松永暢史

毎月開催している講演会はこちらから▶https://matsunagadojo.peatix.com/ 公式サイト▶https://matsunaganobufumi.edorg.jp/

松永暢史

毎月開催している講演会はこちらから▶https://matsunagadojo.peatix.com/ 公式サイト▶https://matsunaganobufumi.edorg.jp/

マガジン

  • ぶんかい算まとめ

    • 1本

    2024年7月12日発売の『算数が苦手でもだいじょうぶ! 小学生のための魔法の暗算術「ぶんかい算」の本』(KADOKAWA)の本の使い方や裏話をまとめています。https://amzn.to/3V69CMx

  • 魚遍歴

    松永暢史の子ども時代の回想録。落ち着かない男子をどう育てるべきかが分かる子育てエッセイ。

  • 松永式の子育て・教育方法

    松永暢史がどのように子育て・教育をおこなうべきと考えているのか、理念と実践を語っているブログをまとめています。 子育て・教育相談はこちらから▶https://matsunaganobufumi.edorg.jp/onlinesalon/

  • 音読から会読

    音読から会読(リベラルアーツ)まで松永が実践していることをまとめています。音読がどのように実践されているのかを確認したい方はこちらのマガジンをご覧ください。

最近の記事

いのちの祭りー16

最近、出かけて帰った勢いで書くことが多くなっている。昨日は香取神社に行ってきた。 秋の大神社の波動のおかげか、少しずつ考えがまとまってきた感触がする。 異なったものが共存するのが「コミュニティ」である。 しかし、そこには何か同一の基盤と共通方向性があるはず。 1988年のいのちの祭り、そこにあったものーそれは反原発と、カウンターカルチャーとミュージック、アート・・・。 これらは未来社会への現状脱出と同時に新規創造への動きの一つだった。 だからこそそこに「要素」として「サイケ

    • 近地満月南伊豆の旅

      14日に近地点通過して今朝満月である。 久しぶりで南伊豆を旅した。 これは老母と妹の運転手役を務めるもので、拠点は西伊豆土肥であるが、下田、石廊崎、松崎と周遊した。 下田では、白浜神社を訪れた。 ここでは97年に「夏至祭」を開催したが、海側から神殿裏の「ホール」へ行く道は、「通行不能」になっていた。 何か波動が出ているというより何かが海の向こうからやってくるのを受けるムード。対岸には大島三原山があり、ここは元は珊瑚集積が隆起した特殊なカルシウム地形である。「アワ」と呼んで良い

      • カタカムナ文化を広める会

        呆れてものが言えないとはこのことである。 10日、天野成美先生主催の『宇宙の摂理の秘伝 日本の超古代文明カタカムナ文化を世界にを広める会』に参列した。 それは、ここのところ考えられないほどブッ飛んだオモロイ「会」だった。 小泉進次郎の「誤用」を許せば、本当に「sexy」なものだった。 笑うことを旨とする「冗談作家」にとって、密かにこんなに「笑える」ものは滅多になかった。 そこでは、マジの「ストリッパーたち」が、マジで「ストリップ」を演出した。 失礼失礼。会の帰宅直後、「冗談」

        • いのちの祭りー15ー三峰ちどりや

          この秋文章上のことで困ったことが二つある。 一つは、「いのちの祭り」がどう言う現象であるのかを取材・考察するうちに、そこにレイブ音楽的なものと縄文スピリチュアル的なものが同時にあり、この非常に方向性が異なるように思える二つが、いったいどうして共存することになるのか、それがどう言うことを示唆するのか考えがまとまらなかったことである。 もう一つは、では、その答えがでないまでも、とりあえずその状態を具体的に描出しようとした場合に、これまでの文体で書いてもしっくりこないことである。こ

        マガジン

        • ぶんかい算まとめ
          1本
        • 魚遍歴
          26本
        • 松永式の子育て・教育方法
          22本
        • 音読から会読
          36本

