松永暢史

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松永暢史

松永暢史公式サイトhttps://matsunaganobufumi.edorg.jp/ 音読道場LINE公式アカウント:https://lin.ee/v4Ly9pK

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  • 読んでわかる古文読解講座

    音読道場で大人向けオンライン講座を開設します。 高校生の古文予習にも最適。 リアル参加・ライブ配信・見逃し配信(アーカイブ配信)で参加が可能! 特設ページはこちら▶https://edorg.jp/talklive チケット購入はこちら▶https://teket.jp/g/bmml8i6gmz

  • 音読道場ネットワーク

    松永式の日本語音読を全国全世界に広める普及活動についてまとめていきます。すべての日本語を話す人たちに届けたい。

最近の記事

『種』を配る

筆者の「個人的プロデューサー」を担当する人物から、ドイツ製高性能マイクを手渡され、これからブログに書くような文章を音読してネットで流す手筈が整えられた。 それには予め、発信内容を文章化した方が良いという判断になって、それを実行してみると、これがいただけない。やはり、読むために書くのと、聴くために書くのでは何かが違う。「放送作家」などの経験はないから、これまで勝手に書いて勝手に語ってきたが、それを多くの人にわかりやすく伝わりやすいものにして提供しようとすると、改めて「初心」であ

    • 今子どもたちに与えたいこと

      まあ忙しい。日常ではなくアタマの中だ。 毎日授業もあるが、忙しいのは書いたり考えたりすることだ。 デスクに戻ってもほとんどヒマはない。というより、デスクにしなければならないことがたくさんあり過ぎる。 こうなると、すぐ旅に出ることを思ってしまう。 その場から逃げ出したくなってしまう。 でも本当に自分のやりたいことは何か?と強く問いかけると、そこに、 「子どもたちを元気に成長させることだ」 と答えが変える。 子どもたちを元気にするとは、子どもたちに「チャンス」を与えることである。

      • 中国人子女参加のリベラルアーツ

        13日のリベラルアーツ初級は驚くべき展開になった。 『老子』を読んでいるのだが、そこに中国人ハーフ生徒とその中国人の母親さんが新規に参加した。 非常に知的な方で、『老子』は大学で読んだことがあると言う。娘さんは中高一貫校の1年生。 これで女子も二人になった。女子の意見と反応は非常に大切である。 さらにインド出身の参加者があれば、あるいはイスラム圏の参加者があればもっとと面白い。 みんなで話し合いたい。隣国に戦争を仕掛けるとはどういうことなのかを。 中国語を了解する人を前にして

        • 「遊び?」について

          普段決して出遭うことのないタイプの大人。しかも「先生」。 少し様子確認の会話をすると、尋ねる。 別に何をやるかはだいたい決まっているのだが、 「今日は何して遊ぶ?」 「遊び?」 「そうさ、指も、声も、アタマもみんな賢くなるための遊びだ」 「じゃあサイコロ計算」 「計算じゃなくて遊びだ。サイコロ遊び」 しばし「遊んだ」のち、 「次は?」 「指!」―「キャロム」とは言わない。 キャロムが終わると、次は音読=「声」。 「いつ終わるの?」 「それはキミが遊び疲れておしまいにしたくなっ

        『種』を配る

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        • 読んでわかる古文読解講座
          4本
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          16本

        記事

          「意識」について−2

          「意識」について知るためには「意識」を『意識』しなければならない。 「意識」は、重層的であり多様的である。 「意識」を変化させようとすると、それには外界からの「刺激」が必要であることがわかる。 それは、「志向性」あるいは「好奇心」と呼ばれるものを起こす。 「意識」はそのままでは変化しない。実際に何かをやろうとしなければ変化しない。 好奇心と追体験。 そしてそれに対する「意識」。 生きているとは「意識」があることである。 「意識」がなければ生きていない。 死とは、生きていること

          「意識」について−2

          「意識」について

          我々の持つと思われる「意識」とはいったいとどのつまりどういったものなのであろうか。 「意識」がなければ全て何も存在しない。 日常我々に「意識」があることを垣間見させる様々な「様相」がある。 たとえば、瞑想中においては、あるいはその後に、我々には一つではない様々な「意識」があることに気づかされることだろう。 また、ある偶然とは思えない突然の事象との遭遇。 「意識」はそのとき『意識』=「メタ認知」され、普段の意識が日常生活の浅いところにあったことを逆認識させたりする。 「意識」は

          「意識」について

          この一週間本当に花粉がひどいが、どうやら完全に春になった。 街ではやっと咲いた桜が満開である。 庭でもほぼ全ての花が一斉に咲き、クリスマスローズ、アネモネ、クロッカス、スイセンに続き、ヒヤシンス、ムスカリー、チューリップ、イベリス、フリージアが開花している。一気に大きくなったルピナスもやがて蕾をつけそうだ。室内に入れてあったオランダカイウ(=カラー)は、なんとひと月以上にわたって10本もの花茎を咲かせた。プランターに植えたままのパセリやミツバは各々のその青葉が目に眩しい。アシ

          春のパーティーのお知らせ

          吉祥寺は桜が満開である。 曇り空が多くて花の色が少し冴えないが、今日の井の頭公園はごった返しになることだろう。 さて、御殿山に拠点を移して1年が過ぎました。移転後もこれまで同様に活動して来れたのは皆さんのご理解の賜物です。 そこで、その感謝の意を込めて、今年も春のパーティーを開くことになりました。 日時は、4月14日(日)17時より。 途中私もご挨拶の言葉を述べさせていただき、19時からは生徒教師のセッション演奏もあります。 お時間のある方は是非お誘い合わせの上、ご来場くださ

