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"超"長距離通学はあんまりおすすめできないという話。

石田橅と申します。私は自他ともに認める「長距離通学者」、それも他を圧倒する超長距離の通学に勤しんでいる大学4年生です。タイトルにある言葉は、この超長距離通学を成し遂げるべく大学在学中(1年は完全オンラインのため実質計3年)に闘いを繰り広げてきた(?)結果の嘆きみたいなものです。これから進学や就職に伴い、自宅から離れた地へ通い始める人がいらっしゃるかと思います。そんな方々の通勤通学環境の選択肢を決める際の参考になればと、また私の悪戦苦闘の日々の記録を残す意味でこの記事を作成しました。

私の超長距離通学

いろいろ持論を述べる前に、まず私の通学の実態を公開します(寄り道や遅延は考慮していません)。ここでは2限(午前11時講義開始)に間に合わなければいけないという体の時系列です。
【ルート詳細・・・静岡県東部→神奈川県相模原市,乗り換え3回(2回)】

①7:40、自宅を出る。
JR東海の在来線はラッシュ時でも電車の本数が少ないので、1本乗り遅れると後々痛い目に遭います…

②8時過ぎの電車に乗る。
本数少ない上に人がまぁまぁいるので、座れる時の方が稀。各駅停車でも駅間5分とかがザラな辺りなので、座り逃すとキツイです。

③8:20、熱海(最初の乗換駅)に到着。
ただでさえ通勤通学層がいる中、観光地なので大きな荷物を持った人も割といるのが厄介…
因みに海沿いを走るので景色は抜群です。

根府川駅辺り。あまり朝早いと日差しが目を焼きにかかる。

④8:40頃、小田原(次の乗換駅)到着。
ここからは小田急に乗り換えます。JRとホームがかなり離れているので、健脚な成人でも最低3分は掛かります。勿論JRと小田急が相互に乗り換えを考慮してる事は(余程のことがない限り)無いので、乗り遅れたら諦めて次の列車を待つしかありません…

JRホームから望む小田急。階段はホーム中程にしか無いので、スムーズな乗り換えを行うため常に乗る号車は編成の中ほどで固定。
天井のガラスが欧米のターミナルみたいで好きなんですよね〜。
途中にこのような癒しスポット的存在がある事は、長距離通学を維持するモチベーションに関わってきます。

⑤8:50、丸々1時間乗車し小田原→町田へ。
止まる駅が距離の割に多いので1時間掛かります。毎回おしりが痛い。

景色はいい。景色は。けど小田急は特急列車以外椅子が硬い…いや特急でも硬い時あるな。座布団の持参を何度も考えた事があります。

長時間同じ列車に乗るって実は結構耐久レースなんですよね。夏はガンガンに冷房が掛かっていて寒いし、ずっと同じ席に座ってる必要があります。辛くなって立ってしまったら今度は混雑に耐えなければなりません。もう四面楚歌。夏は調整できる薄い上着など持ち込んだ方が得策かもしれません。ちなみに冬の暖房を苦痛に感じたことは一切ありません。

⑥9:50、町田(3つめの乗換駅)に到着。
ここからJR横浜線に乗り換えます。こちらも小田急とホームがずいぶん遠いのと、ラッシュのオンオフ問わず人が多いのでスムーズに進めない事がザラです。アプリで示された接続列車に乗れないなんてこともしばしば…。
時間のある時は駅そばに寄ります。

小田急ブランドの駅そば「箱根そば」。本当に美味しいので機会があれば是非。夏は冷やしたぬきそば。冬は温かいかき揚げそばがイチオシ。

⑦10:20 キャンパス到着。

以上です。実に片道2時間40分!!
往復でおよそ5時間20分!!
これが私の超長距離通学です(`・ω・)

どう捉えようと過酷なのは変わらない

一日の中での5時間20分というのは、一日で起きてる時間を18時間と仮定すると約30%。一日のおよそ3分の1を移動に費やしている計算になります。バックパッカーかなにかって感じですね。そもそも長く滞在することを前提としてない空間に2時間も缶詰という時点で苦痛なモノです。
またこれだけ時間をかけて向かった先での用事が2~3時間で終わってしまうこともザラにあります。片道の移動時間の方がメインの用事より時間を要するというスケジュール自体、正直実に非効率です。私はこれでなんども挫けそうになりました。

よく「電車内で読書したり単語の勉強したりと有意義に過ごすのが良い!」と謳ってる電車通勤通学のアフェリエイトを見かけますが、人間に毎回それを実行出来るほどの精神力なんて基本ありません。そもそも長距離移動自体、身体に大きな負担を強いる行為です。頭の中でやろうと思っていることは、大抵疲労と疲弊でやらずじまいになるのがオチです。電車で勉強なんて無理。

具体的なデメリット

超長距離通学のデメリットを具体的に記していきます。3年耐えた当事者だからこそ得られた知見を並べるので、ここでの苦労はほぼ避けて通れないものと思っていただいて大丈夫です。

