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「堕落」 が生み出す 「虚像の幻想」

○ 「堕落」 が実に居心地が良いのかは前回の 「堕落」 から見たもうひとつの世界
https://note.com/vlettecore/n/naca19e1cbe4c

で書いていたと思う。

今回はこの 「堕落」 がどれだけ、私達のような 「敗者」 を歓迎するのか。について述べていこうと思う。

目次
1 「堕落」 は 「敗者しか入れない」 世界
2 「堕落」 は 「負」 を喜ぶ世界
3 「堕落」 に落ちた者が見る 「景色」
4 「堕落」 と言う 「無の平行世界」
5 「堕落」 が 「幸を授かった者」 に与え る「蜜」 とは。
6 「堕落」 に落ちた者が辿り着く場所
7 「堕落」 が見せる 「虚像の幻想」


1 「堕落」 は 「敗者しか入れない」 世界


○ 先駆けでも述べたとおり、「堕落」 が唯一歓迎しているのは、私達のような 「敗者」 だけだ。

この世界は 「敗者しか歓迎」 しないのだ。
通常の人間が 「堕落」 へ入ろうとすると、この世界はそれを拒絶するだろう。
理由としては、この 「堕落」 の世界は 「優しさ」 を求めた者しか 「入れない世界」 であり、且つ 「優しさ」 等心にもない者達にとって 「堕落」 と言う世界は住みにくいのだ。

だからこそ、「敗者」 である者達を 「堕落」 は歓迎する。
更に言うと 「敗者」 にとって 「必要なもの」 を与えてくれる 「優しい世界」 でもあるのだ。

しかし、「優しい」 だけではない。
その 「優しさ」 に容易く触れると 「毒」 となり、襲い掛かるだろう。

「堕落」 は唯一 「優しい世界」 だ。
現実世界に溺れた 「敗者」 に 「優しさ」 そして 「温もり」 を与えてくれるのだから。

しかし、「堕落」 は 「進まざる者」 は放置する。
理由としては 「現実世界の養分」 となり得るからだ。

幾ら辛かろうと、苦しかろうと
「進まざる者」 は 「堕落」 の餌となってしまう。

「堕落」 が彼等に与えるのは 「優しさ」 ではなく、「虚」 だ。

それに 「進まざる者」 の 「負の感情」 は 「堕落」 の養分にもなる。
その養分は、やがて現実世界へと浸透し、「蜜」 となって 「幸を授かった者」 へと降り注ぐ。

「堕落」 からして 「負のエネルギー」 は 「格好の獲物」 なのだ。

「堕落」 は 「敗者」 しか 「歓迎」 しないとは言った。

しかし、「堕落」 が求めているのは 「進み続ける者」 だけだ。

「堕落」 の世界でやってはいけないことの代表格は 「立ち止まらない」 事だ。

立ち止まる事で 「負のエネルギー」 が体から湧き出てしまい、それを養分とする 「堕落」 の 「餌」 となってしまうからだ。

2 「堕落」 は 「負」 を喜ぶ世界


○ 「負」 は 「堕落」 にとって格好の獲物とも言える。
「堕落」 は 「負」 のエネルギーを養分とし、その負のエネルギーを蓄える事で 「世界を維持」 している。
「負のエネルギー」 は 蓄えられると、「堕落」 はそれを 「蜜」 に変えて現実世界へと解き放つ。

それが 「他人の不幸は蜜の味」 となり、「幸を授かった者」 に降り注ぐ 「甘い蜜」 となるのだ。

しかし、現実世界の人間は非常に卑怯だ。
その 「甘い蜜」 が 「人の負」 である事に気付く事は恐くないだろう。

奴等にとって 「負のエネルギー」 ほど 「甘い蜜」 は他にはない。
「他人の不幸は蜜の味」 と言われている様に、彼等にとって 「堕落」 に居る人間の 「負」 は 「甘い蜜」 なのだから。

「堕落」 は 「負」 を喜ぶ世界だ

「堕落」 は 「優しさ」 「温もり」 を与える為だけにあるのでは無い。
「堕落」 にとって 「負の感情」 は大好物なのだ。

特に 「進まざる者」 達から放たれる 「負のエネルギー」 は 「堕落」 にとって 「絶好の獲物」 でもあるのだ。

3 「堕落」 に落ちた者が見る 「景色」


○ 「堕落」 は 「卑怯」 だ。
何故なら、私達 「敗者」 に 満点の星空を見せる事で 「無限の可能性」 がある と言う事を教えてくれるからだ。

「堕落」 にまず落ちると、そこに在るものは 「自分」 と言う 「存在」 がただそこにポツンとあるだけだ。
それに不思議な事にも 「堕落」 は同じ落ちた者同士を合わせようとしない。

何故なら 「堕落」 は 「敗者復活戦会場」 の様なものだからだ。
そう、「堕落」 は 「敗者」 である私達を試しているのだ。
そして、「進まざる者」 を見つけて 「負のエネルギー」 を吸収し、それを 「甘い蜜」 に変えて 「現実世界」 へと送る。

「負のエネルギー」 は 濃ければ濃いほど 「甘さ」を増す。
次第にその 「蜜」 は 「甘さ」 を増して 「幸を授かった者」 に降り注ぐ。
それが 「幸を授かった者」 達にとって何か 「特別な物」 だったりもするのだ。

