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自己紹介ついでに今までの人生を振り返ってみる

初めまして。知っていただいている方はお久しぶりです。
Webのフロントエンドエンジニア 兼 作編曲家のMeiです。

noteはアカウントだけ作って放置していたのですが、やっとポートフォリオも完成し、屋号も出して活動していくということで1記事目を自己紹介としてみました。
せっかくなのでSNSやポートフォリオには書いていない、今の仕事を目指すきっかけ的なところからゆるく書いてます。
かなり長いので適時興味のあるところをかいつまんで眺めていただければ。

仕事で興味を持っていただいた方もこちらを見てどんな人物なのかを把握していただければ幸いです。

プロフィール

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本名:久米大輔(クメダイスケ)
ステージネーム:Mei(メイ)
1993年6月23日生まれの27歳(2020年7月時点)

音楽活動とSNS周りは全てMeiの名前で活動しています。
Web側は就職していたこともあって普通に本名で通ってます。ややこしい。
本名は親族以外ほとんど苗字で呼ばれます。2文字の苗字ってキャッチーですもんね。

画像はバンドのアーティスト写真です。
Photoshopを駆使して最大限に盛った結果ほとんど別人になってしまいました。2年くらい前に撮ったこともあり、実物は5割り増しで目つきが悪く太っています。女子の自撮りみたいなもんだと思ってください。

千葉県北西部出身。現在もその辺に在住。

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髪の毛が一般的な成人男性よりは明らかに長く、身長は175cmなのでほどほどに高い方でしょうか。
同じ特徴の方が結構いらっしゃるようで年に数回、目撃したという報告が上がってきますがだいたい家にいるので多分違う人です。どのくらい似ているかの判断を随時行っているのでふるってご応募ください。

バンドを始めたきっかけ

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中学・高校の同級生に勧められてV系バンドにハマります。
その影響でそれまで嵐とAAAが好きなポップ志向だった僕ですが、その友人がドラムを叩けたこともありバンドに興味を持ちます。
どちらかというと目立つことは嫌いなタイプだったのですが、元々歌うこと自体は好きで、ある程度は褒められることもあったので調子に乗ってしまったんでしょうね。高校2年生の時にその友人のバンドでちょうどメンバーが抜けて人を探していると聞き、ボーカルとして加入します。作詞もこの時から始めました。

しかし僕は初めてのライブの後、すぐにクビになってしまいます。
今思えば引くほどガチガチなうえに下手だったので当然です。

ただ、その短いバンドの経験が僕に音楽を発信する楽しさを覚えさせてしまいました。
それ以降、当時流行っていたmixiでバンドメンバーを募り高校卒業までに数バンドに参加することとなります。

そして色々あったのですが前述のバンドを始めるきっかけとなった友人の後押しもあり、高校卒業後は音楽の専門学校に進学します。

専門学生、そしてフリーターへ

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高校卒業後、高田馬場にあるESPミュージカルアカデミーという専門学校に進学しました。写真は卒業式の僕です。就職するまで金髪でした。

『ミュージシャン科ヴォーカルコース』という専攻だった僕は歌の練習に明け暮れました。特に年に数回行われるコンテストや公開オーディションなどに向けて同級生と切磋琢磨する日々です。まぁ僕は特にこれといった成果はあげられなかったのですが。

『音楽の専門学校』というと卒業後は音楽関連の職業に就くと思う方もいらっしゃると思うのですが、ミュージシャン科という名の通りミュージシャンを目指している人たちです。基本的に在学中に音楽で生活できる人はほとんどいなくて卒業後は就職せず、アルバイトをしながらミュージシャンを目指す人が大半でした。
例に漏れず僕も卒業後は昼間は倉庫、夜はコンビニ店員のフリーターとなってしまいました。コンビニは黒髪のウィッグ被ってました。

そんな中でも音楽活動は上手くいきません。V系バンドをいくつか組んでは上手くいかずの繰り返しでした。特にメンバーが突然に実家に帰るといって音信不通になり、バンド自体も解散というのは精神的にしんどかった...。

ちなみに現在使用している『Mei』という名前はこの時のバンドでつけたステージネームの表記を変えたりして使い続けています。
化粧をしている時の写真はほどほどに恥ずかしさが残るのでお酒が入った時にでもお見せします。

DTMを始めて世界が変わる

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バンド活動が思うように続かない中で「歌以外にも何かできることがあるのではないか」という思考に至り、PCを持っていない僕はiPhoneのアプリでバンドの曲のデモを作るようになります。

