椎名林檎「鶏と蛇と豚」MV考

普段アイマス楽曲と多少のアニソンを聞くぐらいで、椎名林檎の名は知れど曲に反応したことはなかったタイプの人間が、彼女の新曲「鶏と蛇と豚」にティンときた!という話です

先に『三毒史』というアルバムタイトルが公開された時点で、仏門の身として気にはなっていたのですが、MVを見てみたところ延々とリピートすることになったので、気づいたことなどをメモ程度に

ちなみに椎名林檎×アイマスというと、「女の子は誰でも」をデレマスの一ノ瀬志希が、提供楽曲ですが「カプチーノ」を765の水瀬伊織がカバーしております
よろしければ聴いてみてください

※本記事はブロマガに2019/5/31付で投稿したもののリライトです

『三毒史』

まずは準備編

「三毒」は3つの根本的な煩悩を指す仏教用語
漢訳に従うなら貪欲(とんよく、「貪染(とんぜん)」とも)・瞋恚(しんい、連声すると〈しんに〉)・愚痴(ぐち)の3つで、しばしば「貪瞋痴(とんじんち)」とセットで呼び習わされる

「貪欲」は愛し欲する気持ち、「瞋恚」は憎み厭う気持ち、「愚痴」はこの2つの間で自分が振り回されていることに気づいていない状態

「愚痴」はまた、煩悩界のラスボス「無明」を別方面から言い表したものでもある
「無明」は我々にとっての闇であり、「知りようがない」「自覚しようがない」という、どうしようもなさみたいなものを指す
現代風に言えば「無意識」「無自覚」あたりが近いだろうか

アルバムジャケットにはインドの文字デーヴァナーガリーで triviṣa-itihāsa(トリヴィシャ‐イティハーサ)と書いてある

インドの古典語サンスクリットでは「トリ」が「3つの」、「ヴィシャ」が「毒」、「イティハーサ」が「歴史」を意味するので、「三毒の歴史」となる
これは林檎さん陣営の造語

余談だが「イティハーサ」というマンガがある

「鶏と蛇と豚」

準備編その2

「三毒」のメタファーとして充てられたのが「」「」「」である
それぞれ「貪欲=鶏」「瞋恚=蛇」「愚痴=豚」に該当する
三獣に色を配する場合は「鶏=暖色」「蛇=寒色」「豚=黒」
この配色は概ねMVにも反映されているように見える

仏教の教義、とりわけ「輪廻」を図で表すという営為の中で定着したものなので、いわゆる「お経」にこの喩えが古くからあるわけではない
その図は一般的にBhava-cakra(バヴァ‐チャクラ)と呼ばれるもので、文字通りには「生の円環」ぐらいの意味だが、いっそのこと「円環の理」としてもよいか

インドの原典と漢訳から判断するに、元々「鶏」は特に「キジバト」か「コキジバト」を指し、「豚」は特に「猪」を指していたようである
Bhava-cakraの画像を見て「鶏」や「豚」に見えない場合は、そういう事情がある
「鶏」は特にブレブレなので、「鳥」という理解でも当座は大丈夫だろう

我々の感覚でいうと「鶏」と「豚」は逆の方がしっくりくる気もするが、「キジバト」はつがいで見られるので愛着が強いように見え(「おしどり夫婦」がわかりやすいか)、「猪」は泥の中でもお構いなしに寝て何でも食べるのでおバカに見える、というのが理由のようである


ここから本編 凡そMVの時系列順

東京タワー

権力と欲望の象徴としてか
タワーを横切って3つの煙が降ってくる

暗転

ろうそくが消えて、「目」の光も消えて、町の光も消えていく
闇の中、つまり見えないところで気づかぬうちに「三毒」が活動を始める、ということか

「目」

林檎さんの目のアップから「新宿の目」に

作者である宮下芳子さんの言によると

時の流れ、思想の動き、現代のあらゆるものを見つめる“目”二十一世紀に伝える歴史の“目”…もしかすると 遠く宇宙を見つめる“目”かも知れない。このような多次元の“目”こそ新都心のかなめ「スバルビル」には最適、と思った。