「堕落」 は 「蜜」を作るのが得意なのだ。
「敗者」 の 「蜜」 程現実世界に居座る 「勝者」 にとって甘味な物は他にはないだろう。

「堕落」 は既に 「口」を広げ、「敗者」 を待っている。

「堕落」 した者達が見る世界は。

「 星の数程ある幸を授かった者達を見つめる特等席」に相応しい。

その 「特等席」 から眺める景色は 「堕落」 を味わった者にしか分からないのだ。

ひとつ言うのであれば

「人の幸」 を見るに相応しい特等席

という事だけだ。

4 「堕落」 と言う「無の平行世界」

○ 「堕落」 は 「現実世界」 と同じ線上にある。
「敗者」 しか入る事を許されない 「一種のパラレルワールド」 の様なものだ。

この 「平行世界」 の特徴は 「無」 しかない。
という事だけだ。
「堕落」 は 「優しさ」 そして 「温もり」 を与えるとは言った。
「堕落」 は その名の通り、「優しさ」 と 「温もり」 を与えてくれる。
しかし、「進まざる者」 に対しては 「負」 を搾り取り自らの養分として蓄える。

不思議な事に 「堕落」 は 「優しさと温もり」 以外は何も無い。
まさに 「無」 の世界でもある。

「無の世界」 にあるのは嘲笑うかの如く吹く風と、「幸を授かった者達」 が見せる 煌めく星空 だけだ。

5 「堕落」 が 「幸を授かった者」 に与え る「蜜」 とは。

○ 「堕落」 は生み出す 「蜜」 とは一体どの様な味を持っているのだろうか。

それは、「堕落」 にいる私達には分からないだろう。
それがどの様な味を持っており、どの様な効果を与えるのか。
それを知るのは 現実世界 に居座る者にしか分からない事だろう。

私達 「堕落」 と言う世界に居座る者にとって、現実世界に居座る者達の落とした 「毒」 は 「血」 の味がする。

「堕落」 と言う世界が進まざる者から汲み取った蜜の味は、現実世界に居座る者達にとっては 「甘味」 の様なものだろう。

幾ら辛かろうと、苦しかろうと立ち止まってはならない。
その立ち止まった場所に負のエネルギーは注がれ、それを 「堕落」 は養分としては蓄える。
そして、それを 「幸を授かった者」 達へと甘い蜜として与えるのだ。

他人の幸は 「血」 の味しかしない。
見たくもない 他人の幸 を私達は 「堕落」 から見つめるだけだ。
彼等の 「笑う声」 がどんなに恨めしくても、立ち止まってはならない。

他人の幸を味わう

それがどんなにも贅沢な事なのか、それは現実世界に生きる者でしか味わう事はできない。

6 「堕落」 に落ちた者が辿り着く場所


○ 「堕落」 にあるのは 優しさ とそして、温もり だけだ という事は上記でも書いている通り、この 「堕落」 という世界は 「敗者」 の為に作られ、そして 優しさ と 温もり を与える為だけに存在する。
そして、それぞれに 「試練」 を与えるのだ。
この試練は、課される者によって難易度が違ってきたりもする。

この試練の内容によって 「堕落の底」 である 「死」 へと歩みを進めてしまう人もいるのだろう。

「堕落」 は敗者を歓迎はするが、進まざる者 には罰を与える。

その罰が 「ドン底」 へと突き落とす 事をその者が知ることは無い。

その 「ドン底」 こそが決して超えてはならない境界線だ。

「堕落」は優しい。
与えられた試練に挑む者達には 「新しい道」 を与えてくれる。
その道を辿っていけば、「堕落」 へと落ちる前に辿った道に辿り着ける。

しかし、与えられた試練に挑まない者に対しては 「ドン底」 つまり、深淵でもある 「死」 しか与えないのだ。

7 「堕落」 が見せる 「虚像の幻想」

○ 「堕落」 の卑怯な所はもうひとつある。
それは、ありもしない 「可能性」 を与えて敗者に希望を与える所だ。

私はそれを 「虚像の幻想」 と読んでいる。
虚像の幻想 は 敗者が見る事ができる、「堕落」 で唯一の展望パノラマの様なものだ。

ここから見る景色は一味違うものだ。
何故なら、間近で幸を謳歌する者達を見る事ができるからだ。
彼等は 動物 を見るような目で私達を見てくる。
彼等にとって敗者とは養分でしかないのだ。
また、「虚像の幻想」 も私達、 「敗者」 を養分としているだけなのだ。

綺麗な景色と言う 「可能性」 を与える代わりに、「更なる試練」 を受けろ と言っているのだろうか。

いや、その可能性は 「毒」 に過ぎない。
人を殺めてしまう程の 「猛毒」 に違いない。

今見ている景色がその 「猛毒」 である可能性もあるのだ。

「虚像の幻想」 とは、「毒で作られた幻想と言う可能性」 でもあるのだ。

どちらにせよ、「堕落」 は非常に厄介な卑怯者だ。

「敗者」 には優しい反面、敗者を殺めかねないからだ。

本当は 「堕落」 が無罪な人を殺めているのかもしれない。

「虚像の幻想」

それは、敗者だけが臨める唯一の景色でもあるのだ。

おわり。

精読ありがとうございました。

#コラム #生き方 #病み #社会不適合者


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