          春のパーティーのお知らせ

          文章が書けるために必要なことについて

          『日本の教育、ここがヘンタイ』でも紹介したが、最近私の生徒たちには文章をバリバリ書く者が多い。 しかも彼らは、作文や日常エッセイの域を超えて、短編小説、長編小説、SF小説と書くようになっている。 彼らは書かねばならぬから書くのではない。書くことが楽しいから、書くことの楽しさを覚えたからこそ書いている。 言語で自在に自分のイメージや考察を記述する。 それほどアタマに良いことはない。 書けば、「進歩」=「手応え」を実感できる。 自分の「ナマ」の姿が見えてくる。 それは楽器を上達し

          文章が書けるために必要なことについて

          幸せな親子

          午前7時前、三朝木屋の湯殿に降りると、そこには先客がいた。 一人は40代前半と目される髪も眉毛も黒い男性。もう一人は80代後半と思われる髪の毛がなく眉毛も白い男性。 彼らは並んで湯船の中に腰を掛けて半身を湯に浸からせている。 「失礼します」と押し殺したような声で湯に浸かるが、これぞ天国、目を瞑って味わう。 いつもだとここから、ヘンタイカエル泳ぎ体操に移行するのだが、うめき声なんかも出てしまうから、人がいる前では流石にそれはできない。 泉温も高いので、自分も半身を湯上に出した。

          幸せな親子

          少年と少女

          山中公営の温泉施設は、終わる時間が早いので、夕方行くと大抵知り合いと行き合うことになると言う。 「偶然」久しぶりで行き合う人もあると言う。 その通りである。まず一人「顔見知り」が先客だった。毎日ここに来ているそうだ。 一人狭いサウナ室にいると、聴き覚えがある気がする子どもの声がする。サウナから出てみると、前にカタカムナ音読を教えた地元の自然児だった。 さらにそこにもう一人、ずいぶんお会いしたことがない年配の顔見知りが現れたが、この人はよく喋る人で、温泉リラックスモードが壊れる

          少年と少女

          旅の帰路に思うことについて

          旅から戻り三日経つと、すでにその「記憶」は、まるで雨の中の煙突の煙が風で流されていくかのように、「過去」へ飛んで行く。 「非日常」と言うが、こうして普段の日常生活に戻ると、この方が「不自然」に感じるのはなぜか。 毎日雨が降って寒かった。咲かんとしていた桜の蕾も縮こまった。 しかし、そこにあるのは「自然」。車で走っていても、立ち止まって歩いても、眼界を占めるのは自然の景色そのものだった。 山、谷、そして川と湖。 野、河、そして田と畑。 枯山に山桜。 茶畑に鹿。 河原に青草の芽。

          旅の帰路に思うことについて

          裏金問題について

          こんなことあまりここに書きたくないが、どうも気に掛かることがある。 柿沢未途衆議院議員が、公職選挙法違反で逮捕、起訴され、執行猶予付きの有罪判決を受けた。もちろん即座に江東区長同様議員辞職している。その理由は、区議に「選挙資金」を配ったと言うものである。 それと同時に「自民党『裏金』問題」が世上を賑わしている。 「裏金」が何に使われたのかーそれは「選挙資金」に決まっていよう。「使途不明金」の一部にそれがあったことは疑いようがない。 でもなぜかそのことは話に出ない。 公明党どこ

          裏金問題について

          春来移転一年と旅について

          気がつくと、昨年の事務所「移転騒動」から1年が経過している。 また春を迎えて、あの慌ただしい日々のことを思い返す。 突然だったがビル老朽化による立ち退きを求められ、交渉の結果何とか納得できる移転補償を受け、井の頭公園直近の吉祥寺御殿山に新たなる拠点を選択し、木調の落ち着いた室内空間を演出し、引越しして備品を次々に運び込み、そこにこれまでにない教室空間を実現しようと努めた。 本当に忙しかった。教室空間の整備だけではない。慣れぬ書類や契約の手続き、おまけに得意ではない経費管理まで

          春来移転一年と旅について

          「旅」と「ヒマ」について

          前回、ヒマな時に何をすべきか思いつく能力について書いた。 では、そのヒマがちょいとしたものではなく、1日、3日、7日、14日・・・と極大化していった場合どうなるのか。 人は普通、3日間以上の休みがあることを前提にした場合、どこかに出かけようとするのではないか。 事実、GWなどは国内海外へ旅行する人で大賑わいになる。 男と女で異なるかもしれないが、人はヒマになると移動しようとする習性を持つと言えるのかもしれない。 で、旅に出る。 すると、「ヒマ」ではなくなる。でも忙しいわけでは

          「旅」と「ヒマ」について

          ヒマな時に何をするか思いつく能力について

          人間、暇な時、つまり自由時間に何をすべきか。 まずは休息、疲労回復、そして睡眠。 だがそれ以外に何をすべきか。 ストレス解消。 これはもはやほとんどの都市生活者にとって欠かせないことである。 ではどうするか? ここで多くの人は「ヒマ」と言う恐るべき事態に直面する。 ヒマは困る。 「ヒマ」は空腹感同様苦しい。 しかし、「ヒマ」を解決するには、何をすべきか想起しなければならない。 そこでスマートフォン、あるいはテレビやPCのスイッチを入れる。 そこには、ありとあらゆる「情報」があ

          ヒマな時に何をするか思いつく能力について