ここまで読んでいただいた方はお察しかもしれませんが僕は楽器がほとんど演奏できません。そんな楽器が弾けない僕でもDTMでは曲が作れるなんて魔法のようだと感じました。
今まで闇雲に練習とライブの繰り返しだった中で初めてまともに音楽に向き合っている感覚になりました。

しかしその気持ちとは裏腹に作曲を少しできるようになったからといってバンド活動が上手くいくわけではありませんでした。
フリーターになって数年、倉庫では契約社員にもなってしまい、バンドも転々としてモチベーションも物凄く下がってしまいました。作曲も含めて音楽からどんどん離れていく日々が続きます。

そんなある日、学生時代の同級生が結婚式をあげることとなり友人代表のスピーチを頼まれます。
初めて出席する結婚式に友人代表のスピーチ。どうせなら何かしたいと思い、サプライズで歌を歌うことにしました。

しかし、ここでたいして上手くもないギターやピアノの弾き語りは薄ら寒い...下手をすると友人にまで恥をかかせてしまう。
「せや! DTMなら1人でも曲できるじゃん!作ったろ!」
きっと音楽から離れていたこともあって何かしたかったのでしょう。大義名分と締め切りを得た僕はほとんど触ったことのないPCとほどほどに値段のする作曲ソフトを勢いで購入して曲を作りました。

結果的に結婚式ではとても多くの賞賛をいただき、その場にいた高校時代のバンドメンバーからももう一度バンドをやろうと誘われて自分の目指す道はこれだ、と思うようになります。

PCに触れてできることの幅が広がりWeb制作会社に就職する

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DTMを本格的に始めていくうちに少しずつですが作曲でお金を稼げるようになりました。しかし壁にぶつかります。
そもそも僕、PCがほとんど触れなかったのです。

家にPCがなかったのもありますが小学生の時には携帯電話を持ち、高校生の時にはスマートフォンが流行りだします。日常生活を送る上で必要なこと、連絡をとったり音楽を聴いたりネットで調べ物をしたりは別にPCがなくてもできるので学校の授業や仕事の決まった作業以外ではほとんど触れる機会がありませんでした。
しかしDTMを始めたことにより『そもそも音楽以外にもPCを使って何かできるのではないか』とデジタルコンテンツの可能性を感じ始めました。

そんなある日、以前バンドのWebサイトをメンバーが作っていた時、その人は元々PCはそんなに触っていないと言っていたなぁと思い出しました。今思えば恐らく『無料でサイトを作れる』という売りのサービスを使っていたのでしょう。しかしそんなことを知らない僕は
...もしかして頑張ればプログラミングとかできるのでは?という無知から生まれた勘違いでHTMLの勉強を始めていくうちにWebの仕事に興味を持ちました。

以前から常々、生活の中で大半を占めている仕事が音楽と全く関係のないのは勿体無いなぁと思っていた中、年齢も20代前半が終わりに差し掛かったこともあり今後の人生を考えるようになりました。
しかしまだ音楽だけで生活が出来るほどは稼げてはいません。
そんな時に『職業訓練校』ものがあってそこでWebの学校もあるっぽい!という事を知ったタイミングで仕事も異動のお話がきたので勢いのままに仕事を辞め、職業訓練校に通うことにしました。

3ヶ月という短い期間でしたが基本的なWebサイトの作り方を学びながらもタイピングなどそもそものPCの使い方から学びました。
しかし、就職経験のなかった僕は『どうやって就活したらいいんだ?』と思い、何かしなきゃという焦りから学校で募集していたWeb制作会社のインターンシップに参加しました。
その会社では人材紹介も行なっていたのですがたまたまエンジニアの枠で募集があり、その会社に就職してフロントエンドエンジニアとして働くこととなりました。

Web業界で働くことに楽しさを見出す

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就職してからは様々なことを経験しました。

入社後数ヶ月は出来ることから仕事を経験しつつ、制作案件にも携わりました。
特に初めてのWebサイトの制作案件では僕の仕事が遅く、入社早々終電を失くすほどのこともあったのですが、公開した後自分が作ったサイトがGoogleで検索して表示されることに音楽を作ることと同等かそれ以上の喜びを感じました。

その後、インターンシップの時にもお世話になっていた人材紹介の自社サービスのエンジニアに配属されました。
人数が5〜6人と少ないこともあり、エンジニアリングではフロントエンド以外はもちろん、他にも企画やイベントの運営、オウンドメディアの記事執筆や運用なども行うようになります。