        記事

          秋の食欲

          玄関先のプランターに、今年最後の一個の大ナスが成っている。 その隣によく茂ったバジルの「木」。これはもうすぐ枯れ始めるので、昨日収穫して残ったフリージアの球根を植えた。 さてどうするか。バジルソースを作ろうと思ったが、材料の一つの松の実がない。 夕方授業の帰りに、急におでんも食べたくなって塚田水産でさつま揚げ類、カルディで松の実を仕入れるついでにグリーンカレーも。 今朝、バジルソースを作ると同時に、おでんとタイカレーを作った。冷蔵庫には人からもらったピーマンもタケノコも、鶏肉

          いのちの祭りー14ー三峯神社

          11月1日新月午後3時。三峯神社駐車場に車を停めて外に出ると、すぐに「波動」がやってきているのを感じた。そのままそれに引っ張られるように階段を登り、「その方面」へ急ぎ足で引き寄せられる自分がいる。坂道をハァハァ言いながらも辿り着いた本殿階段を登ると、拝殿せずにそのまま右手裏の波動スポットを探る。 当然のことだがそこには確実に「グゥワァラン」とする波動があった。 それは他のどの神社の波動とも異なるもので、敢えて言えば「分杭峠」などのビーンとくる波動タイプの一例なのであるけれども

          いのちの祭りー14ー三峯神社

          不登校34万ーメディアと文科省の高学歴的突き放しについて

          各紙報道では、2023年度の全国小中不登校者数が34万人を超えた(3、7%/文科省発表)とのこと。 そこに、おそらく文科省の言葉であろうが、「通学に無理しないという価値観の広がりが増加に影響した可能性がある」という文言があった。 「通学に無理しないという価値観の広がり」―これは、「多くの親が子どもを積極的に学校に行かそうとはしなくなった風潮」と言う意味なのか。「通学に無理しない」のではない。「通学できない」のである。どうして「価値観の広がり」などと言うのだろうか。そしてどうし

          不登校34万ーメディアと文科省の高学歴的突き放しについて

          「ヒマ」を大切にする

          「ヒマ」を大切にする。 暇な時に意味がないことをしない。 眠るのもいい。 瞑想するのも良い。 楽器を奏でるのも良い。 詩や文章を書くのも良い。 でも、みだりにネットや暇つぶしの情報吸収的娯楽に充てるのは禁物だ。 その瞬間、人間として生きている意味がなくなってしまう。 我々はしなくてはならないことがないヒマな時間に意味がないことをしてしまう。 もしそうだとしたら、それはある意味「サル」より劣る。もしそれを繰り返しているなら、いかなる「社会批判」も無意味化する。 知恵が発達しない

          「ヒマ」を大切にする

          衆院選結果ー国政選挙で教育の問題が無視されることについて

          衆院選が終わり、報道では自民・公明の与党大敗とあるが、自民が第一党であることには変わりがない。 自民と公明の票を合わせると、215議席あまり。無所属で立候補した自民党議員も合流するから、維新か国民民主のどちらが合流すれば過半数を取れることになる。 対する立民は148議席とのことなので、維新と国民が両方とも合流しても過半数には届かない。 ゆえに新政権も、石破さんが首班を務めるかどうかは別として、自民を柱にするものになる可能性が高い。 与野党伯仲により国会運営は困難になるだろうが

          衆院選結果ー国政選挙で教育の問題が無視されることについて

          スマホ脳の「逆」について

          24日朝、「指導者用リベラルアーツ」の収録のために吉祥寺から総武線千葉行きに乗った。 目的地は浅草橋。早く行こうとすれば、並行して走る中央線快速でお茶の水まで行って、そこで対面総武線に乗り換えるという手もあるが、座って「瞑想」したいので三鷹発千葉行き先頭車に乗る。 午前9時。しかしすでに立つ人もほどほどいる「満席」で、進行方向左側のドア脇に立った。 しばらくして社内観察して気づいたが、午前9時。立っている人も座っている人も含めてスマホをしていないのは自分だけであると認識された

