意味について答えを出すことはできない。今回は博士論文で課題になっている「意味のスタンス」問題について考えてみたい。
2種類の多義語研究
これまでに多義語の研究では、多義性をどう捉えるかという研究が幅広く行われてきた。多義語の研究には、ある特定の単語の用例を集めて、それが多義性があると証明したもの、そして、多義性について包括した理論的なものを求めているもの、この2つがある。私自身は、前者はもうやり尽くされた感じがあるため、後者の研究をしている(しかし、それは特定の多義を扱う研究がなくなったからではない)。
意味のスタンスを決めることが大事
さて、話を戻そう。その多義を扱うということは、概ね、多義についての意味を扱うことがポイントになるのはいうまでもない。その際に、意味について、すなわち、自分がどのようなスタンスを『意味』について持っているのかということは大事である。
言外の意味をどうするか問題。実は、意味には2つのスタンスがある。
— Hisanori Iijima (@cogedu3121) April 5, 2024
・意味は文脈という変数によって決まるものだ。
・意味は文脈とは独立したものである。
前者の動きがとても強い。特に、言語哲学などでは意味と概念を切り離さなかった。でも、認知系の研究が進むにつれて、意味と概念を切り離す
実は、意味、概念、意味概念という言葉の区別ができるだろうか。意味と概念を切り離すのか、意味と概念を一緒にして考えるのか、それは意味論を研究する者にとって大事なことである。
Quine(1960)など、言語哲学的な研究では、意味とその意味の「概念」を切り離さなかった。
— Hisanori Iijima (@cogedu3121) April 5, 2024
意味と意味概念を切り離す研究はEvans(2009)などで理論的な提唱がされている。
認知的な研究は、文脈という要素をとても気にするから概念と意味というのも1つの調べるテーマになるかも。 https://t.co/cHzv4H41T3
例えば、言語哲学では、意味と概念が切り離されて考えられていなかった節は否めない。しかし、多義性について考えるときに、意味と『文脈』というのは切っても切り離せない概念である。なぜなら、語の意味は文脈によって決定してくるからだ。その「文脈」によって決定されたものを通常、我々人間は「意味」と呼んでいる。
フレーム意味論についての記事を書いているけれど、フレーム意味論の原理で「多義性が解消する」とは思えないなあ。むしろ、言外の意味をどう捉えるかっていう語用論的な視点が加わるだけなのでは?と思った。
— Hisanori Iijima (@cogedu3121) April 4, 2024
フレーム意味論という動きが出ている。いや、認知言語学初期の頃に出現した概念だから「動きが出ている」という言い方は変だ。認知言語学の初期の頃に考えられて、要は「言外の意味」をどう捉えるのかが大事であるという理論である。通常、意味というのは辞書通りには人間の頭の中にはインストールされていない。言語というのはもっと複雑で、全ての解明が不可能なダイナミックなシステムだ。
あと、フレーム意味論って、動詞を中心として意味分析の対象としてきたことが多いけど、名詞も分析対象となってきている印象が。それについては京都大の人が博士論文で書いていた。確かに、既存の理論の拡張は大事だなあと。 https://t.co/jFxa6mKwCE
— Hisanori Iijima (@cogedu3121) April 4, 2024
そう、京都大の博士課程の院生が、博士論文で書いたのが、この「フレーム意味論で名詞の分析をする」ということだった。当論文では、既存の動詞中心のフレーム意味論の理論の拡張が行われている。理論の拡張を行うのは大変だと思う。その試みはとても素晴らしくて、読んでいて感動した。
意味とは何ですか?と言われた時、それこそが意味論研究者の最大の謎なのだけれども、意味というのが何かという、自分なりの意味の「スタンス」を決めることは可能だと思います。
— Hisanori Iijima (@cogedu3121) April 5, 2024
話を最初に戻す。意味のスタンスを決めることは可能であるなら、様々なスタンスが考えられるが、ボクがどのようなスタンスを取ったのかは、別の日に記録することにしたい。意味というのはスタンスを決めるのも難しい。そして、既存の理論の拡張はもっと難しい。そのスタンスありきで進んでいくからだ。
最後に
今日は博士論文について、考えることを書いてみた。あと1年で修了できるのかと思いながらも、このまま進めていくしかないのである。頑張る。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?