また、自社サービス以外にも制作案件も並行して担当していました。
自社サービスではWebアプリケーションやオウンドメディアの立ち上げ〜運用、制作案件では少数チームだったこともあり技術選定や開発環境の構築から携わることができ、非常に様々な知識と技術が身につきました。

そして何より入社からずっと一緒に仕事をしてきたエンジニアの先輩が仕事もでき、頭も良く気が利くという心から尊敬できる人だったため、その人のようになりたいというモチベーションで仕事に取り組めたのが何よりも良い経験となりました。

バンドも動き出し個人でも音楽とWebで仕事を受け始める

Web業界で働いている間にバンドも動き出します。前述の結婚式の際に誘われたバンドですが、歌ったり曲作ったり色々やってます。
元々やっていたバンド活動やDTMでの作曲の知識に加え、Web業界でサイト制作や画像編集などの技術も培ってきたこともあり、仕事をしながらも曲をリリースして本格的に活動を開始しました

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公式サイト
(各種サブスクで配信中なので『OTHER SIDE』で是非検索してみてください!)
ちなみに1番右の人が僕を音楽の道に誘ってくれた同級生です。

また、ありがたいことにバンドの曲を聞いた方などから作曲の依頼も受けるようになります。
そもそもWeb業界への転職を決めた時も『音楽と関係のない仕事は時間が勿体無い』という感覚で始めたので、自分の中では少しずつ音楽を仕事にすることへの意識が芽生えてきます

それと同時期に会社とは別でWebのお仕事も受けることがありました。
就職していることも考慮してスケジュールを組んでいただいたので土日の時間と平日の夜をそちらに当てることで仕事をこなしていました。

そんな状況なので就職して2年目はほとんど毎日仕事をしていました。しかし忙しい中でも他にもやりたいことがどんどん出てきます。
土日の仕事と並行して動画編集やゲーム作成まで学び始めてしまいました。

会社を辞めてフリーランスになる

今思えば歌うだけの状況からバンドを始めて作詞や作編曲、PCを触ったことをきっかけにWebサービスやサイトを作るようになるなど、色んなものに興味を持つ性格なようで、未だにやりたいことは増えていきます。

収入としては個人の仕事だけでは生活が難しい額ではあったのですが、会社の一員としてサービスを大きくするよりも自分のやりたいことを最大限発揮し、Webだけではなくもっと広い範囲で仕事をしたくなりました。

そしてちょうど就職してから2年のタイミングで退職しフリーランスとして仕事を始めました

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自分の決意を表すためにも屋号をつけ、名前を「Crogic」と名付けました。
音楽とWebを中心にデジタルコンテンツを制作しています。

意味は
Creation of digital contents』と『Creation of magic』の略。

前者はそのまま事業内容ですが後者の『magic』...つまり魔法ですが僕は初めて曲を作った時に『楽器が弾けなくても曲が作れるなんて魔法のようだ』と感じました。
そしてその出来上がった楽曲は聴くひとの心を動かすものであったり、場所や映像などを彩るものです。
Webサイトはモノの価値を伝えたり、サービスは人々の生活を便利にしたり。
全てまるで魔法のようではないですか?

そんな魔法を作り出して誰かの人生を手助けできるように。
そしてそんな魔法が誰にでも作り出せるように。

そんな想いを込めてみました。
まぁあとは本名に『ク』が入ってるしいいじゃんって。(台無し)

ロゴのシンボルマークにも『Music』と『Web』の頭文字が入って非常に素敵なものを作っていただきました。これも魔法ですね。本当に素敵。

でも屋号って正直立ち位置が曖昧ですよね。僕は会社名的なニュアンスでつけましたが屋号自体を自分のニックネームみたいに使っている人もいるし。
まぁ『Crogicっていう組織のMei(本名クメ)』って認識でいてもらえればと思います。

そして現在

この記事を執筆した時はちょうどフリーランスになって半年経ったくらいです。2020年1月に退職したのでこれからって時に自粛ムードです。まぁ家を出なくても済むって意味ではタイミングがよかったです。これを読んでくれたあなたの健康も願っております。

生活としては何とか生きてはいるって感じです。
飢えるほどでもないけど贅沢はできない生活。慎ましく生きます。

そしてここまで読んでいただいたことにお礼申し上げます。
飛ばさずに最初から読んでくれたなんて場合はもう友達です。一杯奢らせてください。

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