          スマホ脳の「逆」について

          「リベラルアーツ」ー「金谷訳」→「宮崎著」について

          リベラルアーツ初級(第1第3土曜会講)は、金谷治訳(岩波文庫)を通読してきたが、次回(11月2日)より、宮崎市定著『現代語訳 論語』(岩波現代文庫)をテキストとすることにした。 私が使っていたのは、金谷訳1963年刊であるが、生徒たちが持って来るのは、1999年版であり、そこには著しい「修正」の跡が見られる。 会読時に、金谷訳を読むと判然としないことが多いので、宮崎著を参照して了解することがよく起こる。 宮崎師は1995年に、金谷師は2006年に他界されているが、どうも宮崎師

          「リベラルアーツ」ー「金谷訳」→「宮崎著」について

          芳賀師との再遭遇

          人の人生、究極飽きないものは、文学と芸術、そして旅と興味深い人たちに遭うことである。 と、結論していた私がカタカムナを知ったのは、あたかも偶然の如く、「必然」のことだったのかもしれない。 哲学ではなく文学的活動の「肥やし」を目的に、最初に日本に興味を持った来日外国人の取材から初めて→ミュージシャン→作曲家、→デザイナー→芸術家→建築家、スピリチュアリスト→縄文研究者と、文学的記述目的の人間探索活動を連続してきた私の前に現れたのが「カタカムナ」であった。 「カタカムナ」系の人々

          芳賀師との再遭遇

          文語音を消滅させる教育政策の効果について

          騙すことが「洗脳」であるなら、気づかさぬこともまた「洗脳」である。 カタカムナを音読して、その上で日本語古典を古代から順を追って読んでいくと、日本語古典は読んでそのまま了解されるようになる。そして、そこに日本語の伝わり方の美しさを感受して、「快感」を得る。 この「素養」を基に現代文を読むと、それまでよりずっと文意がとりやすくなることがわかる。人の言葉を聞くことも、自分の言葉を発することも楽になる。容易くなる。さらには文章を書く時スラスラ言葉が湧いて出てくるようにもなる。 なぜ

          文語音を消滅させる教育政策の効果について

          雨の中の旅

          「いのちの祭り」についての記述を試みるうち、結局続けて書けなくなった。それは、それまでのアタマの働きを用いた書き方ではなせないことであることが了解されたからである。ではそれが、日々次々に現れる興味深いことを押し留めて悶々とさせるかと言うとそうでもない。過ぎたことは次々に「過去」に飛んで行ってしまう。 私には新しい文体、新しい表現方法が必要である。 それは伝えるためであると言うよりも、何かを的確に記述するためのものである。 66歳、こんな歳になっても新たにその「限界」を知り、そ

          雨の中の旅

          再来週オンラインイベントを開催します。詳しくは以下 ▼算数ができる子になる家庭教育環境設定と好奇心の育て方(数Ⅲまで学ぶと良い理由について) https://ondoku20241015.peatix.com/view

          再来週オンラインイベントを開催します。詳しくは以下 ▼算数ができる子になる家庭教育環境設定と好奇心の育て方(数Ⅲまで学ぶと良い理由について) https://ondoku20241015.peatix.com/view

          入試国語学習の王道

          秋を迎えて生徒たちが予想以上によくできるようになっていることに驚かされる。 夏休みから授業を週2回にして続けてきた小6生徒の意外な伸びの大きさに驚く。 この生徒は、受験予定のいくつかの学校問題を解いた上でやってくるのであるが、選択肢問題の正答率が高過ぎる。ほとんど間違えない。 以前に生徒を信用して、選択肢は問題集の答えを見て書いてくるのを、疑うのも悪いので気づかないことにしていると、そういった生徒が受験に失敗した苦い経験があるので、やったことがない問題を目の前で解かせると、そ

          入試国語学習の王道