疲労
既に記しましたが、めちゃくちゃ疲れます。心も体も。
通勤電車如き、1~2時間も連続で乗るようなものじゃありません。JR東日本や西日本の新快速だと追加料金を支払うことで利用できる優等席が備えられていますが、毎回それに課金して乗るのは単純に金銭の負担が重いです。JR東にはグリーン定期なる貴族専用定期券があるらしい。見たこと無いけど。
座ってれば尻と腰が痛み、混んでくれば周囲のお客さんと下手に接触しないよう配慮する必要があるため、じわじわと負担が身体を蝕みます。もはや体力&精神の修行です。
車内での闘いでは終わりません。仮に最初に乗る電車が3分遅延したとしたら、次の電車は5分遅れて乗車、その次の電車は10分遅れて乗車…というように指数関数的に遅れが増幅します。その時の焦りや不安は、空かないトイレを待っている時程度(個人差有り)にストレスをため込むことに繋がります。常に乗る予定の移動手段のことも考えながら動く必要があるというのは、結構負担です。
重要なのは帰宅後。帰宅した瞬間が実質その日の終わりです。疲労でなんにもできません。アルコールの缶1本でも開けてしまえば、目が覚めた時には新しい朝を迎えているんです。あまりの疲労で全く動けなくなってしまいます。

時間がもったいない
2時間半あったら何が出来ますかね。冷静に考えてみてください。
家族で「昼は外へ食べに行こう!」と決め、ランチを堪能し、少しショッピングに行っても2時間半で足りることはあるでしょう。オーソドックスな映画なら一作品見終わります。そんなザ充実ライフを送れるかもしれない時間を、人込みで身を縮こませながら過ごすなんて苦痛ですよ…。
もっと心苦しいのは、先方と過ごす時間が他人と比べて限られることです。用事終わりの食事や飲み会などは基本参加見送りか早退を強いられます。他者と関わる時間を自ら削る必要が生じるため、人間関係の面でも少々負担が生じる可能性があります。

消極癖
「なにそれ」な話ですが、要は
・移動に時間がかかるし疲れる
→無駄な行動や時間を無くそうとする
→負担を少なく済ませようと"無"の境地で移動する
→行動を極限まで削ることを念頭に置いた生活を送る
→超消極生活の定着という段取りを自ずと踏んでしまうということに繋がります。人間できるだけ楽をしたいものです。長距離通学も、いつもと同じ時間で同じルートで同じ号車で…となにもかもを「最低限」に調えようとします。それは巡り巡って「日々の行動を最低限の負担と欲望で抑える」という境地に達します。コンビニに行くことも諦め、食事も「時間が無い」と削り、「どうせ明日も着る・使うし。」と身の回りの整理を怠り、早く長距離移動の責務から解放されたいと早々に帰宅することを出発前から望むようになるなど…そのほかにも言語化しずらい様々な消極癖が身体を支配するようになるのです。
正直、超距離通学を続けた人だけに共感してもらえる感覚かと思います。それでも実生活への負の影響という観点で、念頭に置いておくべき注意事項になります。

④出不精化
「外に出る」ことが猛烈な負担になるという感覚が定着するため、不必要な外出を出来るだけ抑えようとする心理も働きます。消極癖の一種かもしれません。実際、新型コロナが流行してテレワークやリモート授業が積極的に導入された時期には「通勤・通学時間がごっそり無くなって楽になった」という声がSNS上で散見されました。

以上の項目が、私が考え突く限りのデメリットになります。勿論、長距離通学者の中には別の考え方や方法を実践し、毎日を充実させている方もいるかと思いますが、基本的には「体力」「時間」「やる気」をじわじわと削がれることに繋がります。

メリットはないの?

無いですね。しいて言えば経済的な負担を多少減らせる程度ですが、2時間かそれ以上となると、どの鉄道会社を利用しようとひと月の定期代は安くて2~3万、新幹線や特殊な区間を通る鉄道なら5万以上は飛びます。それなら職場または学校近くの安いワンルームを借りる方が、よっぽど健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるでしょう。
実家暮らしを続けたいから長距離通勤・通学を検討しているという方もいるかと思います。しかし私としては実家という環境は、2時間40分移動した先にある無料の食事つき宿泊所みたいな感覚になります。多少は一人暮らしより負担の少ない生活を送れる一方、常に「実家まで向かわねば」という焦燥感にも見舞われます。要は心理的負担の問題です。
現実的な話、仕送りが可能な家庭環境であるのなら、2時間以上かけて通学するより一人暮らしした方が身のためです。

まとめ

長距離通勤・通学をどうしても続ける・始める必要があるという方は、道中に楽しみを見出すことが必要です。これによってモチベーションを維持することが可能となるからです。私は途中駅の駅そばを嗜むこと、電車から見える雄大な景色を拝むことが継続の源になっています。辛いことであることには変わりありませんが、続けるための工夫と言うものを模索することが、継続的な長距離移動を実現させるためのキーポイントとなるでしょう。

半分愚痴のような駄文をだらだらと書き連ねてしまい、お見苦しい点があったかと思われますが、まだまだ文章力が稚拙な青二才のため、どうか温かい目で見守って頂けると幸いです。閲覧ありがとうございました!

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