松永暢史

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    松永式の日本語音読を全国全世界に広める普及活動についてまとめていきます。すべての日本語を話す人たちに届けたい。

最近の記事

春来移転一年と旅について

気がつくと、昨年の事務所「移転騒動」から1年が経過している。 また春を迎えて、あの慌ただしい日々のことを思い返す。 突然だったがビル老朽化による立ち退きを求められ、交渉の結果何とか納得できる移転補償を受け、井の頭公園直近の吉祥寺御殿山に新たなる拠点を選択し、木調の落ち着いた室内空間を演出し、引越しして備品を次々に運び込み、そこにこれまでにない教室空間を実現しようと努めた。 本当に忙しかった。教室空間の整備だけではない。慣れぬ書類や契約の手続き、おまけに得意ではない経費管理まで

    • 「旅」と「ヒマ」について

      前回、ヒマな時に何をすべきか思いつく能力について書いた。 では、そのヒマがちょいとしたものではなく、1日、3日、7日、14日・・・と極大化していった場合どうなるのか。 人は普通、3日間以上の休みがあることを前提にした場合、どこかに出かけようとするのではないか。 事実、GWなどは国内海外へ旅行する人で大賑わいになる。 男と女で異なるかもしれないが、人はヒマになると移動しようとする習性を持つと言えるのかもしれない。 で、旅に出る。 すると、「ヒマ」ではなくなる。でも忙しいわけでは

      • ヒマな時に何をするか思いつく能力について

        人間、暇な時、つまり自由時間に何をすべきか。 まずは休息、疲労回復、そして睡眠。 だがそれ以外に何をすべきか。 ストレス解消。 これはもはやほとんどの都市生活者にとって欠かせないことである。 ではどうするか? ここで多くの人は「ヒマ」と言う恐るべき事態に直面する。 ヒマは困る。 「ヒマ」は空腹感同様苦しい。 しかし、「ヒマ」を解決するには、何をすべきか想起しなければならない。 そこでスマートフォン、あるいはテレビやPCのスイッチを入れる。 そこには、ありとあらゆる「情報」があ

        • 教育と未来価値観

          ふつう人は、そのことにどれほど自覚的であるかどうかは別として、ある「価値観」を持って生きているはずである。 快不快と好き嫌いーこれは感性によるところのものであり、考えた結果ではない。 人道的に正か否かーこれは経験的なものであり、また社会集団的文化的なものであろうが、思考結果によるところのものである。 では、損か得かはどうか。これは簡単で、誰もが日常していることである。いやそれは、「価値観」を持っているかどうかはわからないが、全ての動物が行なっていることである。彼らも生理的な「

        春来移転一年と旅について

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        記事

          リベラルアーツ初級ー『老子』

          9日のリベラルアーツ初級では、『老子』(岩波文庫/蜂谷邦夫訳)を読んだ。 『老子経』には、「付け足し」の文の論理的「飛躍」が大きく、本当はどんなことを意味するのか、後世の膨大な解釈の群れを前に判断当惑することが多々存在する。すると、「原初」と思われる漢文原文からの直接的解釈が肝要になってくると思われる。 次は最も有名な一文であるが、中国語=漢文部分に注意して読んでいただきたい。 大道廃、有仁義―大道廃れて、仁義有り。 智慧出、有大偽―智慧出でて、大偽有り。 六親不和、有孝慈

          リベラルアーツ初級ー『老子』

          協力要請

          教育の未来を考える多くの人にアピールしたい。 我が国の未来文化を支える教育の根底にあるべきは、言語能力と論理思考能力を伸長する教育である。 それがあってこそ、その「先」がある。 前者は、カタカムナ音読法と抽象構成作文法の教育伝授で可能になる。 後者の元になるのは、サイコロ暗算法=「分解算」である。 これらは全ての子どもに教授可能である。 私は思う。 この二つだけは、この国の教育を受ける全ての子どもたちに平等に学ぶ機会を与えるべきだと。 そうすれば中学以降、自ら勉学を志す時、自

          協力要請

          満月通信  2024 3.7

          新月近地点を控えて、新たにこの「WAVE」に乗ろうと決意する自分を自覚する。 掌中の出版企画多くなって、その各々の「準備作業」を続けるが、そこに新たな別の「光」がやってきていることも忘れないようにしたいと思う自分がある。 『社会人のためのカタカムナ音読法』―念入りに作っていきたい。 『ぶんかい算』―「これでどうだ!」というものに完成させたい。 『親子の古典音読』改訂版―今度こそ、「手抜き」のない内容に収めたい。 『私の魚遍歴』―加筆内容を確定し、「その後」につながる読み物に作

          満月通信  2024 3.7

          63歳を超えるとわかるようになることについて

          芸術家Eのアトリエを訪問し、彼と話していると、ふとこんな言葉を耳にした。 ―人間誰しも普通60をというよりも63歳くらいを超えたあたりで、人生とはどうあるべきかということがリアルにわかるようになるものだと思う。 彼がそこまで話していたのは、大卒後インドを皮切りに外国旅行。就職せずに渡米南米。ブラジル人の女性と結婚して、長らくブラジル滞在、その間3人の子どもを抱えて食うや食わずの生活経験。自然食レストラン経営(失敗)、農業、日本語教師、通訳、新聞社特派員助手、大工、水道工事

