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回転する恍惚と忘我の果てのヌード撮影

溶けるような、という形容詞がぴったりのひどく暑い日だった。
クーラー漬けになっている体は、外に出るやいなや汗が沸く。
電車を乗り継いで新宿まで向かうと、ネット予約していた美容室に向かった。
8月上旬。手術を1週間後に控えたこの日、ついに私はヌード撮影を行う。

まずは撮影してくれる所を探すのが大変だった。
知人のカメラマンは皆男性で(もちろんプロとして信頼はあるけど)裸になるのは気が引ける。
メディア系・芸術系の友人達にツテを尋ねれど、有力な情報は得られず。
(AV撮ってる人なら知ってる、というのはあったけど丁重にお断りした)

ここは文明の利器でもってGoogle先生に頼るしかない。
「ヌード撮影 都内 プロ」などのワードでいくつかの候補を確認し、写真イメージやプランを見比べた結果、studioIVYさんにお願いする事に。
当初目指していたサンタフェだが、野外撮影は公然猥褻罪のおそれがあるため断念した。

これまでモデルで被写体になったことは何度かあれど、さすがにヌードは初である。
どんなポーズをすべきか? いかにすればアーティスティックで魅力的に映るのか?
インスタを開くも、1千万件超ある#nude の投稿は「ガイドラインに抵触している」ため規制されていた。
結局「ヌード アート」などのワードでGoogle先生に頼りつつ、参考文献に目を通したりした。

そして当日。
ヘアセットは好みのスタイリングを見つけて駅近の店に予約したのだが、到着したときは溶けてなくなりそうなほど汗だくだった。

それにしても混んでいる。20畳弱の店内は、待機席にも座りきれず立って待つ女性でいっぱいだ。
ヘアセット中の女子たちは、編み込みの子もいれば、リボンを組み入れた三つ編みの子、ドライフラワーを付けている子もいた。
皆やけに気合いが入っている。中には浴衣姿もちらほら。
なに?結婚式?大安吉日?ライブ参戦?それとも昨今の女子はデートでここまでするの?
も、もしや…私と同じくヌード撮影を!?
…なワケ無いか。
女子たちの会話に耳を傾けてみると、なるほど今夜は神宮の花火大会らしい。

激混みの店内で時間を気にしながらも30分超待ち続けていると、「申し訳ないんですが」と店員が言った。
「混んできたので、近くの系列店にご案内します」
系列店まで徒歩2〜3分。炎天下を避けるためワザワザ駅近を予約したのに…。
腹立たしい気持ちを抑えつつ「系列店」に行くと、そこは半分が着付け会場、もう半分がヘアセット会場になっていた。ヘアセット会場は長机にパイプ椅子という明らかに急ごしらえの様相。直接この場にやってくる客もいるようで、10人は超える女性が待機列をなしている。
案内した店員はなぜかこの最終尾に我々を配置した。予約したのは14:00なのに、「こちらもずっと待っているんで」と14:30の予約客の後ろに並ぶ不条理。最悪。つーかこれだけ待たせるなら最初に言えや、予約数コントロールしろや、心の中で悪態をつくが、ここで帰る訳にもいかない。

「所要時間50分」と予約案内に書いていた、そこまでは許容しよう。
だが1分でも超えたらホットペッパーにもグーグルマップにも苦情書いてやる、絶対にだ。
そんな怒りを抱えて気づいたら14:45。時限まで残り5分という所で、順番が来た。
事前に撮っておいたスクショで「こんな感じのハーフアップにしたい」旨を伝えると、美容師は「暑いんで少し上げつつ、でもその要素も残した感じでどうでしょう」と提案してくれた。さすがプロ。会話しながらも猛烈な早さで髪を巻いていく。
「今日はどこか行かれるんですか?」
定番の問いかけに「えぇちょっと…撮影があって…(裸の)」と濁して答えると、そうですか〜と軽い返事が空に散った。

セットを終えて時計を見ると、14:50ジャスト。私の長髪はものの5分で片付いてしまった。マジかよ……やるじゃん。


タクシーでスタジオまで向かう。店舗兼住居、といった感じの古びたマンションの一室が目的地だった。

きれいな裸体を撮るために、跡がつかない下着 or ノーブラ・ノーパンでくるよう事前指示があったので、私はユニクロのブラトップ&シームレスパンツを仕込んでいた。

ドアが開き、女性が二人「こんにちは〜」と笑顔で迎えてくれた。その表情の明るさに気持ちがほぐれる。
カメラマンとコーディネーター、スタジオには二人だけ。部屋はワンルームタイプで思っていたよりコンパクトだ。