とのことなので、「三毒史」の「観測者」としての林檎さんを表現したものか
アルバム特設サイトにアカシックレコーズだとか書いてあるのも同じ話

般若心経

僧侶役のストロングマシン1号さんは真言宗の人なのだが、流れる般若心経は禅宗(曹洞宗)のものである

なぜかといえば、真言宗なら「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」と経題に必ず「仏説」を付けるはずで、経題の節回しと鳴らし物が曹洞宗のそれだからである
だから何だと言われれば、玄人以外は気にならないので気にしないでください

林檎さんはお経を真言として用いているようなので、陀羅尼系を使ってもおもしろかったかもしれないとは思う

ちなみに調べていたら元の音源まで辿り着いた

「豚」降臨

「この世すべての悪」みたいな黒い液体が風船の如く膨らんでいく
鎖がひもの代わり
「豚」Ayaさんがまず足だけ登場
風船をもった子供ピエロがモチーフだろうか

ここだけでなく「豚」Ayaさんの足のカットは随所に映るので、何か意味はあるはず
恐らく「陸」「海」「空」に「豚」「蛇」「鶏」を配していて、地に足がついていることに意味があるんだろう

0:39辺りに出る紋章はよく見ると、三獣を万華鏡みたいに配して六角形にしたもの
birdmanのマントや町の看板などいろいろな場面で映っている

僧侶

基本的にYouTubeコメントにあった

人間の生を追求した答えの神道仏教から現代は離れつつあって、でも人間の本質的な三毒は変わりなくあるのに誰も気にも止めなくなって膨れ上がった毒を前に経が効かない、という演出で現代の人間の様を表現したのかなと解釈
 ――― angélique

に同意で、僧侶が「三毒」を祓おうとしているように見える
ただ地面に描かれた錬成陣みたいなのを見ると、自分を犠牲にして召喚しているようにも見えるので、どちらにしても皮肉が効いている
あえてインチキくさい風貌にしてるので後者もあるかなと思う

僧侶が結んでいる印やお札については自信がないので、識者の意見を待ちます

絵図

0:45辺りからBhava-cakraの中心部を切り取ったような絵が本のページとして映る
この本を読んでいるのは誰なのか

副題

「鶏と蛇と豚」のタイトルが出て ”GATE OF LIVING" という副題が明かされる
エピローグが「あの世の門」なので、「この世の門」ということだろう

「鶏」と「麒麟像」

0:58辺りに1カットだけ映る日本橋の「麒麟像」

一見して「蛇」と「豚」はわかりやすく出てくるのに、「鶏」はAyaさんとbirdmanしか映らないのが不思議だったのだが、リピートしているうちに気づいた
このあたりのカットのつながりからして「鶏」は「麒麟像」で表されているわけだ
日本橋の「麒麟像」の特徴は本来ないはずの翼があること
「蛇」と「豚」は直球なのになぜ「鶏」は変化球なのか

時計

ぐるぐる回る大時計とそれを見る林檎さんのカット
林檎さんが歴史の観測者であるとするなら、早回しの時計は人類の繰り返される歴史を表したものか

歌詞と「三毒」

日本語訳を見ればわかるが、この歌詞は順に「貪欲」「瞋恚」「愚痴」を表現している
「更に貪り続けた」から「貪欲」が「瞋恚」に転換し、サビ辺りで「愚痴」にシフトしていく

普通に考えると歌詞の出だしは「鶏」で始まるはずだが、代わりに「豚」が映る
歌詞と映像をどの程度リンクしていると考えるかによるが、このMVでは「豚」に「貪欲」もある程度代表させようとしているのかもしれない
「豚」Ayaさんは赤とピンクの配色で、明王の如く炎が背に立ち昇っているデザインである
無表情ではあるが、前提なしに見たら「貪欲」の象徴にも見えるのではなかろうか