          63歳を超えるとわかるようになることについて

          出版について思うことについて

          昔、画家の納富慎介氏に、「画家は、絵を描いている時間よりも、それを眺めている時間の方が圧倒的に長いものだ」と言われてハッとしたことがある。よく考えてみればそれは明らかに「事実」であるが、それまで鑑賞者の立場からそれを考えたことはなかった。 文筆だってそうである。書いている時間よりも腹案や構想を練っている時間の方がはるかに長い。また、加筆修正をするためには繰り返しその文章を読む必要がある。それも「書く」行為というより「見る」行為である。 ここに書くようなエッセイ的記述であれば、

          出版について思うことについて

          「中心性」―目に見えぬ「自然」 

          長らく顔見知りであるのに、いつどこで初めて出会ったのか思い出せない人がいる。海老沢研氏もその一人である。 今思い浮かぶのは、彼が西荻の狭いブラジル酒場でギター片手にボサノバを歌っていた姿である。 大学卒業後、ブラジルで長く生活して現地に家族や足場をも持つ彼が、日本に戻ると芸術家になる。 70歳を超えてその制作意欲に火がついた。ほぼ毎日描きっぱなし。およそ2ヶ月で50枚の油絵作品を描き上げると言うのであるから尋常ではない。その彼の個展に行ってきた。以下は、彼に送った「印象批評」

          「中心性」―目に見えぬ「自然」 

          満月焚火

          「感想は?」と聞かれれば、「ワッハッハッハハハー!」と言うことになる。 先月に続き、今月も満月奥多摩焚き火ジビエの会に参加した。 翌る日朝から仕事もあるので、私は宿泊しないが、まだ寒いのにここに集まる者どもは、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人・・・と皆私の音読授業を受けたことがある者たちばかりである。ということは、全員口が達者で、しかもやや深いニュアンスも汲み取る言語運用をする。しかも文章を書くことができる。 縦割りの少年集団の中で、微妙な年齢上下を意識した言葉使いがあ

          私の魚遍歴ー改稿

          春が来て、WAVEもチェンジして、クロッカスが咲き、池にカエルが集まり、多くの球根が目を噴いた。 今年の受験も、思うところはあるが、つつがなく過ぎゆき、一段落して、自分も何か次のことをおっ始めたいという気分を禁じ得ない。 『私の魚遍歴』、題としては若干イマイチの感があるが、多くの人に喜んでいただいたらしく、極めて光栄である。 私の読書は、セルバンテス『ドン・キホーテ』から『イーリアス』に移りつつ、同時にボルヘスを読み刺し、結局『セルバンテス模範集』(岩波文庫では『短編集』)が

          私の魚遍歴ー改稿

          私の魚遍歴ー最終回

          LEDライトに照らされた90センチの水槽内には、種々の水草の間を色とりどりの魚が泳いでいる。 アマゾン原産のネオンテトラとカージナルテトラの約25匹の群れ。 菱形のレッドファントムテトラ9匹は、同じく南米コロンビアの魚。 素早く動くサイアミーズ・フライングフォックスが5匹。これはタイの魚で苔を食べる。 パンダ5匹にステルバイ1匹のコリドラス。これらは低層掃除担当。 スネール(=貝)を食すアベニーパファー3匹はインドの淡水フグで水槽内最小である。 水面近くを泳ぐ楊枝みたいなのは

          私の魚遍歴ー最終回

          私の魚遍歴ー23

          「本当ですか!」、思わず大声を張り上げてしまった。 「先日面会しました。中野区の福祉施設に入ってらっしゃいます」 心臓がバクバクする。 「生きていたんですね。ボケてなかったですか?」 富澤はかつて、「いつ死んでもいいが、ボケる前に死にたい」、とかねがね口にしていた。 「多少認知症は出ているみたいですが、会話することが可能な状態です」 「なんてことだ。信じられない!僕はてっきり亡くなったと思っていました。なんと有り難いことだ。すぐにお会いしたい。そうして手でも握ってやりたい」

          私の魚遍歴ー23

          私の魚遍歴ー22

          これを書いている2月1日のことだった。家人が、「中野区役所から富澤先生のことが何ちゃら留守電が入っているから聞いてみれば」と言うので、なんたる偶然と思ってこれを確かめると、丁寧な女性の声で、「こちら中野区役所生涯福祉課のものですが、富澤進平さんのことで、お知り合いの方かと判断して、大変勝手ながら松永さまにご連絡させていただきました」とある。 すぐに電話すると、「富澤さんのお知り合いですか?」と言う。 「恩師です」 「まあ、恩師ですか」 「そうです。僕を西高に入れたのは富澤です

          私の魚遍歴ー22

          私の魚遍歴ー21

          この後私は進学校の教育を無視して遊びまくって西高を卒業し、2年浪人しても文3に落ち、結果的に慶應大の文学部に進学した。哲学を専攻するつもりで入学したが、教養課程の授業も三田での授業も面白くなく、家庭教師のバイトに精を出していると、ある時偶然に新宿歌舞伎町の路上でスナダに出会った。スナダは現役で早慶に合格し、それを蹴って横浜国大に席を置きながら仮面浪人していたが、3回目も文1に落ちていた。その後ろから現れたのがジーンズブーツ姿がよく似合うキタムラだった。他に並ぶ者がない読書家と

          私の魚遍歴ー21