まずはアンケートに回答する。名前、生年月日等に加えて、今回の撮影について意向把握するための設問が選択式で並ぶ。
「ヌードの範囲:着衣、半裸、全裸」
撮影イメージ:クール、かわいい、アート、ナチュラル、ハッピー…カラー、モノクロ…」そんな選択肢だった。
私は「アート、ナチュラル、ハッピー」あたりを選択しながら、全く自身の希望するイメージが固まっていない事に気づいた。

アンケートを元に対話して撮影イメージを固める。
手術するので胸は写したい事、具体的な撮影イメージがない事を伝えたところ、バリエーション多く撮ることに。
また当初はパンティ一丁をイメージしていたけれど、相談の結果、全裸メイン+下着姿で撮るのがいいとの結論に。
そしてお気に入りのアート作品と撮影したいと思っていたので、持ってきた私物を披露する。

(左から、小川剛さんの作品、メキシコで買った鏡、数ヶ月だけ習っていたベリーダンスの腰巻き)

鏡と腰巻きは前日に思いつきで用意したのだが、カメラマン達は全てナイスセンスと絶賛し、どう使えばより魅力的か考えてくれた。

撮影の準備のため全裸にガウンで待機

カメラマンがポーズを指定し、コーディネーターが実演指導しつつ私の髪の乱れを直し、映えるよう整えてくれる。

いざ全裸でポーズを決めるや「あぁっ…綺麗!」「すごく素敵!」などのかけ声が飛ぶ。
またまた…などと苦笑しつつも、褒められて悪い気はしない。
いや逆に、気持ちいい……
そう、そこにあるのは快感である。

1ポーズで何ショットか撮り終えるとすぐに画像を見せてくれるのだが、カメラに映った私の裸は、何と言うか、我ながら芸術的で神々しさすらあった。

「胸を張って、右肩少し下げて、お尻をくいっと突き出して、顔は左を向いて、目線は壁の向こう!」
ポージングには筋力が必要だ。体幹がフニャフニャの私は、震えながら姿勢をキープして微笑みを浮かべる。

持ち込んだ小川剛さんの作品を抱え、
メキシコの鏡で股間を隠して天を仰ぎ、
腰巻き布を身に纏い、
私は1ショットごとにヌードの魅力にハマっていった。

「スタイルが良いわ」「フォトショ要らず!」「あぁ美しい」などとため息混じりに言われる。
もはや私は作品として讃美されており、また彼ら自身そう口にすることで昂るようだった。
それは旋回舞踏を続け恍惚の忘我のなかで神と一体になろうとした神秘主義者のようでもある。遠き異国に思いを馳せつつ、踊らにゃ損損の魂で私も回転を続ける。

最終ショット、憂い顔で白のヴェールを手にポーズ。
「あぁっ…ルーブル美術館!!」
それを聞いた瞬間、私の体は歓喜に震えた。

己の全てをさらけ出す開放感、それを肯定される快感、新たなる自分と出会う高揚感、全てが新鮮で最高に気持ちいい。


90分のプランで、撮影約60分・その場でデータ修正約30分。(股間にあてたメキシコの鏡は塗りつぶされていた。カメラマンが映りこんでいたらしい)
データをDVDで受け取って終わり。
(確認するとなんと80枚超のショットが収められていた!)

なぜ私はいままでヌードを撮ってこなかったのか。
こんなにも写真文化が発達しているのに、なぜ我々にはヌードを撮る文化がなかったのか。
「グラビア美女だけでなく、人はヌードを撮るべきである」という考えが頭にバーーーンと浮かぶ。
本当に全人類にお勧めしたい。ヌード撮影。

自分自身の「今」を丸裸で切り取り、永遠に残すという行為のすばらしさ。
そしてそれを愛でながらも、過去になっていくその一瞬に拘泥することなく更新していきたい。

「またいつか、新しい私の姿でヌードを撮りたい」

夕暮れの帰り道、コンクリートに残る熱気に包まれながら私は未来への希望を抱いていた。


・・・

術後、ちょうど開催されていた小川剛さんの展示会に伺った。
在廊されていたご本人とお話しして昂った私は「作品と共にヌード撮影した」旨と、当該の全裸写真をご本人に見せつける暴挙に出てしまった。
小川さんは到って冷静かつ寛大に受け入れてくださり(本心ではドン引きだったかもしれないけど…)、やや冷静になった今、誠に恐縮&めちゃくちゃ感謝しきりの日々である。

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