そして「蛇」に転換する前に挿入される林檎さんカット

「蛇」

歌詞の転換に合わせて「蛇」戦車に乗って「蛇」Ayaさん登場
先に青ランタンを持って「海」から現れるカットが映されていたように、「蛇」は水の中から出てきていた
地を這うからキャタピラなのだとも思う

「蛇」Ayaさんのモチーフは見当つかないが、「蛇」戦車がねぶた祭りの山車みたいな点を合わせると、『児雷也豪傑譚』の大蛇丸だろうか
正確には大蛇丸は青柳池の大蛇から産まれたという話らしいので、大蛇丸の母親である大蛇
青柳池の蛇の話は新潟にいくつか伝承があって、だいたい美女に化けて出てくるようです

「鶏」

歌詞は「瞋恚」の途中だが「鶏」Ayaさん登場
マーチングバンドを引き連れてお祭り騒ぎ
素直に見ればひょっとこモチーフか

「空」担当なので、羽を散らしながら振り上げた「手」、つまり「翼」のアップが先のカットで出ていて、基本的に膝から下は映らない

ただ「鶏」がわかりやすく映らないこともあって、いろいろ違和感が残る

解き放たれる「豚」

曲が終わると「豚」Ayaさんが鎖から手を放し、膨らみきった「豚」が解き放たれる、と同時に町に光が灯り始める

気づかぬうちに膨れ上がった煩悩が表に出てくる、ということか

鏧子

クレジットも出尽くした3:50辺りに「ゴーン カツ」という音が入る
これは「鏧子(けいす)」という仏具の音で、基本的に大小のセットで置いてあるもの
正確には鳴ったのは「大鏧」の音で、本来は「ゴーン ゴーン ゴーン カツ」と3回鳴らして押し止めると、これからお経が始まりますよーという合図になり、経題を読上げてお経を唱え始める形になる

「鶏と蛇と豚」はアルバムのプロローグなので、これから曲が始まりますよーという意味で使っているのだろう

と思ってアルバムを聴いてみたら、「鶏と蛇と豚」はもう少し短く、鏧子の音も入っていなかった

Aya Sato

多分に漏れず、初見では3人が同一人物と気づきませんでした

余談だが、デレマスに例えると「豚」Ayaさんはキュート、「蛇」Ayaさんはクール、「鶏」Ayaさんはパッションと、きれいに分かれて見える
自分は生粋のクールPなので「蛇」Ayaさん派です

椎名林檎

結局、林檎さんの格好は何なのかという話
まずケンタウロスに見えるし、翼があるからペガサスにも見える
仏教つながりでいくと、乾闥婆・緊那羅・迦陵頻伽あたりも視野に入る

ただこのMVで考えると、林檎さんは「翼の生えた麒麟」なのだと思う
日本橋の「麒麟像」はこのために映されたとしか思えない
「麒麟像」は「鶏」として映されていたのだから、椎名林檎=「鶏」説が出てくる

高いところから俯瞰しているという意味合いもあるかもしれないが、「鶏=貪欲」は見方を変えればエンターテインメントの原動力なわけで、林檎さんが歌手である以上、深く関わることになる

「鶏」Ayaさんが「ひょっとこ」モチーフなのも仮面の意味合いがあるからだろうか
芥川の「ひょっとこ」まで読んだけれどもつながるかどうか

そういうわけで、林檎さんは「鶏」でもあったのだ!とするのが一番しっくりきている

「三毒」分身説

椎名林檎=「鶏」説を出しておきながらだが、結局Ayaさんの演じた3人はみんな林檎さんの内面の分身ではないか?説も考えられる

元々が煩悩のメタファーであるし、「三毒」は一人の人間の中に納まっているものである
「三毒」の本を読んでいたのが林檎さんなら精神世界の話と考えることもできるし、最後に3人が跪くのは林檎さんが主人だからである

というようなことを考えながら、MVを見て楽しんでおります


以上、読了多謝

いろいろと漏れや的外れもあると思いますが、好き勝手考えただけなのでお許しください

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